週刊RO通信

感情を思想へ、徳のある繁栄へ

NO.1380

 時代が下ってくるほど社会は進歩してきた。おかげで地球と人類をぶっ飛ばすほどの科学的進歩! の時代に、わたしたちは生きている。しかし、まさしくその科学的進歩が福音か否かを問わねばならない。人間精神の野蛮性が浜の真砂と同じように尽きせぬ奔流として世界を覆っている。

 知性は意志に奉仕する。いかに知性が高まったとしても、意志が野蛮であるかぎり真の進歩はない。意志は感情に支配されやすい。意志の価値は感情の価値ではない。感情は生命そのものだが、人間の進歩を支える思想ではない。感情を思想の価値に転換しなければならない。

 経済の発展と並行するように人間精神の物質化が加速した。功利主義と便宜主義が知性獲得の源泉となって、牧歌的な野蛮が後退した代わりに狡猾な野蛮が台頭した。狡猾な野蛮を支えるのは知性である。世界の繁栄は知性がもたらしたものだが、徳の裏付けがない繁栄が巨大な格差社会を作った。

 トランプ氏の4年間を見ていると、こんな理屈が浮かんできた。トランプ流思考と行動は、自我が育つ前の幼児的お山の大将である。74歳の精神的幼児が、大統領職という面白く退屈しない玩具を手に入れた。退屈な不満を抱えている人々にとって、74歳の幼児の素行を見るのは面白いらしい。

 見るだけであればやがて倦むのだが、さすが精神的幼児74歳の芸達者である。次から次へとトラブルを引き起こして退屈させない。幼児は素直に嘘をつく。嘘をついている意識がないほどに悪びれない。嘘とわかっているが、見る人々もまた「Red mirage」を追い続けた。

 これが、リンカーン(1809~1865)を偉大な政治家と慕う人々の国に現れた4年間である。『リンカーン演説集』(岩波文庫)をまた読んでみた。

リンカーンは1860年、大統領に指名されたとき、生い立ちについて記者から問われた。彼は、「そんなことを聞くのは愚の骨頂だ。『貧しき者の短くもまた単純な一生』にすぎないのだから」と応じた。

 厳しい辺境に生まれて育った。もの心ついたときから貧困との戦いである。未開の森林の中の家で暮らし、8歳から斧を手に開墾に従事した。斧は23歳まで片時も手放さなかった。口先だけの故郷ではなく格闘した故郷である。

 学校教育は1年にも満たなかった。勉強は、すべて自学自習、英文法を学んだのは23歳からである。そうして弁護士免状を獲得した。教育のないことが残念で、出来得るかぎり勉強した。「短くもまた単純な一生」という言葉に人格が滲んでいる。これぞ叩き上げ、苦労人の見本である。

 「もし、われわれが、現在どこに立っているかをまず知り、また将来いずれの方向に向かおうとしているか知ることができたならば、何をなすべきか、またこれをいかになすべきかにつき、よりよい判断を下すことができましょう」。これは1858年6月16日の共和党大会演説である。奴隷制擁護をめぐって、建国の精神が暗礁に向かっていた。放置すれば奴隷制が全国的に拡大する。ここで決心して阻止せねばならぬ。大局観をもって立ち向かおうという、リンカーン生涯の二大演説の1つの冒頭の言葉である。

 もう1つが、63年11月19日の有名なゲティスバーグ演説である。南北両軍の1/4の兵士が斃れた地に作られた国有墓地で、鎮魂の式典がおこなわれた。沈痛な低い声で語られた短いものである。「神のもとに、新しく自由の誕生をなさしめるため、そして人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させないため、であります」と結ばれた。

 リンカーンは、内外の恒久平和を見据えて、ひたすら政治を真理に向けて舵取りした船長だった。真実と正義に基づいて政治をおこなう。この真剣・真摯な政治家が凶弾に倒れたのは1865年4月14日であった。詩人ホイットマン(1819~1892)は、「ああ、船長よ! わが船長よ! われらの恐ろしき旅路終わりぬ」と慟哭の詩を捧げた。

 世界中でポピュリズムが台頭したといわれて久しい。問題の原点・核心が何なのか、内外政治において、リンカーンのような雄渾にして的確な対処の演説を聞いたことがない。ポピュリズムが新たなポピュリズムを生む、ポピュリズム・パンデミック状態だと言いたくなる。バイデン氏当選、コロナとポピュリズム、2つのパンデミックに対する闘いの画期にしたい!