週刊RO通信

危ない政治家の「害交」事情

NO.1470

 7月30日の各紙社説は、朝日「米中首脳協議 緊張緩和へ対話深めよ」、読売「米中首脳会談 台湾を巡る衝突を回避せよ」、毎日「米中首脳の電話協議 緊張高めぬ努力の継続を」と、いずれもバイデン・習会談を論じた。読売は、米国に肩入れした感が強いが、各紙とも結論はおおむね緊張緩和を主張している。しかし、読んでもどうも釈然としない。

 米中関係の悪化は、米国は、中国が国際秩序の転覆を謀っていると決め付けている。中国は、米国は中国の発展を望まず妨害すると見ているから、両者間の不信感はきわめて強い。会談は、米国側の要請に基づいて開催された。とすれば、米国側から、不信感を軽くするような提案がなにかあったのだろうか。報道では、まずこの点がわからない。

 それらしい提案がなく、2時間会談して、おなじみの台湾問題で予定通り衝突し、習氏の「火遊びをすれば身を滅ぼすことになる」という発言を引き出した。バイデン氏は「現状を変更したり、台湾海峡の平和と安定を損ねたりする一方的な動きに強く反対する」と応じた。これなら、会談すること自体が緊張緩和どころか緊張激化の流れである。

 ペロシ下院議長の台湾訪問が取り沙汰されているが、わざわざ火に油を注ぐようなものだ。これでは、米国が緊張緩和に熱心だというように読み取るのは無理である。マッチポンプと言うべきだ。

 むしろ、会談はウクライナ戦争を止めるために、米国が中国の協力を要請したのであれば、少しは両国関係改善の糸口ができたかもしれない。ところが、はじめから米国は中国に対してロシアと結託するなと恫喝まがいをやってきた。ウクライナ問題に関して、中国はまったく責任がない。責任があるのは米国である。このような構造を考えると、米国が世界秩序や平和に本気で貢献する気があるのかどうか。心配するのは、米国に、台湾を巡る衝突を回避する気が確固としてあるのかどうか。ウクライナ戦争を東アジアで再現してもらいたくない。「米国ファースト」信仰こそ、世界混乱の根源だ。

 人民網日本語版は、両国首脳は電話会談が率直で踏み込んだものであったとの認識を示し、連絡を維持するため、双方の実務グループに意志疎通と協力の継続を指示することで合意した、と伝えた。これも、前向きの変化を読み取るのは無理だが、対話継続は歓迎する。しかし、いくら形式としての対話を重ねても、盛り込む内容に変化がなければ意味はない。

 毎日新聞は、「大国の責任を語るのなら、国際協調を尊重しなければならない」と主張する。その通りである。しかし、せっせと中国包囲網を形成しているのが米国中心陣営である。いわば、対ロシア経済制裁のさらに遠大・長期的なパターンとみることもできる。締め出されて喜ぶ国は存在しない。

 中国は秋の共産党大会、米国は11月中間選挙である。朝日新聞は、「両首脳は国内向けに強腰の姿勢を示したいのかもしれない」と観測するが、結局、すべての戦争は国内問題が背景にある。そもそも外向けに強硬発言したところで、国内の人々を煽って目くらましすることができても、国内で抱える問題が解決するわけもない。米国は国内の分断をどうする気か。

 プーチンが始めた戦争は、膨大な人々の人生を奈落の底へ落とし込んだ。いかなる権力者といえども、人間の生殺与奪の権をもってはいない。プーチンに対しては、バイデン氏は正義の立場にあるつもりだろうが、戦争の遠因を探ればウクライナを巻き込んで対ロ関係をかき回したのは米国だ。習氏は、中国の安全確保のために海洋進出を進めてきたが、客観的に十分に理由があり正当であるとはいえない。そこにも米中対立が根本から関わっている。

 個人同士の関係と同様、国と国の関係も各主体それぞれに理由があり、100%の正義も悪もない。各国リーダーといえども生身の人間である。国や組織、権力、とりわけ軍事力という物理的威嚇手段を取り除いて、人徳で他者と接する力を果たしてどれほど持ち合わせているか。「背中に乗せている女神のために焚かれている香を自分のためだと思うロバ」という言葉がある。

 外交とは、国同士の良好な関係を維持するのが目的である。紛争を起こしたり、責任を擦り付け合うようなトップリーダーの外交には、期待すること自体がないものねだりで、神頼みするのと変わらないような気がする。