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事実の解明に努力を続けよう

ライフビジョン学会

ライフビジョン学会2017年度 総会学習会報告 2
 2017年5月20日10時から19時、国立オリンピック記念青少年センター(東京渋谷)でライフビジョン学会2017年度の総会と公開学習会、懇親会を行いました。

 恒例の総会学習会では、桜美林大学・高井潔司教授から、「事実の解明に努力を続けよう」と題して問題提起をいただき、続いて参加者全員によるミーティングを行いました。


問題提起 ―――――――――――――――――――――――

なぜ事実に力がないのか

高井潔司 教授

桜美林大学

リベラルアーツ学群メディア専攻

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て現職。

 最近、手にした本を読んで考えたことや大学の学生とのやり取りを通して感じていることを中心にお話したいと思います。

ポスト真実の時代

 私は大学でメディア論を講義しているのですが、昨今のメディア事情の変化は凄まじいですね。大学は本当に変化に対応できていない。ほとんどの授業が新聞を中心に置いて設定されているんです。授業題目を紹介しますと、「ジャーナリストへの道」なんてまあ何とかごまかせるのですが、「新聞の世界」、「社説を読む」、「地方紙を読む」、「英字紙を読む」なんて授業はほとんど成り立ちません。うちの学生なんて1割も新聞を読んだことがないし、何で新聞なんか読む必要があるかという姿勢です。レポートを書かせると「新聞」を「親聞」と書く始末です。
 そういうわけで、学生たちに授業に関心を持たせるために、毎日、新しい「インターネット」というメディアを意識し、それと比較しながら、新聞などのマスメディアについて講義しています。確か2年前もこの会合で、新聞とインターネットを比較して、インターネットが便利であるがゆえに一方では大変危険なメディアであるといった指摘をすると、学生たちが新聞記者出身の私に反発するとお話しました。「リア充」なんて言葉も紹介しました。
 ところが、昨年あたりから、インターネット上の情報は誰が書いたかわからない無責任なものが多く危険だと学生が言い始めました。イギリスの「ポスト真実の時代」ですね。オクスフォード大辞典を出版しているオクスフォード大学出版局が昨年の流行語として選んだのはこのポスト真実でした。真実、事実が重視されなくなった時代ということですね。
 これにはメディアの主流が新聞などのマスメディアからインターネットへ移行してきたことと関係していることはいうまでもありません。新聞やラジオというメディアは世界的に、第1次、第2次大戦で、軍部に統制され、あるいは協力して戦争に深く関わってきました。戦後アメリカをはじめ西側の諸国では、「自由で責任あるメディア」を目指し、事実報道を目標とするジャーナリズムを心掛けてきました。情報の信頼性を高めるための取材網をしっかり持っています。
 しかし、インターネットは例えばヤフーなどのニュースサイトでも、ほとんどの記事は新聞社、通信社、テレビ局のデジタル版に掲載されている無料の記事を転載したり、リンクを張っているだけで、自身は取材組織を持っていません。ニュースサイトでは広告収入を稼ぐためにアクセス、クリック数を増やせるよううな記事を選別して、アップしています。8本くらいのトップニュースの半分は芸能、スポーツの記事であり、とても民主主義を維持していくようなレベルの記事の量も質もないわけです。
 ネット利用者の行動から見ても、ネット上には様々な情報であふれていて、とても処理しきれない。簡単に読める、見た目がきれい、わかりやすいといった基準で、どんどん画面を変えていく。
 犬塚千葉大名誉教授は、信頼性を重視するマスメディアと比較しながら、インターネットは、情報の素早いやり取りを重視する点に着目し、それを応酬性と定義しました。学生の質問の中に、「新聞の方が信頼性はあるんでしょうけれど、新聞は主義、主張を押し付けてくる。ネットは事実だけ伝えていて中立的だ。それにしても新聞はいつまで森友学園をやっているんでしょうか」というのがありました。首相や役人の事実隠しに怒りがまるで感じられない。次の面白い話を待ってるんですね。これでは首相たちの思うつぼで、うやむやにされかねません。

