週刊RO通信

医療崩壊を生んだ政治崩壊

NO.1420

 8月14日のコロナウイルス感染者は20,151人増加、累積で1,130,977人になった。10万人当り感染者は、ステージ4(感染爆発)の25人以上が35都道府県、ステージ3の15人以上では43都道府県だ。感染者は日本全体では1,000人当り約9人、東京都では100人当り約2人である。全国に感染が拡大している。

 13日小池氏は、「外出を控えてください。大雨もコロナも同じです。災害になります」と会見で語った。「コロナウイルスに勝利した証」のはずの五輪が終わったら、今度は災害として! コロナが登場した。従来は対コロナ戦争という「かけ声戦争」であった。戦争は人間領域だが、災害=天災へ格上げした。戦争には勝ったが、天災には勝てないという次第である。東京・神奈川・千葉・埼玉・沖縄の医療は実質的に崩壊している。五輪が感染爆発に貢献したのでないという。天災論は、お得意の責任逃れにみえる。

 昨年4月3日安倍氏は、「重症者への医療に重点を置く体制の整備など、国民の健康と命を守るための対策をちゅうちょなく実施する」と語った。ここには感染拡大防止の見解はない。医療体制によって命と健康を守る、要するに医療機関への丸投げであった。そして、雲行きが怪しくなったら、医療体制を増強する時間を稼ぐとして、人々に自粛を要請した。

 第1波が収まった当時、安倍氏は「日本モデルの成功だ」と語った。日本モデルの中身は、人々の慎重な行動である。人々に責任を丸投げしたのであって、政治家が、日本モデルでございますというほどの手柄ではない。自粛というのは、欧米のロックダウンと同じ、セルフ・ロックダウンである。

 人々が慎重に行動するのは大いに上等であるが、この1年有余、行政がなすべき事業をきちんと展開しただろうか。感染症対策の基本としての、早期発見の3つのT、Testing(感染者発見)・Tracking(感染経路経路)・Tracing(接触者追跡)は、当初から不十分で、その後改善努力が十分になされたであろうか。ある時点で医療体制が対応能力を持っているにせよ、感染拡大防止対策を取らなければ直ぐに間に合わなくなる。この舵取りをするのが政治の仕事である。

 政治家は「対コロナ戦争」を標榜したが、科学的見識が欠落した、出来損ないの政治的ロマンチック文学の披瀝であって、何の役にも立たない。根本的な舵取りができていないだけではない。与党政治家の立場は、対コロナ戦争にはあらずして、コロナ波に乗るサーファーみたいである。いままで、それが可能であったのは、まさしく人々の「自粛」が有効だったからだ。

 コロナウイルスとの戦いに打ち勝つというならば、その戦いは科学戦である。PCR検査を増やせば、陽性者が増えて病院が逼迫するから検査数を増やしたくないという関係者の発言がしばしば聞かれた。問題があっても、見ない振りをする処世術であって、とても非科学的である。前厚生医務技監が、PCR検査の精度を問題にしたが、では、何で感染の検査をするのか。仕事をしないための官僚的弁解テクニックでしかなかった。

 飲食店がコロナ感染の悪役として扱われているが、何度も指摘したように、飲食店は感染源ではない。たまたま感染した人が登場して他者に伝播するのである。だから飲食店の営業を制限するのではなく、感染者発見のために知恵を絞ることこそがコロナ感染拡大防止策の柱でなくてはならない。

 すべての仕事は、目標を設定し、実行し、検証(反省)のサイクルを段取りよくやらねばならない。この間、政府は4波にわたる活動実績があるが、それぞれの活動の検証作業をおこなったのだろうか。検証しなければ、何度でも同じ失敗を重ねるだけである。ここまでのコロナ騒動をみていると、感染症の危険性について理解が不十分である。いわば、初動体制からして粗雑極まる。コロナ騒動において、政治的には全く学習効果がない。

 医療体制の崩壊は、全体の対コロナ政策に骨が入っていないのだから、必然的に発生したというしかない。いわば、医療体制崩壊の前に、政治体制が崩壊しているというべきだ。小池氏の発言は、敗戦76年後の敗戦を意味している。政治家が中身のない「かけ声政治」に走るような事態に至ったとき、人々は天災と人災の増幅効果のなかに放り込まれる。