論 考

開発にかける気風

 わたしが機械設計の現場でもたもたやっていたのは1960年代である。

 職場は電子機器大型構造物の開発設計で、個別受注生産、開発即納品の製品である。技術開発と製品開発、製品製造開発が重なったもので、中心的技術者は、息つく暇がなく、緊張感に溢れていた。

 まだ30代の課長は、真剣真摯な仕事精神を継続させることに大変な集中力を発揮しておられた。なんといっても、生産コストが下げられない。極論すると、良い製品を作るには、技術力に余裕がないから、技術者諸氏はコストへ関心を高められない。

 富士山頂気象レーダは、据え付け工事も大きに難航した。NHKの「プロジェクトX」ではそれなりに大きな話題を提供したが、とてもじゃないが、設計・製造の現場の苦労を描けていない。要するに視点が甘かった。

 完成後、副社長が来られて、伊丹空港のレストランで中心的メンバーとの会合がもたれた。先輩たちは、首を覚悟で臨んだ。誰にもわかる大赤字である。

 副社長は、「世界的に素晴らしい製品であり、本来社長表彰するべきなのだが、なにしろ赤字が大きすぎる。赤字を社長表彰するわけにはいかないから、カンベンしてください」と言われた。

 当時、チンピラの自分であるが、いまでも、この話を思い出すと、瞼が滲む。開発に向けて全力疾走している人々は、インチキでも作ればよろしいなんて気風はまったく持ち合わせていない。

 昨今の企業不祥事の報道を見るにつけ、新たな開発に挑戦せず、儲けることだけが前面に出たという側面があるように分析する。大きくいえば、産業界の活気のなさは、本当の開発事業がおこなわれていないからでもあると思う。

 そして、憶測ではあるが、人事部が経理部や購買部の下請け化したといわれるようになったのは1980年代後半からだ。