週刊RO通信

アインシュタイン&フロイトの往復書簡

NO.1450

 いまから90年前、ナチが政権奪取する前年、第二次世界大戦が勃発する7年前の1932年のことである。アインシュタイン(1879~1955)が呼びかけて、「戦争の脅威から人類を救う道はあるか」というテーマで、フロイト(1856~1939)と書簡をやり取りした。平和主義者である、理論物理学者と精神医学者による書簡に、改めて共感したことを紹介したい。

 アインシュタインの主張は、――各国民が自己の主張・主権をある程度譲渡して、国際的同意によって、立法・司法機関を設立し、紛争解決を委ねるべきである。国際的安全への道は、これ以外にはあり得ない。

 支配階級の権力欲は、国家主権のいかなる制限も敵視する。政治的権力亡者は、金銭的・経済的方向に走る。戦争や武器の生産・販売を個人的利益、個人的権威としか見ない個人たちから成り立つ。軍隊(の人々)は、民族の最高の利益を守るとして、攻撃は最良の防衛だという信念をもつ。

 人間は、自己の内部に憎悪と破壊の欲望をもつ。憎悪や破壊といった精神異常に対して、人間を免疫させるほど、人間の心的進化に統制を加えることは可能だろうか。すべての武力衝突を不可能にする方法を発見するために、(あなたのご見解をうかがいたい。)――

 フロイトも、戦争を終わらせる確実な方法(国際的立法・司法機関)について、アインシュタインに同意し、その考えを展開・増幅する。

 フロイトの主張は、――未開時代から、暴力が人間の利害衝突を落着させてきた。進化の過程での、暴力から法への転換は、1人の強者の優越を、多くの弱者の同盟によって変えた。つまり、正義(法)は共同の力である。

 人間本能には2つある。愛(保存・合一する)の本能と、破壊・殺害する本能である。人生の全現象は、両本能の産物である。後者は、いわば「死の本能」で、その活動を外敵対象に向けるとき破壊衝動となる。動物は、外側の諸物体を破壊して、自分の生存を防衛する。人間も動物である。

 人間の攻撃的諸傾向を抑圧できる見込みはないが、もし、戦争への性癖が破壊本能に基づくとすれば、人間相互の感情のキズナ=愛を生み出すすべてが、戦争の解毒剤として役立つだろう。「汝の隣人を愛せよ」というように、共通・同化の感情こそ、人間社会の基盤である。

 人類の文化は、大昔から進歩を続けてきた。今後、進歩が人類を死に絶えさせないとはかぎらない。人々のなかの未開・野蛮のおくれた側は、開化した部分よりも増殖度がはやい。平和主義者は戦争を憎む。戦争は、文化の成長にもっとも背馳・逆行する。脅迫に屈せず、真理の探究に熱意を注ぐ独立的思想人を形成するために、もっと大きな苦労を払わねばならない。――

 第一次世界大戦後の1920年、国際連盟が結成された。世界平和の確保と、国際協力の促進とを目的とした。2人とも、戦争を終わらせる確実な方法は、利害のすべての紛争に決定権をもつ、中央統制機関を、共通の同意によって設立することで、見解一致している。しかし、現実は、各国を支配しているのは国家主義であって。連盟の理念とは正反対に作用していた。

 フロイトは、――共同体は、暴力的強制と感情のキズナ(同化)の2つの要因で成立してきた。連盟は、理想主義的態度の発動によって戦争に終止符を打とうとする。しかし、正義の維持にも、暴力を必要とする事実に目をふさぐなら誤算に陥る――とも指摘している。

 11日国際連合安全保障理事会緊急会合で、ロシア大使は、「ウクライナが米国防省支援により実施していた生物兵器プログラムの痕跡を慌てて消した」と発言した。2003年3月、イラクが大量破壊兵器を隠し持つとして、米英がイラク攻撃に突入した苦い過去を、意図的になぞってみせた。イラクには、そんなものはなかった。国連が、フェイクとプロパガンダの舞台になっているのも、疑いなく苦い事実である。国家の名においての「騙り」に、政治家は良心の痛みや恥を感じない。これこそ、国家主義の破廉恥な姿である。米国を中心に、国連をぞんざいに扱ってきた苦い事実も刻印されている。

 いまは、国連再生の大きなチャンスである。とりわけ、人類の普遍の原理を主張する国々が、国家による戦争がそれに反することを、過去の痛切な反省とともに闡明して、国連に結集するならば!