月刊ライフビジョン | メディア批評

相手の立場を忖度しない「想定外」外交の破綻

高井潔司

 ドライブ中はラジオを聞くのを楽しみにしている。夏休みはとくに「こども電話相談室」が面白い。今夏の秀逸は「植物はなぜ動かないんですか」という就学前のこどもの質問。「そうやね。じぁ動物は何で動くんやろね」。回答者は関西弁でやさしく問い返す。「うーん、食べ物を探すのかな」。「そうそう、動物は食べ物を探して歩かんと食べられへんね。それから子孫を増やすため結婚相手を探さんとあかん。そやけど植物はどう? 土の中から根を通して栄養分を取り、成長する。子孫を増やすための花粉や種は虫や風が運んでくれる。動かんでもええでしょ。植物にしたら、何で動物は動くんやろと思うかもしれんへんな」。

 見事なやりとりだ。相手の立場、別の視点から見てみると、よく物事が見えてくる。

 この夏、さっぱりわからないのが日本と韓国の対立だ。とくにテレビ報道を見ていると、すべての責任が韓国の文在寅政権の不可解な対応、判断にあり、日本よりも北朝鮮や中国との関係を重視しているかのような極論まで紹介されている。登場するコメンテーターは、政府を批判しない元外交官、軍人の学者ばかりだ。挙句にトランプ大統領まで登場させ、アメリカも日本を支持していると、安心させてくれる。

 23日付朝日3面の「日本、想定外の対立深刻化」によれば、「日本政府は一連の関係悪化の原因は韓国側にあるとの立場」であり、「責任は100%韓国側にある」との外務省幹部の談話も出ている。確かに日本の立場から見れば、そう見えるのだろうが、韓国側の立場に立って、日本側、とくに安倍政権の対応はどうなのか、考えてみるという視点が欠けているのではないだろうか。物事を単純明快に伝えるテレビにはそれは期待できないので、図書館に出かけ、新聞各紙をひっくり返してみた。

 まず朝日社説はテレビの視点とほぼ変わりなかった。韓国側が日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を破棄した決定を受けた24日の社説は、のっけから「国と地域の未来を考える冷静な思考を踏み外したというほかない。大統領はいま一度、熟考し、決定を覆すべきである」と韓国側の決定を批判する。

 読売社説も「北朝鮮が核・ミサイル開発を継続する中で、日米韓3か国の安全保障協力を揺るがす非常識な措置だと言えよう。破棄の理由について、日本が輸出管理を簡略化する優遇対象国から韓国を除外したことを理由に挙げている。日本の措置は、韓国の貿易管理制度や運用に不十分な点があったためだ。韓国がまず、管理体制の改善を図るべきだろう」と、同様の視点だ。

 これでは、韓国を条約も協定も守らない、信頼できない国と言ってはばからない安倍政権の立場とほとんど変わるところがない。それほど韓国の文政権は非常識なのか。そんな非常識な国なら、GSOMIAなど逆に日本側から破棄すべきではなかったのか。

 そもそも問題の発端は徴用工問題であり、当初はそれに対応する措置と発言しておきながら、後には報復措置、対抗処置ではないと、次々と韓国側の弱点を突く措置を打ち出し、韓国側を追い込んできた日本側の対応に問題はないのか。

 とくに一連の問題の最高責任者の一人である河野太郎外相の言語道断、問答無用という姿勢は大いに議論されるべきだろう。何と言ってもGSOMIA破棄の方針が伝わる前日に北京で韓国の外相と会談している。それが翌日になって「想定外」では、一体何のための外交なのか。外交や防衛に「想定外」は許されない。聞く耳を持っていないから、「想定外」となり、相手を「非常識」と罵倒することになる。戦前の独善外交を思い起こす。

 一般の記事では、社説ではほとんど触れていない検討すべき重要な事実も出ている。

 24日の産経3面は、「大統領府は、首脳会談を提案したほか、7月に2回特使を日本に送ったと明らかにし、外交的努力を尽くしたと主張。『非常に意味あるシグナル』(高官)として、文氏が今月15日の演説で対話を呼び掛けたが、無反応だったことが決定打となったという。…大統領府国家安保室の金鉉宗第二次長は23日、…日本は『国家的自尊心まで毀損するほど無視で一貫し、外交的欠礼を犯した』と語気を強めた」と書いている。

