週刊RO通信

民主思想以前の古い膏薬

NO.1475

 政治家の仕事は多弁饒舌ならず。中身空っぽの弁舌ほど鼻持ちならぬものはない。昔は、口がうまい奴は信用できないという庶民的知恵が幅を利かせていた。誰もが、信用できない奴が多いと思うような社会が解体せず持続したのは、人々がお互いに信用を獲得できるように心がけて話した成果である。

 ブチャー(1850~1910)『ギリシア精神の様相』には、聞き手に思想を起こさせないような言説なら生きていないとか、聞き手をして考えせしめることが最大の雄弁であるなどの記述が登場する。古代ギリシア人の美徳は、事柄の意味を識別し、その諸関係を整えることが、彼らにとって本能であり、情熱だった。そして、「たじろがない眼で、よくよく観察せよ」という。

 前460年ごろ民主政治を徹底させ、土木・建築・学芸など多方面にわたる功績を残したペリクレス(前490頃~前429頃)は、ペリクレス時代と称される黄金時代を実現した。彼の「われわれは信ずる。討議は行為を損なわない。禍はむしろ、最初に蒙を啓かずして仕事を始めることである」という言葉は、そのまま現代のわれわれが座右の銘として実践したい。

 19世紀半ば、イタリアでは祖国統一と解放のための運動リソルジメント(再興)が展開された。中心人物の1人、カヴール(1810~1861)は、1852年サルデーニャ王国の首相に就任、近代化を推進した。61年にイタリア統一を果たした。彼は民主政治・議会政治を熱烈に希求し追求した。

 彼の名言「最悪の議院といえども最良の次の間に優る」。彼は、「議会が閉会しているときほど自分の無力を感じるときはない」と語った。話し合いが徹底することこそが、デモクラシー精神を具現すると確信していた。この思想は、文字に書かれたものは、対話によって到達した思想の投影だとする古代ギリシア的コミュニケーションにさかのぼるであろう。

 現代日本の自民党議員諸氏には、この手の「薫り高い民主主義」思想が感じられない。まことに遺憾である。第一の問題は、選挙で多数派を形成すればオールマイティだという錯覚・誤解に取りつかれている。だから、選挙活動だけではなく、党内活動においても多数派を形成することが最大の戦略戦術である。数が力であって、一致結束箱弁当にばかり苦心惨憺する。

 民主主義は、膨大な大衆が政治の外に押し出されているとき、確実に活気を失う。国家主義・上意下達体制下で一気にウクライナに侵略したプーチンについては、自民党諸氏もおおいに嫌悪感をもって否定しているらしい。しかし、プーチンの民衆に対する立ち位置と、自民党諸氏のそれが画然と異なっているか考えてみれば、かなり怪しい。 

 8月31日の記者会見で岸田氏は、「政治に対する国民の信頼が揺らいでいると深刻に受け止めている。改めて、総裁選出馬を決意した昨年の原点に立ち戻り、私が先頭に立って、政治への信頼回復に取り組まなければならない」と語った。「初心に帰る」と語るのだが、首相就任して1年未満で、足が初心から離れていたとすれば、禁酒禁煙三日坊主とさして変わらない。

 まあ、嫌味はどうでもよい。「私が先頭に立つ」のはなにをするのかといえば、閉会中審査に出席して、テレビの前で、信頼が揺らいだ背景の、旧統一教会問題・国葬問題・コロナ対策について自分が語るという。ところが、記者会見での質問に対して、質問の核心について答弁したものは皆無である。「本番」の閉会中審査では、ズバリ核心に応える秘策があるのだろうか。せっかくの「予行演習」記者会見は、記者も納得しなかっただろうし、聴衆としてもまったく納得できなかった。

 首相が国民を「意識」して語れば、国民は理解してくれるだろうか。大阪的表現をすれば、「なんぼのもんじゃい」というのがオチだ。官僚的答弁がいかに巧みでも、いや、巧みであればあるほど、人心は離反する。丁寧な言葉であればあるほど、嫌味が強くなる。馬耳東風といわれたくはなかろう。

 思うに、岸田氏はデモクラシーの首相としてのポリシーが見られない。自民党的体質に特有の「納得ずくの理性への言葉ではなく、いきなり結論・行動に直結する命令口調」なのである。それは、まことに残念ながら、封建時代から営々と続いた敗戦までの「お上」の政治膏薬が、自民党・岸田氏の骨の髄までべったり貼り付いていて、剥がすのは強い痛みを伴う次第である。