週刊RO通信

アジア民主主義のフロンティア

NO.1401

 ミャンマーで2月1日、総選挙後の議会が開催される日の早朝、国軍によるクーデターが発生した。クーデターに抗議する人々が命がけで不服従運動(CDM)を戦っている。長く続いた軍政期を終え、新興の民主主義国として、経済面でも順調に発展しつつあった。「アジア最後のフロンティア」といわれて内外に期待を集めていたなかでのクーデターは虚を突かれた感じだ。

 ミン・アウン・フライン氏は大将というより、目立たない勤め人という風貌で、ましてクーデターを指揮する頭目にはとても見えない。事件はフライン氏の個人的野心だという説も流れたが、野心すら感じられない。たいした役者といえる。そもそも、クーデターに踏み切った理由が不可解だ。

 ミャンマーは日本の1.8倍の土地に、人口5100万人が暮らす。70%がビルマ族、他は少数民族である。民族コミュニティの結束が固い。仏教徒が90%というが、半世紀にわたる紛争、宗教的衝突もある。国軍は、いまだ内戦状態にあるとして、政治の舞台で行動する理由に挙げている。

 フライン氏は、2020年11月の総選挙が不正だと指弾したが、選挙管理委員会は直ちに公正透明であるとの見解を表明した。国連、米国、EUも選挙結果を支持して、国軍に対して結果を尊重するよう呼びかけた。

 野心説の根拠は、同選挙で、スー・チー氏の国民民主同盟(NLD)が全議席476中、396議席を確保した。国軍と気脈を通じる連邦連帯開発党(USDP)は33議席しか取れず、大統領選へUSDPから出馬するつもりだったフライン氏は当てが外れた。軍総司令官の定年が目前であり、容易にスー・チー人気に対抗できないから、クーデターに出たとみる。

 憲法は国軍を優遇している。選挙でNLDが大勝したが、3/4の議席についてであり、国軍司令官は議席の1/4に現役軍人を指名できる。また、国防・内務・国境の3大臣も指名できる。それでもフライン氏(が代表する国軍)は、国軍の存在感が不十分だという。権力の強欲には限界がない。

 1990年にスー・チー氏を押し立てたNLDが選挙で圧勝したが、軍政は政権委譲を拒否し、2010年までスー・チー氏を自宅軟禁した。15年11月8日の選挙でNLDが大勝して、ようやく政権を手放した。民主化が本格的に出発した。20年の選挙で圧勝したところで、今回のクーデターが発生したのだから、民主化の前進を期待する人々にとっては、四半世紀以上歴史を巻き戻すのと同じだ。大喜びからの落差分怒りは大きく切実だ。

 国政が利害関係をもつ政党に率いられるのではなく、国民一丸となって民主的国づくりをするために「無欲の」国軍が政治に首を突っ込むという考え方らしい。無欲どころかおおいに強欲だ。わが国二・二六事件(1936)の青年将校的純粋さみたいだが、こんな理屈が成り立っては混乱するのみだ。

 軍が国民から尊敬・信頼されるのは、国と国民の安全のために、いざという場合、敵に対して命を賭して戦うからである。軍の活動と国政が同じであり、軍による国民一体が構築されるのは、全国民が兵士になるだけである。フライン氏が代表する思想は、兵営国家であり、軍国主義国家に過ぎない。

 ミャンマーの兵員は41万人、陸軍38万人。国内少数民族対応で軽装備歩兵が主体の構成である。その伝統は1942年のビルマ独立義勇隊に始まる。独立したいまは、人々の生活が充実するように、社会が円転滑脱に活動するように国政を前進させるべきである。フライン氏は「国軍が政治を指導する役割をもつ」という考え方だが、拡大解釈である。極めて危ない。

 しかも、国家の暴力装置としての視線は、いまや、国軍であるにもかかわらず、100%国内向けだ。国民のための軍隊が、国民を圧迫・弾圧することに熱心である。国民の自由と平等、人間の尊厳を求める人々を抹殺する思想である。軍による政治は対抗する勢力を潰すか、潰されるかでしかない。

 人々が自由で、独立的で、自治的である国をつくるためには、座して待つわけにはいかない。人々の市民的不服従運動は、年齢、職業、階層を問わず広がっている。人々自身が治安維持に心を配り、買い占めなどもしない。不屈のDisobedience(不服従)には、日本人が知らないものがあるような気がする。いや、まちがいなくある。日本人は本気でNO!といったことがない。ミャンマーの人々のNO!に共鳴する。