 また26日の朝日オピニオン欄の記者解説には、「複数の日米外交関係者によると、米政府は韓国のGSOMIA離脱を防ぐため、日本側に輸出優遇対象国のリストから韓国を外す発表を延期するように要請。米政府高官は朝日新聞朝日新聞の取材に対し、米政府が日韓に互いに報復を中止する『休戦協定』を推し進めていることを明らかにした。だが、日本政府関係者は『慰安婦や徴用工問題でさんざん日本が韓国からやられていたときに米国は何もせず、今更急に介入して来ても遅すぎる』と語る」との舞台裏の情報が出ていた。韓国やアメリカからの働きかけに全く反応していないのだ。冒頭紹介した朝日社説にある「冷静な思考」は日本政府の側にも求められるべきではないのか。

 かろうじて、安倍政権の対応に疑問を呈していた社説は毎日と東京新聞だった。両紙とも朝日、読売社説同様に、韓国側のGSOMIA破棄の措置を批判しながら、毎日社説は「こうした事態を招いた責任の一端は、安倍政権にもある。韓国の文在寅政権が、徴用工問題や慰安婦問題で不誠実な対応を続けていることは事実である。だからといって、外交問題と経済政策を絡めたことは不適切だった。韓国側の強い反発は予想されたはずだ。対立の影響は経済に波及しただけでなく、文化やスポーツ、人的交流にまで及んでいる。深刻な関係悪化を改善に導いていく責任は双方にあることを自覚する必要があろう」と指摘した。

 一方、東京社説は「破棄に踏み切ったことは、とても賢明な選択とは言えない」としつつも、「韓国政府が極端な決断をしたのは、安倍政権の強硬な対応とは無関係ではないだろう。…経済を巻き込んだ、異例の報復的措置であり、韓国では想定外の反発が起きた。さらに安倍晋三首相や政府高官は、韓国について『国際的な約束を守らない』『輸出管理に不備がある』と批判した。韓国政府はこれに対し、『韓国を信頼できないという国と、敏感な軍事情報をやりとりできない』と日本側の責任を指摘している」と韓国側の立場も紹介している。

 各紙を読み、最も醜悪な記事と感じたのは、読売24日の国際面トップ「文政権醜聞隠しの見方」だった。この記事はGSOMIA破棄の決定は「側近のスキャンダルによる政権危機を回避するためだったとの見方がある」というもので、文大統領最側近の曺国前民情首席秘書官の家族ぐるみの不透明な投資ファンド運営や資産隠しが最近、取り沙汰され、文政権が危機的に状態にあることを紹介。その上で、「日米韓協議筋は23日一連の疑惑について、『与党からこのままでは来年4月の総選挙は必ず負けるという声が大統領府に殺到した。このため、GSOMIAを破棄することで、政局を日韓の対立局面に戻そうとした』と本紙に語った」と伝えている。一つの情報として伝えるのはいいとしてまるでそれが真相であるかのような大扱いは、タブロイド紙と変わりない。

 そもそも情報源の「日米韓協議筋」って一体誰を指すのだろう。日本の外交官の責任逃れ発言を大きく報道し、それがまた双方の世論の対立を煽る結果になるという冷静な判断ができないのだろうか。

 こんな醜悪な記事の紹介で本論を終了するのは後味が悪いので、示唆に富んだ記事を紹介して締め括りたい。それは毎日の25日3面に掲載されたGSOMIA締結に至る経過を伝える記事だ。それによると、GSOMIAは、2011年1月に合意したものの、6月(12年)に予定された署名式は、1時間前になって韓国側がキャンセルを通告した。韓国国内では過去の植民地支配の記憶などから日本との軍事関係協定への拒否反応が強く、半年後の大統領選への悪影響を恐れた与党が、李明博政権に翻意を迫ったためだった。北朝鮮が核実験や中距離弾道ミサイル発射を繰り返した16年、日本は再び署名への働きかけを強めた。日米韓連携を強化したい米国の後押しもあり、朴槿恵政権も締結に動いた。ただ11月の署名式は非公開。日本外務省幹部は「国会を通さない『行政協定』にするなど韓国世論を刺激しないよう細心の注意を払った」と振り返る――とある。

 この記事に見られるように、歴史問題の存在から、韓国の対日世論は常に極めて敏感な状態に置かれている。しかも、韓国の国内政治は保革の厳しい対立の中で、政権交代を繰り返えされている。いつまでも歴史問題を蒸し返す不可解な国と批判しても生産的な議論はできない。そういう国と向き合っているという冷徹な思考が政権担当者やメディアに求められる。そうでないと、ひとたび問題が起きると、感情的な対立に発展してしまう。

 新聞をひっくり返してじっくり読んでみると、別の立場、視点も多少知ることができる。


高井潔司  メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。研究公益財団法人新聞通信調査会『メディア展望』に「大正デモクラシー中国論の命運」、月刊ライフビジョンwww.lifev.com「メディア批評」連載中。