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日本人の精神についての考察

奧井禮喜

「大和魂と武士道」  

 日本人の精神といえば、大和魂が顔を出す。日露戦争(1904~05)直後、はやったのが「大和魂」だ。

 ――東郷大将が大和魂をもっている、魚屋の銀さんも大和魂をもっている、詐欺師、山師、人殺しも大和魂をもっている。……大和魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている。――と語って、浮かれている世相を切り取ってみせたのが、夏目漱石(1867~1916)描く苦沙弥先生である。(『吾輩は猫である』)

 武士道というのもある。

 武士階級の道徳とされ、江戸時代には、朱子学に裏付けられて封建体制の精神的柱となり、明治以降国民道徳の中心とされた。主君への絶対的忠誠、信義・尚武・名誉などを重んずると説明された。新渡戸稲造(1862~1933)の『武士道』が欧米でおおいに読まれた。

 日露戦争直後、米国で講演した竹越与三郎(1865~1950)は、武士道を切り捨てた。――武士道は、日本のcreed(教義・信条)にあらず。道徳法にあらず。所詮少数者のものである。国民全体は、武士道に特別の尊敬をするべき理由をもたず。日本人一般の価値観は「義理と人情」である。

 国民4000万人中、士族は200万人に過ぎない。満州で戦った90万人兵士のほとんどが士族ではない。わが国の力は、① 立憲政治導入、② 組織を学び、③ 教育を盛んにし、④ 科学思想を普及したことにある。武士道などに基づいて行動するなどドン・キホーテと同じだ、――と喝破した。(「三叉演説集」)

 この小論で語る日本的精神は、大和魂や武士道ではない。理屈で整理すれば、――知性的・理性的かつ、能動的・目的意識的――気持ちの構え方、心の働き、そして、根気や活力がどうなのかなどについて考えてみたい。もちろん、心理学とは無関係である。筆者が日本社会を観察した見解である。

public welfare

 人は現実社会に存在する。歴史は、巨大な慣性である。だから、人は歴史的存在である。パスカル(1623~1662)は、「人間の本性は運動にある」とした。

 最近人生の意味が見つからないとして愚行に走った若者がいた。その通り、人生の意味は見つからない。生まれたとき、人生の意味を与えられていない。人生の意味は、1人ひとりが作って行くしかない。パスカルの言葉はそれを意味している。人は日々行動する。思索するかしないかはともかく、日々の行動が習慣を形成する。習慣に意味があるかないか、自身が規定するしかない。

 社会は、全個人である。人生の意味が見つからない1人ひとりによって存在する。1人ひとりがふわふわした存在だから、社会自体もふわふわしている。だからと言って、社会秩序が麻のごとくに乱れることを願う人は少ない。だれでも自分の生活がいちばん大切である。わたしの生活が安穏無事でありたいから、社会秩序が安定していてほしいというのが、おおかたの個人の総意であろう。

 社会秩序に対する関心はそこそこである。しかし、社会的関心は高くない。社会的関心というのは、public welfare(公共の幸福)である。社会秩序が乱れることは嫌だが、社会の幸福を作ろうという気風は別物である。敗戦後、日本人のpublic welfareに対する意識の低いことが話題になった。(最近はあまり話題にならないようだが)

 もちろん、個別には感動的な逸話がある。震災大国日本である。被災された人々に同情して、なにかお手伝いしたいと駆けつける。困っている人を見ると胸が痛む。とはいうものの、個人は非力だ。いつでも自分が関わっていくのが難しい。1995年の兵庫県南部地震では、ボランティア元年と呼ばれた。なにか災難が降りかかったときに応援するのは美しい。さらに期待されるのは、災難時だけではなく、恒常的にpublic welfare意識が高くなることだ。

 この背景を考えると、近代以前から、人々の意識が縦社会的である。事大主義、画一主義、日和見主義が強い。これは、横社会の特徴であるコミュニケーションが弱いことからも傍証できる。わたしの問題は自分で解決するという態度は大切であるが、それが結果的に他者ヘの無関心となっているのは、格別感心できることではなかろう。

