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いま、組合は啓蒙時代にある

21組合研究会

学ぶことから組合活動が起こった

 組合活動は、18世紀後半から産業革命のイギリスで自然発生的に誕生した。はじめに理屈があったのではない。産業革命の波に乗って、当時の産業家はどんどん発展した。一方、徒手空拳の労働者は悲惨な生活に追い込まれた。労働者の行動は、はじめ偶発的な暴動として起こり、やがて労働者が組合を組織して闘いを進めるようになった。

 労働者が、暴動ではなく運動を組織するようになったのはなぜか? 暴動は手っ取り早い。J・A・シュンペーター(1883~1950)に「創造的破壊」という言葉があるが、破壊しても必然的に新しく好都合の事態が生まれるわけではない。破壊が生むのは破壊させないように弾圧が強化されるのであって、なおかつ、労働者の生活状態がさらに追い詰められた。

 泥沼から抜け出すために、彼らは一所懸命に学んだ。それが組合活動発生の最大の核心である。学ぶことは容易ではなかった。ほとんどの労働者が学校へ通えない。5,6歳から働きに出るような境遇である。生活の苦しさから、労働者は幼少から悪質なジンを飲む。束の間の安逸のためである。労働者は誰もかれも胃弱で、青白い顔をしている。平均寿命は15,6歳であった。伝染病が発生すれば直ちに拡大する。

 たとえば、夜まで働いていた女性が翌朝出産する。機械の間で出産することもあった。彼女たちは出産して3,4日もすれば工場へ出る。仕事を失うのが恐ろしいのである。作業着の着替えを持つ労働者はほとんどいない。労働災害は見慣れた光景である。鞭で追い立てられているが、我慢できず居眠りして機械に巻き込まれて、挙句はあの世行きである。

 生活は悲惨を極めた。2,3階レンガ建てのコテージの1室に1ダースの人が暮らす。町は排水路も側溝もない。労働者街は至る所垂れ流しで、お話にならない悪臭が住み着いている。食事はジャガイモ、オートミール、まれにミルク少々、肉などは滅多に口に入らない。

 1840年にマンチェスターを訪れたエンゲルス(1820~1895)が、英国紳士に「こんな不衛生で汚い街を見たことがない」と感想をもらしたら、英国紳士は「でも、ここでは莫大なカネが稼げますよ」と応じた。「彼らは儲ける以外に喜びを知らず、カネを失う以外に苦しみを知らない」、「このような社会を圧する気風は、粗野な無関心と利己的な無慈悲だ」と、エンゲルスは書き残した。

 なんとしても生まれた以上生きねばならない。生きるために学ぶ。1人の仲間をカンパして夜学へ通わせ、学んできたことを皆で学ぶ。初期の組合活動は、片足を棺桶に突っ込むような状態においての学びによって形成された。学びによる起死回生、労働運動は学びから始まった。

ロッチデール公正開拓者協同組合

 英国ランカシャー近くのロッチデールで、1844年12月21日夕刻、世界最初の労働者生協が誕生した。ロッチデール公正開拓者協同組合(Rochdale Pioneers Cooperative)である。

 労働者は、賃下げに苦しめられ、品質の悪い生活必需品しか手に入らない。大方は商店でのツケ買いである。A・スミス(1723~1790)は、自分と仕事を愛する売り手は、よい商品を提供するであろうと期待したが、とんでもない。貧しい買い手の弱みに付け込んで横暴な商売をやった。期待した「神の見えざる手」は残酷なものであった。

 必死で学んだ先駆者28人が、1口1ポンドの組合資金を蓄えるために、毎週2ペンスを貯金し、「22ポンド+借入金」を蓄え、消費者組合を立ち上げた。倉庫の1室を借用して開店にこぎつけた。その日は冬至である。1年でもっとも夜が長い日にやがて労働者の光明となる偉大な挑戦が始められた。

 薄暗い部屋の粗末なテーブルの上に並べられた商品は、小麦粉・バター・砂糖・オートミールの4点だけ、仕入れに要した費用は、16ポンド2シリング7ペンスである。

 労働者が店を開くというので近くの商店主らがびくびくしつつ様子をうかがいに来た。労働者が貧弱な商品を囲んで感慨無量の面持ちでいるのを見て、「なあんだ、たいしたことはないじゃないか」。商店主らは安心と侮蔑の笑い声をあげたというのである。

