論 考

政治家は自律せよ

 選挙結果に対する論壇動向に注目している。選挙において、安倍・菅9年間の政治を問うことを期待したが、結果から見ると、この問題は焦点化しなかった。あるいは、失敗したというべきだ。

 安倍・菅政治の中心人物はもちろん本人たちだが、政府・与党が全体として、その功罪を問われねばならない。その点、まことに人々は寛容である。日本的政治を雰囲気として表現すれば、いわゆる「まあまあ」「なあなあ」で、「いろいろありますよ」という辺りだろう。

 岸田氏ですら、「民主主義の危機」を感じたらしいが、選挙結果には、そのような危機意識を見出せない。これ、日本的寛容の結果である。

 本日の毎日新聞は社説で、「寛容な政治で国会再生を」と主張する。安倍・菅政治が寛容でなかったと暗に指摘する表現だ。しかし、それは寛容でなかったのではない。議会のルールを踏み越えて好き放題の専制政治をおこなったのだ。

 そもそも、政治家が国民に対して寛容だというのは中身がおかしい。国民が、政治家に対して寛容というのは、(前述のように)あり得る。政治家は、国民の負託に応えるべく、厳しく自らを律するのが筋道である。

 国民に対して寛容な政治をおこなうのは、専制君主に対する期待である。

 つまり、社説の見出しは、「政治家は自律した政治で国会再生を」というのが正しい表現だ。