論 考

メルケル氏の魅力

 ドイツ連邦議会選挙の結果がもうすぐ明らかになる。事前の意識調査では政権与党のCDU/CSUが支持率22%、連立与党のCDPが25%の大接戦であるが、いずれにしても連立政権を打ち立てなければならないので、帰趨が注目されている。

 日本も自民党総裁選が大詰めである。目下は1回目の投票では、いずれの候補者も過半数獲得できず、上位2者による決選投票が予想されている。それが終われば、ようやく衆議院議員選挙への自民党の「顔」が決まって、各党一斉に選挙戦へひた走るわけだが、どうやら選挙は11月になりそうだ。

 菅氏が、コロナ感染拡大が原因で退陣を表明するや、感染が減少した。巷では、菅氏の心がけが政権寿命を縮めたという話も出ている。

 それはともかく、16年の長期政権を担ったメルケル氏を称賛する論調が多い。辞めても惜しまれない日本型と、国際的に惜しまれて去るドイツ型は鮮やかな対称である。

 もちろん、メルケル氏がすべての問題に関して上等な評価を受けたわけではないが、メルケル氏を評価する見解は、2つあると考える。

 1つは、超国家的デモクラットとしての姿勢が最後までぶれなかった。人間の尊厳に立つデモクラシー精神を貫いた。

 もう1つは、派手な言葉を吐かず、地味なパフォーマンスであった。とかく大向こう受け狙いの政治家が多いなかでは特筆大書である。

 そして、この2つを貫徹したのは、沈思黙考する人であるからだ。

 日本の政治家諸氏は、沈思黙考の意義をくれぐれも学んで自らの政治家精神を鍛え上げてもらいたい。

 昔、日本に留学した魯迅(1881~1936)が、「日本人は気が短い。直ぐに結論を言えという調子で、じっくり論議しない」と指摘した。これは、政治家ばかりではない。軽佻浮薄さは、少し付き合えばすぐにわかる。

 やがて来る衆議院議員選挙においては、1人ひとりが沈思黙考した結果を創造したい。