論 考

政治は責任を逃れる技術である!

 官房長官の菅氏が会見で、感染増加は「圧倒的に東京問題である」と語り、都知事の小池氏が「無症状感染者が増加している。どう仕切りをつけるのかは国の責任だ」「検査数が多いのが東京だ」とやり返す。

 そもそもコロナウイルスが自治体区分を認識しているわけではない。典型的な責任押し付けが表面化した。政府も自治体も状況対応能力を欠いていることが、はからずも露見した。

 しかも、GoToトラベルは22日にスタートする。トラベルが新たなトラブルになるのは覚悟というわけだ。トラブルもトラベルの醍醐味ではあるが、そこまで言い切る自信をお持ちか。まあ、結局は自己責任であるが——

 アメリカでは、全世界感染者1300万人中1/4の感染者が出ており、沈静化の気配はまったくない。ホワイトハウス高官が、国立アレルギー感染研究所のファウチ所長に責任を押し付ける作戦を開始した。

 いちばん感染拡大に不熱心だったトランプ氏のホワイトハウスが、いちばん熱心に取り組んでいたファウチ氏に責任を押し付けるのだから、他国のことではあるが理不尽すぎて腹が立つ。

 ドイツ統一を推進したビスマルク(1815~1898)は、――政治は可能性の芸術である――と語った。いまの日米政治家の場合は、「政治は責任を逃れる技術である」というべきだ。

 なにしろ日本においては、首相が何度でも「責任を痛感する」が、すべては他人事である。政界では責任逃れウイルスがはびこっている。

 ――Politics is a virus――