 ベンサム(1748~1832)の「最大多数の最大幸福」という言葉を知らない人はいないだろう。ただし、おおかたは誤って理解されている。

 ベンサムが主張したのは、人々が話し合ってものごとを決定する際、目的とされるべきは、最大多数の最大幸福である。多数決が集団意思決定に用いられるが、意思決定が多数であればよいのではない。多数決は手段にすぎない。残念ながら、多数意思と最大多数の最大幸福とは必ず一致しない。むしろ、問題の本質を理解しているのは少数である場合が多い。

 ものごとの目的と手段を峻別しなければ、手段自体が目的化しやすい。政治は、社会の幸福が目的である。しかし、政治家は議員になることが目的化し、政党は権力維持が目的化している。経済は人々が豊かに暮らすためのはずだが、利益第一が目的化しているから、さまざまに不祥事が発生する。平和が目的のはずだが、手段として軍備拡大に精出す結果、それ自体が相互不信を増幅して、ますます世界が不穏になる。

議論下手の日本人

 日本人は議論が下手である。これは明治近代化以来、さまざま指摘されている。岸田氏は車座の話し合いが売りだ。車座の歴史は古い。民俗史の文献によれば、かつて農漁村では、村人全員が納得するまで議論が続けられた。なにかの代表を選出する、ある事業をおこなう場合に、全員が了解するまで根気よく議論したという。これは、まさに草の根民主主義である。

 この気風が失われたのは、どうやら明治近代化後にありそうだ。日本に留学した魯迅(1881~1936)は、日本人が時間をかけて話し合うことを嫌い、非常に短気であると指摘している。戦後も時代が下るほど会社では、「結論を言え」という気風が盛んになった。かくして、こんにち、コミュニケーション不全は大きな問題である。

 コミュニケーション概念が日本で一般化したのは戦後である。主として人間関係をうまくやることと解されている。これが間違いのもとだ。人と人が接すれば摩擦・葛藤が生じやすいことからすれば、触らぬ神に祟りなしとなりやすい。

 コミュニケーション不全の状態は、集団・組織が不活発化している。

 集団・組織が存在するからコミュニケーションが必要なのではなく、コミュニケーションが成立したから集団・組織が生まれた、という社会の原点に思いを馳せねばならない。とくに、リーダーたる立場の人は銘記してほしい。

 本来、1人ひとりが自由な存在である。集団・組織の行動が活発化するためには、その目的がメンバーに共有されねばならない。コミュニケーションは、目的を共有するために不可欠である。ところが、コミュニケーション不全であると、形式的には目的が共有されているが、実際は、あいまいだから、チーム力が十分に発揮されない。これは、労働組合活動の不活発化とも深く関わっている。

 こんにちは、情報時代だとか、AIだとか、にぎにぎしい。なるほど人が駆使する科学技術はおおいに進歩した。ただし、それは膨大ではあっても既存の知識を集めたものである。なにごとにせよ、新しい知見を生み出すためには、人がアイデアを生み出さねばならない。

 アイデアといえば斬新な雰囲気があるが、「ひらめき」は人次第である。つまり、決定的にローテクである。集団・組織において、メンバーが自由闊達に意思表示できるか、できないか。きわめて泥臭い話であるが、コミュニケーションの在り様が命運を握っている。

 シリコンバレーの雰囲気を持ち出すまでもなく、個人にせよ、集団・組織にせよ、お互いが自由闊達に議論し行動することの意義を理解しない人はいないだろう。しかし、世界の不思議の1つといってもよいほど、日本におけるコミュニケーション事情は改善しない。

 だから前述の、社会的秩序を大事にするが、社会的関心が高くないという日本的気風との関連を考えざるをえない。

 昔から、日本人は個人主義ではなく、集団主義だという論調が幅を利かせてきた。あえて言うが、これは間違いである。集団・組織を作っているのは、個人である。個人が成長しなければ集団・組織の成長は望めない。

 社会を考えるためには、いかに社会が巨大で複雑であろうとも、個人から出発しなければ、問題解決ができない。個人を出発点として考えられない習慣は、民主主義以前のものである。ために、日本的民主主義が容易に成長しない。

日本人は現実主義か?

