NO.1655
高市首相の所信表明は、選挙演説気分が抜けないのか、これもやるあれもやる、のオンパレードで大賑わい。お買い得てんこ盛りだから、具体性がある風で、実は具体的でない。相も変わらず熱意の売り込み、現場は空転の予感がする。
自民党には昔から、多数決で押し切るには数の力という悪しき性癖がある。演説の聴衆、並みいる陣笠連の間の手はあたかも決起集会のごとし。もちろん、所信表明は与党にすれば、いざ出陣の気構えなんだろうが、直面するのは力仕事でなく知恵仕事である。
予想外の大所帯を知恵仕事に向かわせるのは大難題だ。選挙は熱と気合で勝負を制しても、当選をゴールと考えている選良? 諸君の頭を切り替えられるだろうか。与党に高揚する万能感が獅子身中の虫に育つ危険性を否定できない。
その兆しは高市自身にある。自分が悲願とまで語る消費税を国民会議なるもので審議するという。財政をさらに悪化させぬために、財源を巡る是非論は、基本的に国会で審議すべきものである。国民会議と名付けても、議会以外に、これが国民の代表だといえる人選はできない。国民会議なる名前で外見を装うのは不誠実極まりない。
そもそも、ことは直面する消費税論議にとどまらない。社会保障制度を安定的維持させるためにはどうするべきか。物価高の原因を特定せず、目先の消費税で対応しても、物価高は収まらないから、焼け石に水、時間の浪費だ。誰にでもわかる理屈である。
これは、「責任ある積極財政」が成立しうるかどうかの問題の1つである。ならば、国民会議なるものでは、「責任ある積極財政」とはなんぞやという議論をやらねばならない。しかし、自民党で国民会議の位置づけは、高市提案の消費税2年間ゼロを決定するために設置するのであって、「なぜ」これをやるのかという根本的問題を議論する気はない。まさに議会論議を封じるためのトンネルだ。
選挙戦に勝つための撒餌に似た減税に、どのくらいありがたみがあるのか。毎日スーパーで食品を買うので十分に関心はあるものの、社会保障制度が齟齬をきたす危惧のほうがはるかに大きい。社会保障は社会における人々の紐帯の柱である。国家主義を信奉する高市が自分自身の信条を裏切り、わざわざ社会を破壊する企てに知恵を絞るなど狂気の沙汰だ。権力に執着してオツムが正常に働かない。
積極財政で成長戦略投資だというが、投資して成長するためには条件が必要である。企業がジャンジャン投資しないのは、投資しても成果が上がる自信がないからである。投資計画を立てる力がないのではない。
投資の最も阻害要因になっているのは人手不足である。これは世間周知である。たとえば建築作業要員不足して十分に手当てできない。人件費コストも資材コストも上がる。しかも、単純に人数の問題ではない。1990年代には、現場の中堅技術者が明らかに不足していた。受注元の技術者不足は下請けが補っていたのだが、中小企業は経営が苦しい。必然的に技術者も減っている。
先端技術を呼び込むために大きな投資をしても、技術技能を生まない。投資を駆使するのは人であり、人の技術技能である。金融資本主義全盛のいま、「ものつくり」に参加する人は昔に比べれば極めて少なくなっている。数だけではなく、人が育っていない。
つまり、投資行動が計画に追い付かない。こんな状態で、投資需要だけが膨れ上がれば、必然的に物価上昇につながる。物価上昇の最大の原因の円安を放置して、しかもきわめて不健全な財政を無視し、「責任ある積極財政」など、下手な文学的表現でごまかすのだから、危険極まりない。
国政を担うということは、気合や威勢ではない。政治をチラシ広告程度に軽視していると全部のツケはやがて国民に回ってくる。
