論 考

進歩してもらいたい

 わたしが初めて広島へ行ったのは、たぶん小学校1年生だった。母と映画『原爆の子』(1952)を観た。もっとも、ほとんど記憶がない。

 近代映画協会の自主制作、監督・新藤兼人、主演・音羽信子というのも、大人になってから知った。

 翌年、製作者がカンヌ映画祭に出品した際、政府外交筋はアメリカの反応を危惧した。外交筋は、出品者が映画祭参加を拒否し、受賞しても断るように工作しかけたが、フランス政府のアドバイスもあり、動きが表面化しなかった。

 『原爆の子』はカンヌのグランプリは逃したけれども、世界中に大反響を呼び、数々の賞を受けた。

 それにつけても、核兵器禁止に対する政府のへっぴり腰はいつまでも変わらない。本気でやろうという決心がない。