 ロッチデールの労働者は着実に前進した。2年後には商品に食肉が加わった。6年後には製粉工場の経営を開始した。ロッチデール公正開拓者協同組合の創立宣言は、① 組合員の販売店(日用品・雑貨)、② 組合員の家を建築・購入する(生活環境改善)、③ 組合員の失業・生活困窮対策として製造事業、④ 組合員が耕せる土地を購入・借入、⑤ 組合員の生産・分配、教育・政治に取り組むことである。

 この店は「売るための店」ではない、組合員が「買うための店」である。協同購入の店である。取引高に応じて剰余金を分配する、1人1票による民主的運営を図る、品質を維持する、取引は市価とする、現金販売をする、

 そして何よりも力を入れたのが組合員教育の推進である。剰余金の2.5%を組合員教育に当てる。1854年には新聞閲覧室を設けた。61年には蔵書5千冊を揃えた。顕微鏡や望遠鏡の貸し出しもおこなった。植物学、地質学、天文学を学ぶ組合員のためである。組合員の子女には科学・美術・フランス語の教育機会を与える。組合員のための公開講座を開いた。

 1937年、日本が日中戦争に突入した年にパリで国際協同組合同盟が会合し、ロッチデールの体験が協同組合精神として掲げられた。わが国の労働運動は壊滅に向かって進んでいた。

 ロッチデールの28人が立ち上がったのは、いまから175年前の古い話ではあるけれども、その中身は決して古くはないだろう。

 デカルト(1596~1650)は「我思う、ゆえに我あり」とした。意識の内容は疑いえても、意識する私の存在は否定できないという有名な言葉である。しかし、存在するだけであれば、意識していなくても、あらゆる生物が存在している。存在しているだけでは舞台装置の松と変わらない。

 労働者たちは考えた。自分たちの生活を改善していくために何をなすべきか。そこから学んだ結果、生きるために有効な方法を編み出した。これを敷衍すれば、「いかに生きるべきか」を真剣に考えて行動に移す時、人は単なる存在から「実在」へと踏み出すのである。

存在から実在への転換を

 いまの労働者は、当時と比較すれば天国の住人であろうか。日々の労働から、働く喜びを体得しているであろうか。愉快に働いている労働者がどのくらいの割合であろうか。会社にも政治にも大なる不満を抱えつつ、その日暮らしを続けているというべきではなかろうか。

「我思う、ゆえに我あり」ではあるが、目下の状態は存在しているだけで実在していないのではないか。ここで、存在とは何かが在るの意味である。実在とは観念・想像・幻覚のような主観的なものではなく、客観的に存在するという意味である。客観的に存在するとは、個人同士、個人と組織などがお互いに緊張感をもって活動していることである。つまり、相互に働きかけたり、働きかけられたりしている関係である。

 組合は存在するし、活動もしている。では、いまの組合は実在といえるのだろうか。それにしては組合力が見えない。組合力は、組合員が組合活動に参加していなければ出ない。組合員が参加していない組合活動とは、組合という機関の活動である。組合活動の形式(機関の活動)はあるが、中身(組合員が参加する活動)がない。中身が伴わない形式は、力が出ない。

 そこで多くの組合役員が嘆くように、組合力が出ないのは、組合員が圧倒的なフリーライダーと無関心だからであると規定しよう。では、仮にその問題状況がなくなった場合、いまの組合活動の目標とするものが、労働者の全面的共感を獲得できるようなものであろうか。

 長時間労働である。自分の時間を失い、自分の人生を失っている事情があるが、その問題意識のある組合員がどのくらい存在するであろうか。問題が解決しないのは、問題を問題と規定しないから、必然的に問題が解決しないのである。いまの賃金問題と労働時間が同一の根を持っていることが理解されていない。理解されないから運動が起こせない。

 組合活動自体が全面的守勢になっている。1人の労働者の労働生涯をいかに作り上げるか。その視点が欠落したままで、ただ賃上げ、小手先の働き方改革を標榜してもさしたる進歩は見られない。極端な窮乏を克服すれば組合の目的が達成されるであろうか。生活をよくするという方向性が明確であろうか。むしろ、いまの生活がさらに悪くならないように、経済的側面においても防御一点張りになっている。

新組合員を考えてみよう

 蒙とは、無知、知ろうとしないこと、間違って信ずることである。新組合員は「組合とは何か」と問われても皆目わからないであろう。なぜ、知らないのか。いままで誰からも教わっていないし、自分から知ろうとしないからである。ならば誰かが教え導かねばならない。これが啓蒙である。

