論 考

中今の気風は日本人の弱点

 コロナ対策の大枠が発表された。常識的にそれなりの理解はできる。もう1つ、是非昨年から2年近くの対策のふりかえりを、独立したチームを作って研究・分析してもらいたい。

 たとえば、目下の収束状態について、何が決め手なのかは不明だ。ワクチン効果だという説が有力だが、諸外国では、ワクチン効果が出た後も感染が依然として収まらない。

 感染源を発見することが大事だ。しかし、保健所の聞き取りがほとんど間に合っていない。どの程度経路追跡が有効で、これからどうするのかという視点がおざなりでは、爆発的に感染拡大した場合、最悪を考えたはずの、今回の新しい提案がズタズタにならないとも限らない。

 東京都医学総合研究所の研究では、今年3月末の感染者は12万人だが、実際の感染者は47万人の可能性があると発表した。

 わたしが心配するのは、総合的対策には、知恵とマンパワーを総合的にまとめ上げなければならないが、依然として厚労省を中心にモグラ叩き的対処が打ち出されているだけに見える。

 「失敗の研究」という視点が、わが国は一貫して弱い。

 「中今」(なかいま)という言葉がある。過去と未来の真ん中のいま(今)のことで、無限の過去から無限の未来に至る通過点としての現在である。現在を賛美する言葉だ。

 いいじゃないの、いまがよければ――という気風で、いわば現在という「瞬間」にばかりに関心が強く、歴史的経緯や、問題の深掘りが手薄である。

 あるいは、せっかちで、論議していても、「結論を言え」とばかり、順々、淳淳にものごとを考えない。

 ふりかえりの力が弱いから、すなわち反省が弱い。反省が弱いから進歩できない。コロナ対策だけではない。――「中今」だけではダメだということを忘れないようにしなければならない。