論 考

学ぼう、中国の挑戦

 J・ソロス氏は、中国が、IT企業・学習塾運営会社・オンラインゲーム・不動産バブルなどの統制に乗り出していることから、習近平氏は市場を理解していないと批判する。それは、資本主義的には当然の批判でもある。ただし、資本主義的視点だけで観察していると大きな所を見落としかねない。

 1978年、鄧小平氏が改革開放の旗を振った。描いていたのは貧乏克服である。貧しいユートピアに居続けるのではなく、豊かさをめざす。先に豊かになれる者は豊かになる。先に豊かになった者が引っ張って全体が豊かになる。「先富論」である。

 鄧小平的改革開放は、さらに、革命路線の根本的変革を意図していた。従来の革命路線は、いわば破壊である。破壊と建設は正反対である。しかし、容易に建設路線へ踏み出せなかった。大躍進政策の大失敗、文化革命と続いて、人々はほとほと疲弊していた。「実事求是」は、建設への精神的支えだった。

 2000年代、中国はGDP世界第2位となり、着々、意気盛んである。ただし、格差が拡大してきた。鄧小平氏は先豊を主張したのであって、格差拡大に伴う社会的弊害を放置するとは言わなかった。

 習近平氏は、鄧小平氏から順次バトンを引き継いだ者として、社会主義的市場経済の新展開をめざすのが、自分の役割だと考えている。格差拡大を解消させるのは「共同富裕」であり、鄧小平氏の次なる段階である。

 当然ながら、権力と資本の摩擦葛藤が発生する。これは、中国の特色ある社会主義を志向するのだから、世界初の壮大な挑戦である。

 資本主義側においても、新自由主義はあかんという声がだいぶ大きいが、中国の挑戦に比べると、いかんせん気宇壮大とはいかない。単純に、習近平氏の権力掌握として見るのではなく、中国的特色ある社会主義の移り行きをじっくり勉強して、わがほうの肥やしにしたいものだ。