 本人の立場で考えてみれば——賃金明細表を見れば組合費が引かれている。さして高額でもない賃金から使途不明金が差し引かれている。たまたま職場の先輩たちが話しやすい人であれば尋ねるであろう。先輩はどのような説明をしてくれるだろうか。組合に好意的な人であれば多少は気の利いた回答をするだろうが、そんな人が多いであろうか。

 聞かれた方も「組合とは何か」など考えたことがない。「われわれの労働条件を守る」のが組合だ。この程度の話ができれば望外の喜びである。組合なんて考えたこともなく、おまけに何となく嫌いな人であれば、「労働条件を守るとか何とか言うけどな、大した仕事はしていない」、挙句、組合費は「税金みたいなものだ」とか、「しょば代みたいなものだ」などと話されたりすると目も当てられない。新組合員が直ちに反組合勢力の1人になる。

 賃金明細表を見て疑問を感ずるのであれば上等かもしれない。直接懐に入る金額だけが問題で、「ああ、こんなものか」と納得して、差し引かれている組合費に気づかない人が少なくないのではないか。なにしろ、厳しい入社試験をパスしてようやく採用していただいた! 会社がすることに疑問や不満を抱くなんて態度をとると、会社にいられなくなるかもしれぬ。このような感覚の新組合員であれば、フリーライダー様が1人増える。

 そもそも、学校時代に勉強するといっても、したくはないが、やらねば入社試験に通らない。とにかく1人でメシが食えるようにしなければならないという、強迫観念で勉強して卒業する。自分から周辺の疑問を質し、知恵を身につけて人生を積極的に生きていこうと考えている人は少ない。会社に潜り込めれば、やれやれこれで一安心とばかりに、全体の1人になることをもって可とするタイプだとすれば、間違っても自分から組合のことを知ろうとするような心がけではない。

 新組合員教育は絶対不可欠の大事である。鉄は熱いうちに打て。筋金入りちゃらんぽらんなタイプでもない限りは、やはり、新しい世界に早く慣れて、自分の立ち位置を固めたいはずだ。と考えれば、浮世の手垢にまみれる前に、組合から心を込めて「ささやく」べし。組合役員は本気で、1人前の組合員を育てる気概で臨まねばならない。これが組織作りの第一歩である。会社の新入社員研修の一部時間を拝借して、組合長が歓迎の挨拶をして済ませるなどは愚の骨頂である。

組織の成長は個人の成長に委ねられる

 ――啓蒙とは、人間が自分の未成年状態から抜け出ることである――

 これはカント(1724~1804)による定義である。人間は何も知らない状態で誕生する。周囲からいろいろさまざまの刺激を受けて成長する。三つ子の魂というように、やがて自分というものを知るようになる。昨今、OECDのPISAで、日本人はじっくりものごとを考えるのが下手だと騒動しているが、いわば考える習慣が身についていないのである。

 卵の殻を破ってヒヨコになり、ヒヨコが成鳥になるように、人生はつねに「見えざる殻」を破って成長することである。これを自己組織性という。ある程度までは周囲に啓蒙していただかねばならないが、教えてもらうだけの構えでいるのであれば成長はつとに停止してしまう。自分の力で自分を育てなければならない。自己組織性とは、自力で自分を育て上げる意味である。

 生きていることは、つねに自力で自己を再生産しなければならない。日々、さして変わらぬ生活を繰り返しているように見えても、森羅万象ことごとく変化する世界にあって、人間はつねに環境への適応を求められている。人間や、社会は自分で自分を変える能力を持つ存在であって、それが太古以来の人間社会を形成してきた力である。カントが啓蒙という言葉に込めたのは、つねに自分で自分の蒙を啓かねばならないという意味である。

 自分を啓蒙から遠ざけるのは、怠惰と怯懦である、とカントは指摘した。考えるためには自由でなければならない。過去から今日にまで続く習慣を絶対不変としてしまったら人生は終わったのと等しい。怠けたり、畏れたりしていると、変化する世界において、人間はいつでも蒙昧に押し戻される。

 わが組合が当面喫緊に取り組まなければならないのは、1人ひとりの組合員が自分の生活と仕事の事情についてお互いに理解を深め合うことである。そこから、「いかに働くべきか」「いかに生きるべきか」の課題がお互いの認識として共有される。それを中身とした組合活動の形式を編み出す。組合員が参加しない活動は組合ではない。これを組合役員は頭に叩き込んで、まず、20年春季交渉に取り組んでいただきたい。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人