勉強することは喜びではないのだろうか。
遠い昔、先人たちは因習や偏見を取り除くために、様々な苦心、工夫をし、やがて学ぶ喜びに開眼した。そしてその延長上に今の私たちが暮らしていると考えれば、勉強の世界が明るく輝いて見えるのではないか。
ライフビジョン学会は2018年11月17日(土)午後、東京渋谷の国立オリンピック記念青少年センターで、「見習いとしての学び」と題する少人数の勉強会を行いました。
話 題 「見習いとしての学び」
話題提供者 有限会社ライフビジョン代表 奥井禮喜
勉強とは少し努力することである、と中国の古典にはあるらしい。われわれ1人ひとりの主体的な勉強はいかにあるべきかについて、2月―3月号に分けて報告します。
見習いとしての学び
合格ラインのある資格を取るための勉強がある一方、人生における勉強には合格ラインは無い。
大学を出た人は勉強の仕方を知っているが、私の出た工業高校は工場労働者の予備軍作りの場で、勉強の仕方をきちんと教えない。ということも当時は考えなかった。大人になってとつおいつ自分なりに、今日まで勉強を続けてきた。したがって私の勉強法は素人の下手な作業で、どこまで行っても「見習い」である。もう一つの言い方では、私にとっての勉強は「ホビー」みたいなものである。
過日、哲学教授の定年退職最終講義を聞く機会を得た。その予習で、先生の分厚い著書を2冊読んだ。以前、カント(1724~1804)の『啓蒙について』『永遠平和のために』や、アドルノ(1903~1965)とホルクハイマー(1895~1973)の『啓蒙の弁証法』を読んでいたのが、講義を理解する上で有益だった。
最初の啓蒙は神話である。人々は神話によって啓蒙された。やがて神話を克服し、18世紀後半の啓蒙時代を経て、人々は利口になったはずであるが、啓蒙思想が信仰の対象みたいになってしまう。
本来の啓蒙とは、本当に、本当か? と懐疑し、とことん真理を追い求める。こうして人は神話の世界から啓蒙社会に入った。しかし啓蒙がいったん社会に定着すると、懐疑することを忘れてしまう。いつの間にか啓蒙が神話になっているではないか。極めておおざっぱだが、これが『啓蒙の弁証法』の要点である。
啓蒙が定着して神話に戻る、これはカントの哲学を批判した本なのだが、この視点は現代に当てはまる。批判という視点が大切である。例えば、働くことについて、本当に自分の仕事を面白がっている人がいる一方、そう考えて働くことが良いことだ、すばらしいことだと信じて疑わないだけの人もいる。職場の諸問題が容易に解決できないのは、仕事神話に没入しているとも考えられる。個々人が自分でしっかり考える習慣を育てねばならない。
われわれがライフビジョン学会を作って勉強会を始めた理由は、人生に哲学が必要だと考えるからである。巷間、うちの上司が「哲学がない」とぼやく。孫に生き方を教えるのも哲学である。突然の配転に悩んで、自分の意思決定をしなければならない、これも哲学だ。
西周(1829~1897)は明治のインテリである。島根県の津和野出身で、森鴎外(1862~1922)は年の離れた後輩である。オランダに留学し、「哲学」の言葉を作った。北宋儒学者で中国道徳学の開祖とされる周敦頤(1017~1073)の「士希賢」(賢哲の明智を希求する)という言葉にヒントをえて、「希哲学」としたものが「哲学」として定着した。
1) ライフビジョン学会の呼びかけの底流には、規約にも書いてあるように「人間的成長を目指す」のである。
私は1970年代後半、三菱電機在職中に労働組合で人生設計セミナーを作り、全国的に話題になった。私自身は人生設計論を持っているが、ライフビジョン学会に来られる方には人生設計の話はほとんどしていない。
「人生設計」とはおおざっぱに言うと、最近の大学にある「人間学部」や、リベラルアーツの考え方と近い。哲学だから生き方論を体系付けるもの、と考えていただきたい。単純な老後のための資金計画は人生設計というよりも処世術である。ライフビジョンは人生設計を総合的なプログラムとして、哲学として位置づけている。それを労働組合で作ったのである。
「人生設計」が提起するのは、高齢化社会をいかに生きるかではなく、人生をいかに生きるか。しっかり生きよう、というにある。高齢であろうと若年社会であろうと、どんな社会でも人生をしっかり生きよう、というのがライフビジョンの人生設計なのである。両者には大きな違いがある。
ライフビジョンの人生設計は個人、「我」を出発点とする。自我、ego(エゴ/ラテン)、self(セルフ・自分自身)である。我の相手は非我(自分以外のすべて)である。
