論 考

日本的習慣性

 コロナ感染は昨日、感染ゼロが29県、東京は7人、大阪も8人、全国で感染79人だ。10万人当りでは、岡山が3.49人、大阪が2.27人、2.00人未満が12都道府県、1.00人以下が25県、0.00人が8県となった。

 経済が期待したように回復しない。大衆居酒屋のお客も回復が低調らしい。一方、踏切で小田急の特急が通過するのを見ると、ほぼ満員に戻っている。

 今回の感染収束の理由が、いろいろ挙げられている。120日周期説も登場した。人々がリスク回避の行動を取っているのが素人目には、納得性が高い。

 感染収束傾向が顕著でも、人々の行動変化が容易に起こらないのだろう。ざっと2年間のコロナ・モードが習慣化しているのはまちがいない。行動変容が起こる前に態度変容が起こる。

 話が飛躍するが、世界ではCOP26のニュースで大騒動だ。外電と比較すると、邦字紙はどうも地味である。グラスゴー気候協定では、石炭火力の段階的廃止が削減にされて、熱い論評が飛び交う。

 日本は、かたじけなくも「化石賞」をいただいた。中国・インドが段階的廃止に待ったをかけたと報道するが、日本は、さらにその後ろに構えているわけだ。温暖化問題の議論も報道も、わが国はどうも低調である。

 だいたい、日本人は問題を外発的に受け止める傾向が強く、内発的に思索し行動することが不得手である。温暖化に限らないが、まずは、頭を働かせて、あれやこれやで元気な議論が湧いてくるようでないと、コロナ・モードから容易に抜けられないのではあるまいか。