 理想主義(idealism)と現実主義(realism)という言葉は、しばしば対立的に扱われる。日本人はどちらに近いだろうか。

 理想主義とは、人生の意義を、理想を実現するために努力する立場である。実際の生活信条においては、損得勘定を否定し、理想のために努力する。一方、理想が空想と重なって、現実の行動を伴わない場合、理想主義という言葉が中身空疎のポーズだけだと批判的に使われる。

 現実主義とは、主義や理想にこだわらず、現実に即してなにごとをも処理する立場である。一方、目前の既成事実に全面的に屈服する態度が強い場合、日和見主義にすぎないという批判をされる。

 いずれも、主体が状況にたいしていかなる態度で臨むかが問われる。

 日本の近代史を眺めると、明治維新(1868)から30年ほどは、著しく理想主義的であった。日露戦争に勝利して、一挙先進国に仲間入りした。敗戦後(1945)からの30年も奇跡的復興を果たしたといわれたように、これらは、なせばなるの理想主義的精神がもっとも発揮された時期である。

 そこで、明治30年後から敗戦までの期間と、敗戦30年後からこんにちまでの期間を見ると、なにやら遺産を食いつぶしてきたようである。それぞれの30年が創業の時代であるとすれば、その他は保全・維持の時代に見える。

 もちろん、創業したことを育て保全する活動がなければ創業の意味はない。一方、社会の動きにもライフサイクルがある。勃興・発展がピークに達すると、下降・後退が開始する。こんにちは、1980年代から下降・後退期が長く続いている。そう考えると、いまは、新しい時代を創業する活動が求められる。

 明治30年も戦後30年も、先進国に「追いつき追い越せ」の時代だった。しかし、追いついた地平で停滞した。追いついたのだが、追い越せなかった。さらに、状況とズレて、いつしか大きく後退している。

 中国はどうか。改革開放がスタートしたのは1978年、日本が史上最高の経済状態にあった。そこからひた走りに走って、先進国に追いついただけではなく、追い越しつつある。日本が1980年代、追いついて慢心し傲慢になり、立ち止まったのと比較するまでもなく、中国はさらに追い越すために走り続けている。

 中国が近代化に大きく遅れたのは事実である。それに気づいてからの躍進ぶりは凄まじい。進化・発展するために不可欠なことは学びである。共産党独裁を批判するのもそれなりに理屈があるが、科学技術・経済社会の発展を推進したのは圧倒的多数の中国民衆である。中国人全体の学びがこんにちの中国を作った。中国人を侮ることは、日本人自身の未熟さに目をつぶるだけである。

 政治は、人々のあるべき生活(人生)のために、具体的な対策を積み重ねる活動である。ここから考えると、理想とは、人々が求める人生の総和であろう。しかし、こんにち人々の理想と政治が重なって考えられていない。人々の理想はたしかに理想すぎるかもしれないが、政治がそれと重ならないのは、政治が現実主義ではなく、場当たり的で日和見主義なのである。

 日本的民主主義は、厳しくいえば、形はあるが中味グズグズである。目下、筆者は、日本人は理想主義ではないし、さりとて現実主義でもない。場当たり的日和見主義である、と分析している。これでは社会活力が発揮されない。

日本人はパトス的である

 人間は習慣の生き物である。習慣が伝統を形成する。伝統は、習慣のエッセンスである。政治家は、しばしば日本的よき伝統を語るが、実のところ、その中身は不明である。

 伝統を語るならば、1931年満州事変、37年日中戦争、41年大東亜戦争、そして45年敗戦という15年戦争を戦ったのは、いかなる伝統の所産なのか。論旨明快な説明がほしい。まさか、明確な展望なく、玉砕すべきも瓦全する能わずで、突っ走った賭博師根性を称揚するわけにもいくまい。

 よき習慣からよき伝統が形成されると考える。たとえば、日々生活に人々の活気が感じられるとすれば、やがては、よき伝統が形成されよう。明治以来、識者が指摘した日本人の性格傾向は、歓迎して悦べるようなものではない。

