週刊RO通信

安倍的自己中心性が招いた蒙昧

NO.1338

 人間は習慣の生き物であるから、どんな事態にも慣れてしまう。慣れてしまえば、善悪の判断が介在しにくくなり、次の世代になると、あたかもそれが現実的で当然なのだという社会的常識が形成される。怖いのである。

 1974年末、石油危機と狂乱物価、金脈問題で総スカンを食らった田中角栄首相が辞任し、首相に三木武夫が就任した。三木は金権政治の改革を標榜し、クリーンな政治を看板にした。

 毎日新聞大阪で労働問題を担当していたベテランのN記者は、東京の政治部へ転勤して数か月であったが、三木番となった。畑も違い、しかも総理に密着するのだから大変な緊張を強いられた。

 N記者から半年後に、わたしも東京で活動することになった。赴任直後、丸の内で三菱重工爆破テロが勃発し、最初の仕事は、負傷された社員のお見舞いであった。2人とも大きなカルチャーショックを受けていた。

 一夜、体験や感想を話し合った。N記者は語った。「政治、いや政治家を見直した。弱小派閥ではあるが、三木さんには政治家の気骨を感じる。汚職まみれの政治が変わるかもしれない」。マスコミは登場した田中角栄を今太閤と派手に持ち上げたが、田中と三木のコントラストは著しかった。

 76年、ロッキード疑惑が発覚し、7月に田中逮捕の大騒動になった。76年12月5日、衆議院議員任期満了による総選挙で自民党は惨敗、「三木おろし」によって三木は退陣、福田赳夫が首相に就任した。この選挙、新潟3区で、保釈中の田中は17万票の圧勝でトップ当選を果たした。

 浦和市会議員で喧嘩ルポライターの異名をとる小沢遼子は選挙直前、新潟3区で取材した。一部には11万票を切るかという見方もあったから驚天動地なのであった。田中後援会・越山会の面々は、「子どもが飢えていれば親は泥棒してでも食べさせる」「悪いことができるくらいでなくては大きなことはできない」という調子であった。小沢は「知性と清潔」論の無力を嘆いた。

 その後、小沢は越山会の面々に招かれて交流した。気のいい人たちである。田中の人間的魅力だ、同族意識だと理屈をつけられるとしても、人々の意識の本当のところは理解しがたいというのが小沢の感想であった。

 それから44年の月日が過ぎた。森友、加計、桜を見る会と、不細工な話題を提供してくれる安倍氏であるが、不審・疑惑に対する答弁が明晰・判明でなく、なおかつ、逃げの一手であるから、疑惑が深まるばかりである。

 政治家は権力を求める。それが高邁な目的のためであるか、利己的な目的であるかによって、権力闘争の意味は有益にも有害にもなる。とりわけ国家権力というものの本質を考えると、利己目的であれば政治が乱れる。

 権力は、Xなる争点について、Aが命じなかったらBがしないであろうことを、AがBにさせうる能力である。Bにとって不快であっても強制する能力である。Aを国家、Bを国民1人と置いてみればよい。国家権力は、いざとなれば国民に対して、物理的な暴力を正当に行使できる。

 政治家に絶対倫理的な人格を要求するつもりは、(わたしは)さらさらないが、政治家が国民の財産を自分の懐と同程度の緊張感でしか考えていないとすれば、政治家としては失格だ。まして安倍氏は政治権力の頂点にある。

 政治家には、政治「のために」生きるか、政治「によって」生きるかの根本的な違いがある。前者であれば、民主主義における政治家の立場がパブリック・サーバント(公僕)であることくらいは理解しているだろう。

 安倍氏の言動・行動をみていると著しい自己中心性を感じる。乳幼児期の幼稚な思考様式で、自己の視点を超えて思索することができず、自分の言動・行動に自戒や反省ができない。仕事に献身するのではなく、権力を恣意的に操作する自己陶酔にはまっている。しかも与党議員が掣肘を加えない。

 長期政権によって、安倍氏と与党に緩みが出たというのが一般的な見方であるが、本質は、政権中核のチャイルド性に引きずられて、それを支える与党議員、官僚までもが安倍チルドレンと化してしまった。

 花見に気持ちよく参加した方々もまた、その恥ずかしさを無視するためにはさらなる厚顔無恥の精神状態になりやすい。政治家に倫理・道徳性が必要だというのは、こうしてすべてが懶惰・腐敗するからなのである。