週刊RO通信

ふにゃふにゃ、元気なき社会を考える

NO.1459

 40年前の1980年代はじめ、企業社会では仕事のマニュアル化が大きく進んだ。工場ロボットの導入が盛んで、知能ロボットが登場する直前であった。拙著『あなたが抜けても会社は動く』に、「ロボット対マニュアル症候群」という一文を書いた。人間側の状況について考えた内容である。

 ① 人間がロボットと異なるのは自我を持っている。企業社会においては、他人とトラブルなく円滑に関わり合う、仕事をトラブルなく円滑に処理することなどから、行動の基準や価値の規範が組織の名において与えられ、マニュアルが提供されるので自我を発揮する状況はきわめて縮小している。

 ② マニュアルが充実した結果、仕事は生産的・能率的におこなわれるが誰がやっても同じ、つまりコンパチブル(交換可能)型人間となる。ますます自我は不要であり、自我の出番が減少する。

 ③ マニュアルの改良が進み、細部にまでルール化され、人間は仕事を覚えるのではなく、定められた手順を記憶する。マニュアルが細部にわたるほど、人間はプレイバック型ロボットに限りなく接近する。

 ④ マニュアル信仰が深化すると、人間はマニュアルなしでは生きられない。そこで、はじめて出会った他人や状況に対しては、マニュアルがないから、一種の拒否感、恐怖感を抱く。

 ⑤ その結果、人間と人間の裸の付き合いが難しくなり、自分の城、自分の領域に閉じこもろうとする。

 ⑥ 人間がロボットと異なるのは、創造性があるからである。あるいは自分で予見し、計画し、実行して修正できるのだが、マニュアル人間化すると、創造はできなくなるし、自立・自律性が失われてしまう。

 そこで、マニュアルに使われてはいかん。マニュアルは他人が作ったものだから、自分らしいマニュアルを作りなさいと説諭する。しかし、良くも悪くも、世間ではマニュアル的仕事をする人が多数派である。加えて人を育てる気風がどんどん失われ、企業社会は、マニュアル依存が常識である。

 仕事は方法だから、その点マニュアルは便利である。「お客さまを大事にする」という精神を、マニュアルにてんこ盛りしても、そこは担当者1人ひとりの裁量である。これが伝授されないから、あちこちでトラブルが発生する。

 お客さま相談などへ電話すると、「この電話はサービス向上のために録音させていただきます」から始まって、「Aの要件は1を、Bの要件は2を——押してください」と続き、「ただいま電話が大変混みあっておりますので」ときて、数分後に人の生声に接することができればおおいに幸せである。

 お客さま相談は、マニュアルにないことがほとんどである。応対者は、マニュアルに沿った対応しかできない場合が多い。なかなかクライアントの注文をすんなり理解してもらえない。たぶん、しかるべきベテランが配置されていないのだろう。で、録音した内容が検証されるのだろうか。

 これは、いわゆるAI技術の初歩的応用なのだろうが、相談システムのミソは、お客とのやりとりにあるわけで、方法における重点の置き方がおかしい。いわば、担当者の問題以前に、システム設計がまずい。

 40年前に素人が未来予想的に書いた内容が、あらかた当たっただけではなく、企業社会はもっと深刻な事態を招いている。まず、職場におけるコミュニケーションが非常に劣化した。職場で文句を言えば空気が読めないとしてスポイルされる。文句を言う人は本音で語る。自分が解決したい問題を持っているから文句を言うわけだ。社内で自由闊達に話せないのに、外部の顧客のあしらいが巧みなわけがない。一方、SNSでは名無しの権兵衛がやたらめったら他者批判をやってのける。社会全体に歪んだ気風がある。

 AI研究の先生が、知能には生命知能と人工知能の2つがある。生命知能は人間の知能=意識で、自立・自律化(人間的成長)の力である。人工知能は、自動化の知能=意識がないところの力である。生命知能がコミュニケーションを発達させる。日本は、明治以来、自動化・効率化ばかり追いかけてきて、生命知能の発達が不十分である――と問題提起しておられる。

 この見識にはおおいに賛成する。経済に限らず、日本社会の沈滞ムードは、人間力を軽視してきた悪しき伝統の成果ではあるまいか。