論 考

菅基準で考える愚

 東京は直近1週間の10万人当り感染者数が111.84になった。7月14日に41.40になり、以後連日新記録更新である。全国も盛大に増加中。

 さて、首相の顔が見えないとか、首相は自分の言葉で語れという意見がよく出される。菅氏も新聞を読むだろうし、側近諸君もかかる意見は知っているはずだろうが、まるで態度が改まらない。

 自分の言葉で語れというのは、菅氏が本音と建て前を使い分けていると見るからだ。しかし、そうではないと考えてみてはどうだろうか。いま表に出ているのが全部なのだ。

 まだ何か持っているのではないかというのは、お人よしの買い被りである。本人は、これ以上でも以下でもない。全部出しているのだから、本人は怖いものなしである。期待は気体で、宙に浮くのがおちだ。

 政治家が自分たちの権力維持と行使を価値基準としていることは、だいたいわかったのではないだろうか。ならば、人々が価値基準とするのは、それに対抗する工夫でしかない。

 たとえば、五輪をやっているのだから、われわれもこの程度ならよかろうと考えるのは菅基準である。それが頼りなくて危ないから、五輪延期・中止論が出ていたはずである。批判しつつ、一緒に流されていてどうするんだ(と、わたしは思うが——)。