NO.1653
今回の衆議院選挙戦は、荒廃した日本政治がにっちもさっちもいかず、迷路を徘徊している印象である。これは政治家だけではなく社会の雰囲気全体から感じる。政治家は、内外多難を大声で喚く。さりとて、立ち止まって国の針路を根本から思索する気配はない。惰性である。踏み込んでいえば、思想的堕落の腐臭紛々だ。
高市は、国の方針を二分するような課題に挑むには、自民党に多数議員を与えてくださいと言う。自民党がなにゆえ少数与党になったのか。まったく思索の形跡も感じられない。戦後80年のほとんど、政権を担ってきたのは自民党である。少数与党に転落したのは自分たちに責任があるが、反省のかけらもない。呆れる。
厳寒真っ直中、高市演説を危機に集まった人々の報道写真を見る。どなたの表情も真剣そのものだ。わたしは、暖かい部屋から出かけて高市演説を聞くなど思いもつかない。ガラクタにべたべた色を塗ったごとき言葉は騒音である。これでは、自分が国の針路を考えるどころか、わざわざ思索を邪魔してもらうようなものじゃないか。
しかも高市は、自民党が好き放題やるために多数がほしいと臆面もなくしゃべる。選挙は、議員を選ぶためであり、国政全般を自民党に全面委任するものではない。選ばれた議員たちが、磨いた見識をお互いに駆使して、かんかんがくがくの議論をするのである。1票投じて、あとはお好きにどうぞというものではない。
国の針路なる重大事を、他人に考えてもらうのは民主主義ではない。「主権在民」という言葉は有権者一人ひとりに、「あなたが国の針路を決める」と語っている。不埒な政治家は、有権者が主権在民を意識せぬように、美辞麗句、体裁のよい言葉を羅列する。言葉は修飾語から腐る。修飾語を乱用する政治家は信用できない。
荒廃した選挙戦であった。国民自身が被害者だと抗議の声を上げるのは上等だが、狙いが外れているので失望を禁じ得ない。外国人排斥の動きは、できの悪い右翼連中のプロパガンダである。移民(はいない)が日本の将来を危うくすると喚くが、アメリカに属国扱いされている現状に一言もない。おつむが永遠のゼロだ。
かつては、米軍を番犬呼ばわりして批判を食らい、番犬様と訂正する程度の気骨は残っていた。いまや率先番犬様の先走りだ。沖縄に米軍基地のほとんどシワ寄せして知らぬ顔の半兵衛を決め込む。日米地位協定を見ても、押し付けられたままで文句の一つも言わない。トランプの横でミーハーするなどが国辱ものでしょうに。
どうやら日本のナショナリズムなるものは、「泣く子と地頭には勝てぬ」、「お上」意識が脈打っている。道理をもって争っても勝ち目がない相手には服従する。負け犬根性そのものだ。日本軍国主義は消えたはずだが、上官の命令は天の声として精神・肉体の両面から叩き込まれたトラウマが80年過ぎ、世代が代わっても直らない。
社会的マゾヒズム(masochism)だと表現したくなる。他者から肉体的・精神的苦痛・虐待を受けることによって満足を得る被虐趣味である。自民党に長くコケにされてきても、まともな抗議ができないどころか、それが継続することを望む。空疎な日米対等という言葉に満足して、無理な防衛予算を積む。異様である。
野党もまた轡(くつわ)を並べて、政治を根本から考えない。誰でも、野党は所詮与党の周辺でうろうろするだけだとみる。政権奪取を本気で考えるなら、エセ愛国者を堂々喝破する、「国のあり方」を打ち出さねばならない。選挙戦だけ本気になる政党はダメだ。
かの戦争で日本はクレージーと評されたが、ものごとを理性的・合理的に思考できない。病気である。その治療のために「主権在民」という良薬を得た。しかし、良薬は口に苦(にが)し。本気で飲んでいないようだ。良薬といえども、飲まなければ薬石効なし以前の問題である。どこまで落ちる日本の政治。
