論 考

「すする」が消える?

 ひさしぶりにホテル・バーへ行く。スコッチを生ですすり、友人と歓談弾んで、気づけば4時間半が過ぎた。30年ほど前へタイムスリップしていた。

 昨日は、ボジョレ・ヌーボーの解禁「前日」だが、なじみのカウンターではまったく忘れていた。

 帰る時に、テーブル席で、若い方々がグループで楽しそうに飲んでおられたが、そちらはワインであったかもしれない。

 1980年代に、大宣伝して、ボジョレ・ヌーボーの賑わいは相当なものだったが、まあ、古典的バーは、お祭り雰囲気は似つかわしくない。

 スコッチ蒸留所も、温暖化ガス排出問題で頭を悩ましているようだ。なにしろ発酵・蒸留工程では石炭が中心だ。まったく、うっかり失念していた。ささやかな当方の身辺でも、COP26の騒動が無縁ではない。

 ウイスキーは高級感ある瓶入りだが、リサイクル問題があり、缶入りウイスキーの検討もされているという。

 いいウイスキーは、生で「すする」のが嗜みである。缶からショットグラスに注ぐのを想像すると、どうもいけない。ウイスキーをすするという言葉が死語になるかもしれませんねえ。