論 考

自民・立憲の配分論の中身の違い

 自民と立憲の公約をみると、(社会的富の)分配に経済運営の重点を移そうという言葉が共通している。

 経済成長を進めたいのも共通しているが、これの推進のためには消費と生産を活性化させねばならない。

 大方は勤め人だから、直接的な配分は賃金になる。従来の発想は、儲けるまでは労使一体で頑張って、獲得したパイを分配する考え方である。とすれば、儲からなければ払いたくても払えないという話に帰結する。

 これでは、言葉をいろいろ言い換えても、企業活動が活発化しないかぎり働く人の分け前は増えない。むしろパイが小さくなると儲けの分け前ではなく、マイナスの分け前、つまり負担の分配が大きくなる。

 商品の価格構成は、「賃金+原材料・動力費+減価償却費+利潤」である。

 パイ分配論は、パイが大きくなることを前提する。パイが大きくならない場合どうするか。上式では、原材料・動力費と減価償却費を一定とすれば、賃金と利潤は対立する関係にある。

 パイの増減にかかわらず、配分=賃金を増やすためには、利潤よりも賃金に経営ウェイトを傾斜させねばならない。

 安倍政権時代には、供給サイドの最大利潤を目的として、儲かったら払うという一見わかりやすい理屈に立って、働き方をシビヤにする作戦だった。名目賃金が同じでも、働き方がシビヤになった分、実質賃金が下がった。

 雇用制度では、非正規費用に依存して、賃金総額を抑えた。

 だから働く人の配分を増やすためには、利潤よりも賃金という考え方と、雇用における差別をなくするという2つのコースをめざさねばならない。

 これが立憲の配分論である。自民は、相変わらず儲けてパイをたくさん分配しましょうという配分論であって、中身はまったく異なるわけだ。