週刊RO通信

「敵・味方」論が人間と社会を退化させる

No.1206

 最近の政治家は権力奪取・維持のために、人々を敵か味方かに峻別する連中が多い。選挙戦といい、舌戦というにしても、議会は言論の府である。議論を深めることを無視し、敵・味方論に執着すると、やがて社会は退化する。

 安倍氏が秋葉原で都議選の応援演説をした。「辞めろ」「帰れ」コールが湧いた。たちまちオツムに血が上って「こんな人たちに負けるわけにはいかない」とやった。自分が議会で野次「首相」していることは忘れている。

 余裕がない、ゆとりがない。モノゴトが自分の思うように運ばないとき、ついつい、本音が出てしまう。この人はそれが格別多い。政権末期にNHKのカメラだけに向かって話した佐藤栄作氏を思い出した。

 日ごろ、周辺を固めているのは、忖度とヨイショ競争を生業とするエキスパート(日本語では茶坊主という)ばかりにみえる。安倍的自民党には、諫言する人はもとより、不満や抗議の声を上げる面々がおられないらしい。

 わが国のデモクラシーの根の浅さ、線の細さを痛感させてくれたのは安倍氏であった。憲法も法律も、「わたしがルール」とばかりの好き放題。政府の最高責任者とは、憲法・法律に最も忠実でなければならぬことすら知らない。

 イギリスでマグナ・カルタ(大憲章)が制定されたのは1215年6月15日。父や兄を裏切り、莫大な領土を失い、法王インノセント3世に破門され、なおも暴政を続けるジョン王に対して人々の怒りがぶつけられた。

 中世の人々はいずこの国でも国王の所業を大目に見た。なんとなれば、悪政にせよ、社会が混乱して無秩序になるのよりはマシだという考え方だ。しかし、ついに「ジョンは嫌悪するもの以外の何物をも持たず」と指弾される。

 貴族が王に対して「忠誠破棄の通告」を突き付けた。暗愚の君主に対する戦いの通告である。あなたに対して忠誠は出来ません! それに屈服したジョン王が貴族の前でマグナ・カルタに署名した。

 ――ここに国法あり。共同体に属する権利あり。王は、そのいずれをも尊重すべし。王にして、これを犯すことあれば、忠誠はもはや義務に非ず。臣民は反乱する権利を有するに至る。――

 これは、もともとは貴族たちが貴族的特権の尊重を要求したものであったが、イギリスの人々は、ここから国民1人ひとりの「自由」への道筋を読み取った。かくして、後代は「イギリス人の自由の憲章」と呼んでいる。

 もちろん、それから一気呵成にデモクラシーに至るわけではない。ホッブス(1588~1679)が『リヴァイアサン』を著したのは1651年である。自然状態では、人間は、万人が万人に対する闘いの状態にあると主張した。

 人々が信ずるものは己1人という気風は、弱肉強食、万人敵視である。そこから人々を救済するためには、絶対的不可侵の君主権が必要である。君主は人々の生殺与奪の権を掌握し、人々は、それに絶対忠誠するべしとした。

 しかし、これでは、ジョン王の時代から前へ進んでいない。結局、ホッブス論は、無秩序は嫌だ。秩序維持のためには、悪法・悪政もまた法であり政治であるから、それに従えというのと同じである。

 万人の意思や力を取り上げるのだから人々を非人間化するのと同じだ。おりからイギリスはクロムウェル革命時代で、秩序紊乱の最中であったから秩序を格別強調した面があろうが、これではデモクラシーへ進みえない。

 その後、ロック(1632~1708)が『統治二論』(1689)を、モンテスキュー(1689~1755)が『法の精神』(1748)を、ルソー(1712~1778)が『社会契約論』(1762)を著して、デモクラシーの扉を開いた。

 デモクラシーは人間観から生まれた。人間はいかに生きるべきか? という切実かつ難しい問題を考え抜く中から「個人のありたい生き方の総和としての社会=デモクラシー」を発明した。

マグナ・カルタから800年余、わが国では、いまだホッブス的人間観をもって、ホッブス的政治を展開する政党が政権にある。自民党には、基本的人権を口にする人をアカだと「鑑定」する議員が少なくない。

西欧800年余のデモクラシーの行程と比較すれば、わが国の戦後70余年のそれは、時間も短く、鍛えられ方もヤワである。いまの政権中枢のような考え方では、デモクラシーからますます後退するばかりである。