論 考

落穂拾い

 世間はコロナ騒動だが、自分の生活身辺はあまり変化がない。テレビを見ないのが、精神安定に貢献しており、その分、現実の社会意識とはかけ離れているに違いない。新聞は目下1紙だけで、ネットで内外数紙を検索し、必要に応じて他の新聞も購入して読む。

 それらの日々のメモは50万字、日記らしきものが60万字、年間では110万字程度の記録を作っていて、そこから原稿を作成するという段取りだ。

 読書メモは累計140万字になった。最近は、以前読んだものを反芻して考える作業に重点を置いているし、古書中心で、新刊はほとんど読んでいない。 好きな本ばかり読んでいるわけだ。

 新聞などの新刊批評はよく読んでいるが、どうも、直ぐに読んでみたい本がない。いままで読んだ古典のささやかな知識に比較して、食指が動かないわけ。古典の応用というか、細部にはまっているというか、新刊の新鮮さ、見事な創造性を感じない。一言でいえば、自分は「落穂拾い」をやっている。

 ちょっとキザではあるが、あちこち行かなくても、目の前に無限に広がる世界がある。とても退屈する余裕がない。