週刊RO通信

「悪意」が支配する世界

NO.1453

 日常の政治や外交問題は、よほど問題意識をもっている人をのぞけば、時々刻々めまぐるしく変化する事態を知っても、発生した問題の原因や経緯が顧みられない。そこへきて、戦争という事態が発生すれば、報道にしても悲惨な戦争そのものに関心が集中する。2月24日、プーチンが始めたウクライナ侵攻も、どうしても派手な報道に目を奪われる。

 戦争は野蛮な行為である。戦争を命令する権力者は、そもそも人の生命を尊重していない。戦争で傷つき斃れるのは、敵の兵士や市民に限らない。自軍の兵士や市民の生命も失われる。正義の戦争だから死んでも本望だというのは、戦禍と無関係の人による戦争美化論である。 

 戦争は外交の1形態であるが、それは理屈だ。自国の価値ある目的のために軍を進めるとしても、人は戦争体制にがんじがらめで、すでに生命を差し出している。戦争を外交手段として持ち上げたところで、その非人間性、残酷さは免罪されない。戦争は犯罪である。プーチンは犯罪者である。米欧・NATOの理不尽さを唱えて、大ロシアを屈辱から解放し、旧ソ連の栄光を奪還する目的だとしても、ウクライナに対する侵略戦争である。

 プーチンの決断について、いろいろな説明が試みられている。いかに、米欧・NATOの圧迫があったにせよ、ロシア・ウクライナ両国には、家族・親戚・友人が非常に多い。国冠をいただいても、人の生命や絆を破壊する行為は野蛮だ。膨大な殺傷・破壊の事実を取り消すことはできない。

 ただし、プーチンの所業がすべてではない。狂気であったにせよ、妄執にせよ、異様な執念にせよ、開戦を決断した経緯をきちんと検証しなければ、天変地異か、交通事故と同じ扱いになる。それでは、停戦後の処理に禍根を残す。悪玉プーチン論だけでは、いかにも場当たり的である。悪玉プーチンを生み出した客観的条件を考えておかねばならない。

 シェークスピア(1564~1616)の『オセロ』の筋書きを借用して考える。

 ――ムーア人のオセロは、ヴェニスの軍人として赫々たる称賛を得ていた。彼の人柄に惹かれた、ブラバンショーの娘デスデモーナと駆け落ちする。心底オセロを嫌っている旗手イアーゴが、2人を破滅させようと一計案ずる。

 イアーゴは、デスデモーナがオセロの部下キャシオーと密通していると、オセロに吹き込んだ。まんまと乗せられたオセロは、デスデモーナを自身の手で扼殺する。その後、奸計だったことがわかって自害する。――

 立場として、ロシア(プーチン)をオセロ、アメリカ(バイデン)をイアーゴと置く。アメリカは、第二次世界大戦終了後から、ソ連(当時)を徹底的に嫌悪した。冷戦を開始し、1991年ソ連解体まで続いた。ソ連解体でアメリカは勝利したと大喜びした。しかし、大団円とはいかず、その後もロシアの抑止・弱体化を目論んで、NATO東方拡大に精出した。

 旧ソ連のポーランド、ハンガリー、チェコがNATO加入し、NATOは30か国まで膨らんだ。アメリカは、ウクライナのNATO加入を積極的に後押しする。2004年オレンジ革命でウクライナ内部は親ロ・親欧米の対立が激化した。13年マイダン革命は、オバマ政権副大統領バイデンの指揮下で、ヌーランド(現国務次官)が積極的介入した。バイデン政権後は、ウクライナ軍事支援を強化し、大々的にウクライナのNATO加盟を喧伝した。

 バイデン・イアーゴは、着々とプーチン・オセロを挑発し追い込んだ。ウクライナは、全面的にアメリカの支援(派兵)ありと踏んでいたが、いざ、幕が上がれば、ウクライナは米欧・NATOの代理戦争を担っている。アメリカのリーダーシップの低下が、ロシアの侵攻を引き出したのではない。実は逆だ。アメリカのリーダーシップが奏功した戦争だともいえる。

 イアーゴのエネルギーは、ロシア嫌悪・敵視の深さである。イアーゴの悪意に共通する。これは、プーチンの大馬鹿な決断・行動をオセロにたとえただけで、世界の覇権争いにおいては、至る所イアーゴだらけ、巨大な陰謀が渦巻いている。プーチンを免罪するために理屈を立てたのではない。

 やがて停戦、和平、世界秩序の再建へ進まねばならない。しかし、いずれの陣営においても、覇権を前提した交渉しかできないのであれば、また、次なるオセロとイアーゴが登場するだけだ。「悪意」を超克せねばならない。