2) ライフビジョン学会は1993年9月6日にスタートした。
この間、勉強会で追いかけてきたのは、「わがうちなるビジョン、生き方を目指そう」「1人ひとりが自分の日常生活の達人になろう」ということである。何が価値ある生き方かは百人百様である。少し普遍的な表現を使うとすれば、自分の「絶対元気」を掴もうと提案する。「絶対元気」とは、自分らしく生きるための人生の「耐力」を強化する意義である。
「絶対元気」の反対が「相対元気」である。哲学者ショーペンハウアー(1788~1860)が言う、他人の不幸が私の幸福というスタンスである。日本人は相対感覚が強い。職場で横並び、画一化の雰囲気が強い。横並びが強いほど、相対元気が強い。スキャンダル満載の週刊誌が売れる理由である。
大学1年で教養=リベラルアーツを修め、専門に進み社会人になる。社会人になり活躍している人がもう一度、リベラルアーツに戻ろうというのが最近の主張である。
知り合いの造園業の親方はこれを実践している。親方は300kgぐらいの庭石を接地するとき、弟子の作業に10cmの誤差も修正させる。
自分たちの仕事は60歳過ぎからで、それまでは勉強だという。1つの庭が作れるようになっても、つまり技能技術は上がってもソフトは上がらないから、京都の庭を見に行くとか、お茶・お花の勉強もする。自然学の話を聞きに行く。リベラルアーツとは自分で自分を育てていく発想である。まさに人生設計である。
よく、スポーツ選手が手柄を立てると、元気をもらいましたとコメントするが、元気はもらえるものではない。元気は、日々、自分自身が培養し続けるものだ。だからわれわれは「日常生活の達人」を目指そうというのである。学びを停止すれば人生は停滞する。これが、ライフビジョン学会の問題意識である。
3) 何を勉強するのか
人生に正解は無い。今は正解の出る勉強ばかりで気がかりである。芸術は正解の無い勉強で、カントには美術論がある。「美しい」という概念が、あまねく皆が美しいとすれば芸術だという。人生も正解がない。お互いに共感・共有する生き方を求めることが人生の美学ではなかろうか。
学ぶことを停止すれば人生は停止する。学び、考え続けるのは「耐力」がいる。で、何を勉強するのか。何を何のために勉強するのか。
評論家の林達夫(1896~1984)が、自分の勉強の心構えを「日雇い労働者の美学」であると語った。出所は、J・ロック(1632~1704)が、アダムは神によって日雇い労働者にされた、と書いたことにあるようだ。林さんの対談から拾うと、
① これという問題に直面したら駆けつけて、解決するまで追う。日雇い仕事とはこんな感じで、なんでもあり、単に知識を得るためだけの勉強ではない。
② 個人が個人の問題を解決すれば良いだけでなく、自分の個性を生かして「個人から組織、社会へ」の発想が大切だ。自分なりに社会(非我)の役に立ちたい。たとえば、誰もが自分の生活に閉じこもり、みんなのこと、社会について考えてくれない。みんなが互いの状況を考えようとしない状況がある限り、インチキ権力者は居座り続けるだろう。
③ アウト・オブ・アパシー(Out of Apathy 無関心からの脱却)の思想を、わが社会において育てたい。少し前のシンポジウムで、「社会の目撃者だけでなく、推進者になろう」と呼びかけた。カントは「社会に対して注視する者」と言っている。
4)現時点で考えていること
① ライフビジョン学会は、小さい学会である。そこで、「small is radical」を提唱したい。ラジカルとは根源的、根源的に考えるという意味で使っている。
100人の組織で1人を説得すると100分1を説得できる。10万人組織のリーダーが1人説得すると10万分の1である。小さい組織のほうが組織化のスピードが速い。これがsmall is radicalの意義である。建築家の隈健吾が、大きな仕事はやりがいがあるのだが、小さい仕事のほうがやりたいことが出来ると語る。まさにその通りである。
② 個人主義を理解できなければ民主主義は育たない
私は1人で哲学を勉強してきたが、日本人は「個人主義」の意味の理解が出来ていないと思う。デカルト(1596~1650)から始まった自我の「我」が日本の思想には育っていない。
芥川龍之介(1892~1927)の自殺は、自分のしたいことが出来なかったとも考えられる。例えば結婚したい女性のことを親代わりのおばに反対されて悶々とした。人生の大事について、したいことが出来ない人生を続けていた。彼は大正デモクラシーの時代に自我を勉強しながら、自我以前の牢固とした社会的関係を克服できなかった。
