論 考

3月8日

 1908年3月8日に米国で、参政権のない女性労働者が労働条件改善を求めてデモをおこなった。1910年にコペンハーゲンで開催された国際社会主義者会議で、クララ・ツェトキン(1857~1933)が、これを記念して提唱したのが婦人デーの始まりで、いまの「国際女性デー」は75年に国連で決定した。

 わが国で女性活動の記念碑の1つとされるのは、平塚らいてう(1886~1971)らが起こした女性だけの雑誌『青踏』(1911)である。そこから多くの女性活動家が育った。25年ごろから、らいてうらは婦人参政権運動を始めるが、遅々として進まない。そして31年満州事変から45年までの15年戦争に入る。

 らいてうは、45年7月26日に発されたポツダム宣言を何度も読んだ。婦人参政権が近づいているのを感じた。46年11月4日、日本国憲法公布。らいてうは大きな感動をもって迎えた。同時に、20年ほど参政権運動をしてきて、あっけなく参政権を手にしたことについて、素直に喜べないと感じてもいた。(『わたくしの歩いた道』)

 それから75年が経過した。今朝の新聞を見ると、いまだ道遠しである。制度が変わっても、人のものの考え方は容易に変わらない。なおかつ、政治的・社会的ベクトルを合わせるためには、問題にぶち当たるたびに執拗に声を上げることが大事だ。今回、森氏の発言にワーッと反論・批判が上がったの、素晴らしい。やはり人々は変化しつつある。