月刊ライフビジョン | 論 壇

唯一の被爆国政府の矜持が問われる

奥井禮喜 

――核兵器禁止条約、21年1月22日発効へ――

 2017年7月7日、「核兵器禁止条約」が国連本部の交渉会議において、国連加盟の2/3に当たる122か国・地域の賛成で採択された。要旨は、

 ① 核兵器は壊滅的な人道上の結末を招くから、完全除去が必要。

 ② 開発・実験・製造・保有・貯蔵・使用・委譲・威嚇行為の禁止。

 ③ 核兵器保有国の参加も促す。

 ④ 核兵器の廃絶に向けた被爆者の努力を認識し評価された。

 ⑤ 9月から署名を開始、50か国批准すれば、90日後に条約が発効する。

 核抑止力の欺瞞性を突いた。核による安全保障どころか危険性が高まった、というリアルな認識が122か国・地域に共有された。作らず・持たず・使わず・持ち込まず――まさに全面的核兵器の禁止を求める条約である。

 日本は、賛成しなかったし、批准もしていない。

 米英仏は共同声明で、「国際的な安全保障環境を無視したイニシアティブである。北朝鮮の深刻な危機に対する解決策がない。条約に参加しない。核兵器に関する法的義務にはなんら変化はない」というものであった。

 それから3年後の20年10月24日、50か国・地域が「核兵器禁止条約」を批准した。来年21年1月22日に発効する。快挙である。米英仏の共同声明のように、批准しない国に対する法的拘束力はないが、「核兵器禁止条約」に結集した人類の叡智と真剣な勇気が示す国際世論を無視することはできない。

 理屈をいえば、「核兵器禁止条約」に反対する理由は、核保有国にもない。なぜなら、核保有国自身が、他国に対する不信感が大きいから、自国防衛のために止むを得ず核兵器を保有したのであって、核兵器保有が国家成立の要件だと考えているわけではないからだ。

 だからこそ1970年に、「核兵器不拡散条約」(NPT)を締結したのである。つまり、「核兵器不拡散条約」の上位概念が「核兵器禁止条約」である。核兵器保有国であっても、本来、「核兵器禁止条約」の精神・趣旨に反対する理由はない。「核兵器禁止条約」の理論的正当性は論破できないのである。

 日本が米国の核の傘の下にあるのも、もともと、好んでそうしているわけではない。止むを得ずそうなっている。事態が核廃絶に向けて前進したにも関わらず、これを歓迎せず行動を起こさないのは、本気で問題を考えていない。

 唯一の被爆国というが、広島・長崎に原爆を投下された後、1954年に、焼津を母港とするマグロ漁船第五福竜丸がビキニ環礁でアメリカの水爆実験による「死の灰」を浴びた。55年に市民が中心となって「原水爆禁止世界大会」を呼びかけ、世界中に共感の渦を巻き起こした歴史がある。

 やがて締約国会議が始まるが、そこへオブザーバーとして参加するのは最低限の義務である。唯一の被爆国であり、核兵器保有国と非保有国の「橋渡し役」を唱えてきたのが、本気であったか、その場しのぎであったか。政府が問われているのは当然であるが、国民1人ひとりもきちんと自分の考えを表明するべき時である。

――核兵器で平和を創造できるものかどうか――

 核兵器問題は、近代以降、科学的合理的思考に依拠してきた人類が直面する最大の哲学的課題である。科学的合理的思考が生み出した核兵器は、人類に恩恵をもたらすどころか全世界の滅亡の道具だからである。

 しかるに、政治家らは核兵器を保有すれば、自国の安全が守られると考えているようである。これはつまるところ、核兵器神話というべきものだ。全世界滅亡の道具に安全=平和の祈願をするのであるから、神話というより表現の方法がない。そして、これこそ知性の後退の見本である。

 核保有国は、アメリカ・ロシア・中国・イギリス・フランスに、非公式の保有国! イスラエル・インド・パキスタン・北朝鮮を加えて9か国である。これら各国は、いわば9か国内において核兵器を保有する必要があることになるが、保有数によって仮想敵国を圧倒したとしても、なんら安全の保障がない。まさに核兵器神話による信仰である。

 核兵器は破壊力が巨大なだけであって、平和を創造する力を持たない。核兵器がもたらすのは、すべてが死滅した墓地における静寂のみだ。

 つまり、いざ一戦に備えて核兵器を保有しているのだが、なんのことはない、保有国の人々は名誉ある保有によって、自らが自国の核兵器の人質になっている。使えないから使わない——広島と長崎に原爆が投下されて以来75年間、核兵器は使用されなかった。ご神体は、世界の滅亡を招く危険なゴミである。イワシの頭も信心のリアルには牧歌的雰囲気があるが、核兵器はアイロニーというよりも言語を絶するバカの見本でしかない。

