NO.1651
解散、一瀉千里の選挙戦ではあるが、大義なき解散、節操なき解散の批判は容易に収束しない。大義を作ろうとしたのか、野党の消費税攻勢をうっちゃろうとしたのか。高市「食料品消費税ゼロ2年」発言で、看板政策「責任ある積極財政」が三流文学的表現にすぎないことを自分から暴露した。
先のことを考えても容易ではないが、政治家に求められる重要な資質は、国の来し方から学び、未来への橋を架けることである。自民党に限らず右派といわれる諸君に共通するのは、奇妙な歴史観を振り回し、それが愛国者だと思い込んでいることで、歴史の理解が真っ当でないから架けようとする橋が歪んだものになりかねない。
また、政治家に求められる矜持は、何のために政治家を志しているかである。教え子が、農業を発展させるために政治家・大臣をめざすと語ったとき、新渡戸稲造(1862~1933)は、そんなに遠回りせずとも、君自身が農業技術者をめざしなさいと諭した。誰にでもよくわかる説諭ではなかろうか。
然り、政治家は何をなすにしても自分の手で解決できるものはほとんどない。人々が尊厳を持って生活に打ち込めるように、社会の仕組みを効果的に機能させる調整を果たさねばならない。投票で選ばれる議員と、政治専業の官僚がいるが、目的はいずれも同じだ。
政治には権力の使用が伴うが、それは政治家のための権力ではない。国民が権力の主人公である。政治家一般の悪癖は、国民が権力の主人公だという原理原則を失念して、自分が権力者だと勘違いすることである。このようなタイプは人間的には小物である。
高市は解散理由として、「国論を二分するような改革も批判を畏れることなく果敢に挑戦していくためには、どうしても国民の皆様の信任が必要だ」と語った。これは、あるべき政治家の見識ではない。大きな改革ほど、可能な限りあらゆる方面からの検討が不可欠である。世論が澎湃として起こっているのではない。高市個人が大した改革だと思い込んでいるだけである。
しかも、間違えないでもらいたいのは、高市は日本で一人の首相である。並みの個人が、国論を二分しても突き進むべきだと考えるのはカラスの勝手だが、首相がそれを現実にやったらどうなるか。二分した国論を鶴の一声で収められると思うのか。このような単純な思考しかできない人物が日本国の首相たり得るであろうか。
首相であっても、人の心を恣意的に変えられるわけがない。矜持を持つ議員であれば、社会の安定を維持するために、議員ごときの言葉がいかに無力であるか骨の髄まで理解している。少し頭を冷やして考えればすぐわかる。自民党が多数を制していないためにろくな政治ができないのではない。ろくでもない政治を続けたから多数を失ったのである。この程度の反省、自戒、自重ができない人物に国政を委ねるわけにはいくまい。
カナダのカーニー首相が、先日のダボス会議で、「私たちは破製期にある。最強国が経済統合を強制手段として、自国の利益を追求する。いまや、服従で安全を買えると期待することはできない。中堅国は協力して行動を起こそう。」と語った。立派な見識であり、勇気ある発言である。
こちら、安保といえばアメリカの核の傘の下、否、そればかりではない。外交全体がアメリカべったり、日本国憲法の上に日米安保が君臨するような独立国日本だ。日本の権力を好き放題駆使したいと語り、「世界の真ん中で輝く日本外交」を唱えるご仁は、恥も外聞もなく他国領土をよこせと言うような老害の隣でぴょんぴょん跳ねる。思い出しても赤面する。
日本人が、どのくらい誇り高き人々か、今回の衆議院選挙は、一票に思いを込めて投じたい。
