週刊RO通信

Quality of Politics

NO.1430

 第49回衆議院議員選挙の投票日まで1週間である。前首相の菅氏が自民党総裁選に出馬しないと表明してから総選挙まで約2か月間、政治が空白だったか、新しい政治の揺籃だったか――を当面評価するのは選挙結果である。期待を一言で表現するならば、今回は未来に向けて、「Quality of Politics=政治の質」をかける選挙である。

 安倍・菅9年間の政治が長かったのは事実である。中身が薄く、政治に対する信頼を大きく毀損したのも事実である。極論すれば期間の半分以上が政治的空白期間であった。小泉時代から始まった、派手なキャッチコピーで中身グズグズの政治であった。オツム明晰の高級官僚が屁理屈答弁を重ねたのも到底忘れられない。全体の奉仕者たる誇りや自負はどこへ消えたか。

 政治は社会的紐帯によって成立する。すなわち、人々が1つの社会を皆のために円滑に活動させようという約束に基づいている。議会審議が信頼され、行政機関が信頼されなければ、直ちに目には見えなくても、政治が社会的紐帯を破壊する。内乱や内戦が発生している国との質的距離は遠くない。

 世界の民主主義先進国、民主主義精神の中核と見られていたアメリカで、1人のトランプが権力の座に就いて以来、なにが起こったか。共和党は、支配下の議会が、選挙結果の判断をする算段を着々進めている。トランプに扇動された人々が、バーバリズム(暴動)に反対する人は真の米国人ではないと叫ぶ。大統領選挙結果を認めない共和党は、いまも大活躍中だ。

 共和党的政治は、人事を握って合法性を演出する。最高裁人事は共和党の手中にある。共和党が握る23州は、バイデン大統領を擁する民主党の15州を上回る。そこではマイノリティ排除の投票権改革法を強引に推し進めている。経済は縁故資本主義である。欲望と野心を持つ連中が「怒れる大衆」を組織する。24年大統領選挙は、カオスの恐れありと危惧する声もある。

 安倍・菅、自民党政治を振り返れば、なるほどトランプ的共和党と比較すれば格段にスケールが小さく芝居小屋的だ。議会や記者会見で黒を白と言いくるめる弁論能力はない。ただし、まともに答えず、知らぬ顔の半兵衛を決め込んで、仕上げを議会多数で押し切るのは、エネルギーの消耗が少ない分、トランプ的共和党よりも熟達していると言えなくもない。

 野党が弱いとメディアは指摘する。しかし、中身がなく形式だけにせよ、自民党は数の力で議会を動かしてきたのであって、野党が言論において劣っているわけではない。コロナ政策で追い込まれた菅氏が辞任した。岸田氏が「民主主義が危機である」と主張したのは、自民党の中の良心であろう。

 ところで、総理・総裁に就いた岸田氏の人事は、頭越しか、包囲されているのかはともかく、3A(安倍・麻生・甘利)への親和性が極めて高い。総裁就任後の発言が、それまでのものとはだいぶ異なる。看板を架け替えて衆議院選挙を乗り越えれば、3Aを中心とした自民党内非民主主義勢力が、再びわが世の春を追い求めようとする可能性を否定できない。

 天下国家を語り、国士を気取るのは保守的議員の特徴である。そのタマネギを剥いていくと、残るのは議席のみだ。当選すればこっちのもの、自民党の危機は克服できたと考える。岸田氏が見せた自民党的良心が主流派ではないから、そうなると岸田内閣は頭上に3Aをいただくことになる。

 自民党勝利と民主主義回復は反比例関係にある。今回の選挙は、議員任期満了選挙であるが、安倍・菅9年間の政治の総括ができなければ、せっかくの選挙の意義が失われる。いかに日米同盟信奉者であろうとも、トランプ的アメリカの後塵を拝したいと願う人は多くはなかろう。

 問われるのは、選挙後の「QOP」(政治の質)である。選挙は、議会の構成を決めるのであって、本当の大事は、議会の活動によって「QOP」が向上することにある。そうではあるが、従来のような「一強多弱」では、何も変えられない。わが国には昔から、まことに遺憾千万ながら、勝てば官軍で、反省する気風が希薄である。

 かくして、政権党が盤石という体制がもっとも危険である。民主政治を安定させるためには、政権党の力が小さいほどよろしい。政局の安定がいかに政治を不安定にするか――これがこの間の大きな教訓である。