 明治以来の戦争で、潔く死んで行ったことを称賛する向きがあるが、死の美学は、生における美学とは異なる。いかなる生き方を追求しているか、それこそが日本人論の眼目でありたい。

 よき伝統というならば、では、日本人のエートス(ethos)とはなんだろうか。

 エートスは、人間の持続的な性格の面で、民族や社会集団にゆきわたっている、道徳的慣習、行動の規範(norm 則るべき規則、判断・評価、行為などの依拠するべき基準)とされる。ここから推測すると、個人やコミュニティが社会生活を通して習慣を繰り返し、そこから受け継いできた伝統の優れたものをエートスと呼ぶようになったのだろう。

 それは、個人やコミュニティが学んで育ててきた価値観である。学びの本質は、単に知識の集積ではない。知識だけでは力にならない。個人やコミュニティが知識を実践して価値観に育てあげたのである。

 知識を実践して、価値観に止揚する過程には、反省という行為が不可欠である。成功もある、失敗もある。たまたまはじめから成功することもあろうが、成功はその数よりもはるかに多い失敗から学んだものである。

 失敗は成功のうちに準備される。成功は輝かしいが、たまたまの結果である。もし、成功の公式があるなら、世の中には失敗はなくなる。失敗体験を反省するなかから、成功が獲得できる。失敗を恐れない元気があるだろうか。

 エートスを手にする人々、コミュニティは反省ができる存在である。日本人は、反省を自家薬籠中のものにしているだろうか。反省だけならサルでもできる。戯れ言葉だが当たっている。形だけの反省ならば無限におこなってもなんら果実を生まない。

 たとえば政治家は派手に公約するし、さまざまの政策に手を着けるが、1つひとつの問題について、きちんと検証し総括しない。未来志向といえば形はよろしいが、実行したことの反省・総括をしないから、さらなる前進ができない。

 反省できないのが日本人的主流だとすれば、日本人はエートス的ではない。むしろ、パトス(pathos)であろう。

 パトスは、状況からなにごとかを蒙った場合、感情が刺激されて、激情となりやすい。持続的ではないが、短い期間になにかを生み出す契機となることがある。

 黒船に大騒動して鎖国を解き一気呵成に近代国家の背中を追った。敗戦後の廃墟と混沌、衣食がままならない事態から猛然と立ち上がった。これらは、パトス的現象にぴったり適合する。

 しかし、明治30年の以降、敗戦後30年の以降は、目にもの見せるという事態は発生していない。パトス的火事場の馬鹿力の時代は永続しない。昔から、日本人は熱しやすく冷めやすいという。昨今、冷めっぱなしみたいである。

 パトスは感情的である。エートスは論理的である。感情は一時的である。論理は、倦まず弛まず鍛え上げるしかない。

 かつて、日本文化の伝統とはなにかが論じられた。津田左右吉(1873~1961)は、――日本的でないものを全て引いていけば残るのが日本文化の伝統――だとした。和辻哲郎(1889~1960)は、――ゼロに何を掛けてもゼロ――だとした。いずれも、具体的な日本文化の伝統を語っていない。

 柄谷行人は、――日本人はなんでもあり、無限抱擁性、すなわちさまざまの文化の雑居――であると主張した。柔軟で応用力がありそうにも思うが、裏返せば、「われ」が不確かで、したがって、なにかを受け入れても内面化しない。夏目漱石(1867~1916)の、――日本人は、外発的だが内発的ではない――という指摘と重なってくる。

 反省しないのは、ものごとを懐疑しないのである。現実主義といえば恰好がつくような気もするが、正確に言えば、行き当たりばったりで、その場主義、状況に対して日和見主義だと言えそうである。

 筆者流の日本人的精神を考えてみた。なんとか、もっと活気ある社会を作りたい。みなさまの思索の一助にしていただきたい。

2021年1月29日、ライフビジョン学会2021年総会 問題提起の講演より

 於 東京渋谷・オリンピック記念青少年センター


奥井禮喜    有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人