みんなのコラム

母の絵

POOH

 先日、母が他界した。享年97歳であった。

 大正8年、群馬県桐生市に生まれた母は幼くして両親を失い、妹や弟はバラバラに親戚に預けられたという。長女だった母は13歳で織物工場に奉公に出された。

 敗戦間際の頃、弟が肺病で草津温泉近くの隔離病院に入った。その時、荷物をかついで付き添った思い出を語っていたことがある。敗戦後、父と見合いして結婚。長女が生まれたが間もなく交通事故で失う。その後、3人の男の子を生んだ。その末っ子が私である。

 戦争の時代を乗り越え生き抜いた母の労苦は、今の私たちの暮らしからは想像に難い。当時は多くの日本人が皆同じような体験をしているのである。そして戦争が終わってもなお混乱が続く中、戦後の平和な社会の訪れがどれ程解放感に満ちていたかということは容易に想像できる。満足に教育も受けられなかった母は我が子らを優しく、そして自由に育て、ささやかで幸福な家庭をつくった。

 父が先立った頃から母は短歌を詠むようになった。自らの人生をふり返りつつ詠んでいた。その母の歌集を読み返すと誠実な母の生き様が伝わってくる。今にして思えば私は母の背中で多くの事を教えられ、私の人格が形成されていったように思う。

 私は勇気を振り絞って、旅立つ直前のベッドに横たわる母の寝顔を1枚の絵に描いた。なんだか仏様の顔のように見えた。

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