情報の非対称性

 学生と私では、同じニュースのテーマでも、見ている情報が違うんですね。情報の非対称性というわけです。この言葉は2000年代、中国で反日デモが繰り返された時、日本、中国のメディアが伝える情報が全くすれ違いで、異なった情報を提供して対立を煽りました。それぞれのメディアが国籍を持っていて、そうした現象が起きたわけですが、いまや日本国内で起きている。それもから、虚実織り交ぜさまざまな情報が飛び交っている。
 もともとはそれを個人が検索して、自分の好みにあった情報、知りたい情報を集めていたわけですが、最近ではフェースブックなどSNSの発展で、好きな者同士が集まって、グループ内で情報をやり取りしている。友人の一人は経済団体の職員だったんでしょう。きっとマスコミに進みたかったんでしょう、雑誌社の編集長か通信社になったつもりで、あちこちのサイトから自分の好きな記事を一日20本くらい送ってくる。現役の新聞記者も数人、同じように記事を送ってくる。自分の書いたのではなくあちこちから拾ってきて発信する。そんな暇があったら取材でもしろよと言いたくなるほど。
 それはともかく、この人達の配信を読んでいたら、もう安倍政権なんかすぐ倒れそうに思えてくる。情報源が偏っているんですね。一番多いのが日刊ゲンダイ、それにリベラル系のブログや東京新聞だ。事実を極めるというより、自分の好みにあった情報を拡散しようとしているだけだ。しかし、他のグループは他のグループで、自分たちの好みにあった情報を交換し合っている。異なったグループ間のコミュニケーションは全くない。
 社会が分散化し、砕片化しつつある。以前は、代表的ないくつかのマスメディアが情報を吟味し、信頼性を大事して、情報発信していて、マスメディア間の競争と対話があったから、世論は収斂していた。私がまだ記者をしていた20世紀は、読売と朝日は競争していたとはいえ、戦後民主主義の枠の中にいたが、いまの読売は戦後民主主義から出て、それを見直そうとしている。安倍首相ほど歴史修正主義ではないが、ともかく憲法は改正できるものであり、やってみたいという願いがある。
 憲法改正はともかく、メディアの主流が、情報をしっかり吟味し、真偽を見極めていこうという姿勢がない。マスメディアも、インターネットの砕片化という流れに影響されている。

マスメディアとインターネット

 マスメディアは戦後も権力によって操作されてきたし、それ自身がエリートメディアであって、大衆から見れば言論を独占してきた。ネットの出現は反論、反抗の好機。
 ただマスメディアは責任あるメディアとして、事実を追い求めるという理想を掲げており、事実に立ち戻るバネがある。21世紀に入ってからの出来事で言うと、アメリカでは、メディアはブッシュ政権によって、操作されイラク戦争に導いたが、戦争後ではあるが、その操作の事実を明らかにしたのもマスメディアだった。
 事実とは何か? 隠された事実を極めることは難しい。実は、SNSも操作可能であり、すでに述べてきたように、元々、事実を重視しておらず、てっとりばやく情報をやり取りする応酬性を追い求めているから、事実回帰へのバネが弱い。
 嘘、デタラメを「オルタナティブファクト(もう一つの事実)」と言いくるめ、「フェイク」情報が居直ってしまい、真実があいまいにされる。

言論の自由とは

 国会では、議論のすれ違い――実りない日本の国会の論戦。言いたいことを言うのが言論の自由ではなく、他人の意見の発表権利を守り、議論を深めることで、真理に至る。
 フランスの哲学者、文学者のヴォルテールに「私は君の意見に賛成しない。しかし、君がそれを言う権利は命を賭けても守ろう――」という名言があるそうですが、他人の話を聞いて自らを振り返り、己の足らざるを補うという謙虚な姿勢がなければ、民主主義の原理は全く機能しません。そして、議論というのは互いに事実を求めるために、それぞれが「事実」とみなしている議論をたたかわせて、「事実」に近づこうという姿勢が必要だ。そもそも「事実」をないがしろにした「議論」は成り立たない。
 今年初め、中国の友人からおもしろいと勧められた本についてここで少し話します。「サピエンス全史」上下、河出書房新社です。この本はよく見る文明の発展史を年代を追って綴る歴史書と違って、どのようにしてホモ・サピエンス(現生人類)はサピエンス全盛の地球を築いたのか? という問題意識から考察しています。メディア論的に読むと非常に面白く、勉強になります。本のさわりを紹介します。
 どのようにサピエンス全盛を築いたか。筆者は、7万年前あたりにサピエンスに起きた認知革命にあるといいます。それも陰口から神話、虚構、宗教へと発展した認知革命にある、と。

