論 考

政治的シロアリを駆除するべし

 世界の民主主義国家で、多数を制すればなんでもできると考える政治家がひときわ増えている。彼らが政治をおこなう上でもっとも重視しているのは、自分たちが権力を手放さないことに尽きる。

 政治家はとにかく選挙に勝利せねばならない。政党はとにかく多数を制せねばならない。当然のように思えるが、これは民主主義政治そのものの在り方とは異なって選挙という名前のゲームにすぎない。

 これが政治家の最大眼目になると、ものごとをじっくり考えて、慎重に意思決定するという当然の気風が失われる。いまの日本の状態もそうである。

 ハンス・ケルゼン(1881~1973)『デモクラシーの本質と価値』を読むと、選挙ゲーム至上主義の危険性を的確に指摘している。

 たとえば、「民主的自由の原理は、投票の多数によって勝つという可能性が最小限度に制限されることを要求する」。「多数票が少数票よりも重いという理由で多数決原理を弁護すべきではない」などがある。

 なぜなのかというと、数が絶対という誤謬にはまってしまうと、「国家そのものが支配の主体として現れる」からである。

 安倍氏や周辺政治家の汚職的事件が放置される。1つひとつは小さな事件だと思う人が少なくないかもしれないが、多数党であれば悪が見逃されるという極めて不都合な事実が結果的に正当化されるのであって、それは民主主義の家を内側から崩していくシロアリ行為である。

 民主主義の看板と中身の違いを、わたしたちは厳しく見つめ、ルール違反をするような政治家は駆除しなければならない。