 「核兵器禁止条約」は、裸の王様ならぬ愚の骨頂の核兵器信仰に対して、知性と理性という対抗手段を提示した。

 政治権力というものは、つまるところ軍事力であり、それが経済力と世論が従属するとき全体主義の相貌を現す。

「核兵器禁止条約」は、それに対して、世論をつくる1人ひとりの知性・理性に働きかけるものである。違う表現をするならば、国家主義に対して、個人主義の大切さを思い出せというのである。1人ひとりが本当に平和を望むのであれば、個人として平和のために立とうではないかという呼びかけである。

――軍事力強化は戦争政策である――

 わが国でも、前内閣は、似非「積極的平和主義」を唱えた。その実態は「積極的軍事主義」にすぎない。平和を唱えつつ軍事力に頼るのは、軍事概念である。平和戦略とは政治概念であるから、似非「積極的平和主義」の本質は反平和主義である。

 ある国の軍事力強化には二面性がある。1つは、自国の軍事力を強化するのであり、2つには、他国の軍事力強化の阻止、弱体化を狙う。A国とB国は、互いに自国の軍事力強化を図り、相手国の軍事力弱体化を狙うのであるから、すでに戦争の原因が軍事力そのものである。軍事力をもって平和をつくるというのは危険な言葉遊びにすぎない。

 政治における平和戦略とは何か? 軍事力を強化する原因は、AB両国相互における不信感であるから、不信感を取り除くための政治的働きかけをこそ強化するべきである。相手国に働きかけるのが面倒だから、安直に走って、自国の軍事力を強化する。その結果は、相互不信感をさらに増加させるのみである。

――自国第一主義は戦争政策である――

 アメリカの軍事政策は、昔から基本的に自国第一主義であって、平和戦略とはいえない。世界中の人々が注目させられた1960年から75年のベトナム戦争の衝撃が大きかった1970年代いっぱいは、アメリカをして「世界の警察官」という表現は、明らかに批判したものであった。それが、時代が下がるにしたがって、これまたパックス・アメリカーナという信仰を生み出した。

 なるほど、社会秩序を維持するために警察官の仕事は必要である。しかし、いま、アメリカで警察官の暴挙から、「BLM」(黒人の命も大切だ)の大きな波が起こっているのは皮肉なタイミングであるが、アメリカ第一主義そのものが、世界中に無責任な介入を引き起こしてきた。

 カント(1724~1804)は『永遠平和のために』において、世界貿易が盛んになることが平和への道筋だと指摘した。貿易は輸出して儲けるだけではなく、輸入して自国の生活の至便を得る。相互尊重・相互利益・互恵平等の精神が作用している限り、平和である。貿易は戦争状態では成り立たない。大局的にみればカントの指摘は正しい。

 しかし、異常な大統領の登場によって米中貿易のみならず、世界中の貿易がズタズタにされた。そこへ降ってわいたのがコロナ騒動である。トランプ的アメリカ第一主義が、いかに自国に熱烈信者を擁していようとも、知性と理性に照らしてみれば、まったく理不尽極まるものである。

 もし、アメリカがここまで乱暴な自国第一主義の経済戦略を進めていなかったならば、コロナ騒動における世界的連携も効果的なものになったかもしれない。実際、トランプ氏のコロナ対策が国民から批判されるや、ひたすら中国叩きに狂奔する。異常な大統領の国が世界秩序を守る警察官の役割を果たせるわけがない。

 わが国の政治家もまた異常である。日米同盟といえば、もはや思考停止から抜け出せない。世界的に乱暴な大統領とうまくやったというような、政治学者・外交評論家の提灯論評をみるにつけ、この国は、すでにプライドを持ち合わせていないのかと思わざるを得ない。独立国としての矜持があるのか!

 話を戻す。

 「積極的平和主義」というのであれば、日本国憲法前文に恥じない国造りと外交を推進するのが正道である。「核兵器禁止条約」が発効すれば、締約国会議が始まる。締約国会議に日本がオブザーバー参加するように求められている。これは、日本政府が正道に戻る大きなチャンスである。

 日本政府は、「核兵器禁止条約」に際して、――日米同盟下で、核兵器を有するアメリカの抑止力維持が必要である――から、日本としては批准しないとした。しかし、核保有国と非核保有国との間の「橋渡し役」をすると公言してきた事実がある。政府の核兵器に対する建前は「被爆の実相を世界に発信し、核兵器のない世界に向けてリーダーシップをとる責務を有する」ということであるはずだ。

 もし、「核兵器禁止条約」発効によって、核保有国と非核保有国との間の意識が分断されると懸念するのであれば、なおさらのこと、「橋渡し役」の出番である。「橋渡し役」を自認してきたけれど、今度はそれを辞任するのだろうか。

 君子は豹変するという言葉もある。締約国会議に参加して、積極的に発言してもらいたい。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人