論 考

何を後世に伝えるか

 震災10年の節目だから、新聞各社も力が入っている。ざらっと見て、キーワードは「忘れまい、伝えよう」ということにある。

 これは大切だが、被災そのものの苦悩を伝えるだけでは十分ではない。個人の苦悩は長くかかってもやがて消えていくものであるし、消さねばいつまでも苦悩に生きねばならない。また、直接体験しなかった人が、体験した人と同様の苦悩を保有するわけでもない。

 大事なことは、復興対策がどうであったか。混乱からいかに立ち上がったか。たとえば、復興住宅が完成するまでに10年近くを要したのはなぜなんだろうか。文句が言いたいから言うのではない、復興が、中身も流れも言うことなしではないだろう。「これまでの復興の何が問題だったのか」というマターを設定することが、将来に伝達するべきポイントである。

 「復興五輪」を掲げたが、その内容は何か。五輪誘致のための方便でしかなかったじゃないかという声は多い。これでは被災地の方々は体よく利用されたに過ぎない。被災地の方々は、そう思っても自分では言えないだろう。だから、私は言う。「復興五輪とは何か?」、そしてどうなっているのか。

 「コロナに勝利した証としての五輪」というコピーも、仮に開催したとしても、とても勝利と言える代物ではない。五輪開催しても勝利ではない。なにをもって勝利というのか? 

 中身空疎な形容詞だけが躍る。このような情けない事実を直視して、改善していくように後世に伝達しなければならない。