週刊RO通信

日々、Human Rights

NO.1359

 57年前を思い出している。わたしが入社した1963年の、8月29日は、研究所の屋上で富士山頂気象レーダーのレドーム模型による電波の透過実験で右往左往していた。1か月半ほど続いた。親友のKくんと暑くて目玉焼きができるぞとぶうぶう言いながら真っ黒になっていた。以下は、当時は新聞で読んで知った程度で、後々調べて理解した内容である。

 アメリカではこの日(現地時間28日)は、あらゆる階層の人々25万人が「ワシントン大行進」で、ワシントンDCにあるリンカーン記念堂の敷地に集まった。堂内正面にはリンカーン(1809~1865)の堂々たる座像がある。高さ5.8m、大理石で建造されている。

 大行進の目的は、すべての人々の公民権が保障される、皮膚の色や出自に関係なく自由と平等に扱われることを要求した。人々(黒人だけではない)が人種差別に抗議し、憲法に書かれた諸権利の保障を求めて始めた公民権運動(Civil Rights Movement)が1960年代に高揚し、その最高潮の行動の最後に演説したのが、公民権運動の指導者、牧師のマーチン・ルーサー・キングJr.(1929~1968)であった。キング牧師の言葉である。

 ――奴隷解放宣言は1863年1月1日(署名1862.9.22)に発されたが、100年を経ても黒人は依然として自由ではない。自由の約束手形を不渡りにするな。正義の銀行が破産しているとは思いたくない――

 ――わたしたちは1人では歩めない。——前進あるのみだ。——わたしたちは、後戻りはできない――

 ――わたしには夢がある。人間が平等に造られていることが自明の真実だという、この国の信条を実現させる夢である――

 この「I have a dream」は、強く人々の心に響いた。

 公民権運動は、たまたまの事件から始まった。1955年12月1日、モントゴメリー市営バスで、黒人のローザ・パークス夫人が座席に座っていた。運転手が白人に席を譲れと言った。夫人は拒否した。そして逮捕された。公民権運動に火がついた。56年11月13日、連邦最高裁は夫人に無罪を言い渡した。席を譲らなかった理由を聞かれた夫人は「人間としての尊厳の問題です」とほほ笑んだそうだ。

 公民権運動は「Civil Rights」であるが、夫人が語ったのは「Human Rights」である。市民としての権利の以前に「Human Rights」がある。これが法律的には基本的人権である。

 パークス夫人が逮捕された時から、65年の時が過ぎた。この5月25日にミネアポリス市で、黒人のジョージ・フロイド氏が、警察官の膝で8分46秒押さえつけられて息ができないと訴えるのに無視されて窒息死した。しかも、市民が見ていた。逮捕される前に殺害されるとすれば、昔のほうがむしろ人権が守られていたような錯覚に陥る。黒人男性の死亡率の第6位は警官による殺害だという。ただし、警察官が先天的凶悪! ではないだろう。

 「アメリカで黒人であることは息が詰まる」と語る黒人男性の声も報じられた。翌26日から始められた抗議行動は全米に拡大している。アメリカの奴隷制度は400年ほど前から250年続いた。後の世代ほど人間的に進化するという仮説は現実に成り立たない。警察官の行動には、背景に多くの差別する人々の意識が後押ししていると考えざるを得ない。

 どんな理屈をこねても、差別やヘイトクライムを理性的に肯定することはできない。これはアメリカの事件であるが、形こそ違っていても、差別やヘイトクライムは世界中にはびこっている。もちろん、わが国でも。

 差別やヘイトクライムをやる人は不満の塊だ。自分の不満の対象が明確でなく、あるいはそれに対して非力であれば耐えるしかないが、自分の存在感がますます稀薄化して耐えがたいから出口を求める。差別主義者やヘイトクライムの連中が、権力やその周辺に対して抗議するのを見たことがない。不満をぶつける対象はつねにマイノリティである。それは優越感にあらず、劣等感の裏返しである。差別やヘイトクライムは社会の歪みを象徴している。

 社会の歪みを解決するのは人である。「人間の尊厳」を獲得するためには、そのペダルを日々こぎ続けるしかない。アメリカだけの話ではない。