論 考

米露はテーブルに就け

 第二次世界大戦後のアメリカは、民主主義を掲げてたくさんの戦争をおこなってきた。

 ベトナム戦争は、共産主義の拡大を阻止するという狙いであった。人々が、暴政に立ち上がった民族自立の本質を無視した結果は、隠しようもないアメリカの敗退であった。

 アフガニスタンでも、民主主義の「移植」を目論んだが、20年間かき混ぜただけで撤退した。

 民主主義は「人間の尊厳」(基本的人権)を求めるから、A国の民主主義をB国へ押し付けることがあってはならない。そもそも民主主義は平和主義とセットである。アメリカ流は、これを無視している。

 1970年代までは、アメリカの反共十字軍的思考や、世界の警察官を気どる思い上がりに世界は批判的であった。

 アメリカが本当に民主主義の宣教師たろうとするならば、アメリカ的覇権主義を推進してはならない。

 ウクライナ問題を巡るアメリカの発言が挑発的に見えるのは、アメリカ的民主主義が一国民主主義であり、カネと力のご都合主義だからである。

 危機を煽るのでなく、ロシアとテーブルに就いてじっくり話し合うべきだ。このままでは、ウクライナを弄んでいるとしか見えない。