虚構が協力を可能にした

 ホモサピエンスは(旧石器人の)ネアンデルタール人をはじめ、他の人類種をすべて中東から追い払ったばかりか、地球上からも一掃してしまった。ネアンデルタール人の方が、肉体的にはサピエンスよりずっと上回っていたようですが、サピエンスは彼らを追い払い、驚くほど短い期間でヨーロッパと東アジアに達した。
 「ほとんどの研究者は、これらの前例のない偉業は、サピエンスの認知的能力に起こった革命の産物だと考えている」
 「7万年前から3万年前にかけて見られた、新しい思考と意思疎通の方法の登場のことを『認知革命』という」と言います。

認知革命とは?

 この認知革命がどう起きたのか筆者は書いていませんが、その特徴を他の動物と比較しながら、こう説明します。
 「多くの動物が口頭言語を持っている。たとえば、サバンナモンキーはさまざまな鳴き声を使って意思疎通させる。動物学者は、ある鳴き声が「気を付けろ!ワシだ!」という意味だと突き止めた」
「私たちの言語は驚くほど柔軟である」
「現生人類は友人たちに、今朝、川が曲がっている所の近くでライオンがバイソンの群れの後をたどっているのを見た、と言うことができる」
「すると、集団の仲間たちはこの情報をもとに、川に近づいてライオンを追い払い、バイソンの群れを狩るべきかどうか、額を集めて相談できる」

陰口、噂話、伝説、神話そして集団

 危険、危機を予測し、その対応策を考える。敵を想定する。敵を過大に考えれば考えるほど、内部の協力、団結力を高めることができる。こういう行動は、しばしば虚構を生み出します。情報というのはそういうものです。事実である必要はありません。
 「陰口をきくというのは、ひどく忌み嫌われる行為だが、大人数で協力するには実は不可欠なのだ。およそ7万年前に獲得した新しい言語技術のおかげで、何時間も続けて噂話ができるようになった。誰が信頼できるかについての確かな情報があれば、小さな集団は大きな集団へと拡張でき、サピエンスは、より緊密でより精緻な種類の協力関係が築き上げられた。
 見たこともない、触れたこともない、匂いを嗅いだこともない、ありとあらゆる種類の存在について話す能力があるのは、私の知るかぎりではサピエンスだけだ。
 伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。ホモサピエンスは認知革命のおかげで「ライオンはわが部族の守護霊だ」という能力を獲得した。
 「虚構のおかげで、私たちは単に物事を想像するだけでなく、集団でそうできるようになった。聖書の天地創造の物語や…近代国家の国民主義の神話のような、共通の神話を私たちは紡ぎ出すことができる」
 「私たちの近縁であるチンパンジーはたいてい、数十頭で小さな群れを成して暮らしている。彼らは親密な関係を結び、いっしょに狩りをし、力を合わせてヒヒやチーターや敵対するチンパンジーたちと戦う」
 「典型的なチンパンジーの群れは、およそ20~50頭からなる。群れの個体数が増えるにつれ、社会秩序が不安定になり、いずれ不和が生じて、一部の個体が新しい群れを作る」

ホモサピエンスの集団

 「認知革命の結果、ホモサピエンスは噂話の助けを得て、より大きくて安定した集団を形成した」
 「社会学の研究からは、噂話によってまとまっている集団の「自然な」大きさの上限はおよそ150人であることがわかっている」
 「ホモサピエンスがどうやってこの重大な限界を乗り越え、何万もの住民からなる都市や何億もの民を支配する帝国を最終的に築いたのだろう? その秘密はおそらく、虚構の登場にある。膨大な数の見知らぬ人どうしでも、共通の神話を信じることによって首尾よく協力できるのだ」
 もちろん、何万人もの人が情報を共有するには、メディアの発達が不可欠だし、そのためには言語や文字の共通化が前提です。

ヤノマミ族、客家

 ちょっとここで孤立した村落、少数民族の写真をお見せしましょう。ブラジル・アマゾンの密林に住むヤノマミ族は、200人くらいの集団生活です。

 

 福建省の客家も、土楼と呼ばれる民家で集団生活を送っています。恐らくこれも200人程度でしょう。
 客家は紀元前、中原に住んでいた漢族ですが、北方などからの異民族侵入で、南に逃げ延び、この土楼で敵から防衛し、集団生活を営んできた人々です。

 

[次号に続く]