芥川の先生である夏目漱石(1867~1916)は1911年、学習院で士族華族の子弟に向かって「私の個人主義」という講演をした。自分が何をしたいのか、自分の人生をしっかり掴め。加えて、エリートの君たちは自分のことだけでなく、貧しい人たちのことも考えなければならない。まず個人主義、自分を大事にし、次に愛・地域社会、愛・国心、愛・世界心と展開したのである。彼は個人主義がわかっていた。個人主義が理解できなければ民主主義が理解できない。最近つくづく思う。
③ 人生のロマンは、成熟の味にあり。
発酵微生物学者で、酒学の泰斗の坂口謹一郎(1897~1994)は、日本酒を熟成させないことに大きな不満を語った。あらばしりや新酒ばかり、未熟ばかりを珍重する。なぜか。蒸留酒でも醸造酒でも、貯蔵しておけばどんどん熟成する。もったいない。沖縄の泡盛だけが、熟成させている酒である。「君知るや、銘酒泡盛」と喝破したものだ。
ところで、なぜ酒の成熟が良くて人間の成熟がダメなのか。年功序列の考え方は中国儒教の、長幼の序、1日早く生まれれば1日の長があるとの考え方から来ている。
それで行けば、年をとっても体が動く限り、毎日学ぶべし。学ぶことを停止せず、続けていれば成熟する。人間が成熟することを大事にしない日本の思想は、姥捨て山、年寄りは早く消えろという。この国の政策は、70歳を越えてもまだ働け、つぎは年金を下げる。働けなくなれば早く死ねという、姥捨て政策に見えてくる。
学んできたもの
5) 「世界は劇場、男も女もみな役者」
これは、シェークスピア戯曲の「お気に召すまま」に登場するセリフである。実は、ヨーロッパでは古代中世近世を貫流するメタファである。ギリシャ時代からこの「世界は…」がある。ギリシャ悲劇が有名だが、古代ギリシャ人は芝居好きであった。人生をまさに劇場に見立てて共感していた。
哲学の源流にはお芝居がある。哲学者は学問だけでなく、芝居に薀蓄のある人が多い。芝居はレトリックそのものである。レトリックとは哲学である。
6)「ギリシャ精神の様相」
ブチャー(1850~1904)『ギリシャ精神の様相』という本がある。そのギリシャ詩歌集の中に、「全ては灰、全ては空。泣きながら私は生まれた、あくまで泣いて私は死ぬ。多量の涙において私は全生涯を見出した」とある。
これではお先真っ暗である。ギリシャ人は紀元前10世紀ごろにはこんな調子だったらしい。これが時代が下ると「世界は全て舞台である。人生は遊戯である。まじめさを捨てて遊びをすることを学べ。しからずんば汝の苦痛を耐えよ」と変わる。紀元前5-6世紀の話である。これはこのまま、現代サラリーマンにはまる。ここでいう「遊び」とは、手慰みなどではなく、人生を遊びのつもりで「思い切りやれ」と言っているのである。これ、「絶対元気」と気脈を通じている。
シェークスピアで有名になったが、すでに古代ギリシャで「人生は劇場」の名言が生み出されていた。その意味するところは、人生には浮き沈みがある。世の中は思うようにならない、いわば神の思し召しだから、覚悟して生きようというにある。これは、私が「人生設計」で言いたいところの、「耐力」が必要だ、人生のすべてを受け止めよう。覚悟して生きようという理屈と重なる。
古代ギリシャ人は目の前に起きる事柄の意味を識別して、その諸関係を整えることに一所懸命になった。日常生活を科学しようとしたわけだ。シンポジオンというのは当時の市民たちが横になって飲み食いしつつ談論風発する。たとえば、「卵と鶏のいずれが先か」というようなスピーチを、夜っぴて競い続ける。
プラトン(前427~前347)は、「論理が導くところならばどこにでも進もう」と喝破した。アポロンの神殿には、汝自身を知れ、とある。プラトンの師のソクラテス(前470~前399)は生涯、その言葉に忠実に生きた。
ソクラテスには、「自分は利口ではないが、利口でないことを知っている」との言葉がある。彼は、彼の存在によって飯が食えなくなる演説家たちによって、無実の罪で告発され、死刑を宣告された。助けに来た親友のクリトンに、この国の法を大事にして生きてきた自分が、法の抜け道を進めない、と諭して毒杯を仰ぐ。
ペリクリス(前490~前429)は経済的にも、民主主義においても、建築や灌漑においても、ギリシャ最盛期の統領であった。彼は言う。「討議は行為を害さない。災いはむしろ、最初に網を拓かずして仕事を始めることである」。このときすでに、「啓蒙」思想が出ているのである。
紀元前490年といえば、日本は縄文時代、採取生活で、農耕がなかった。銅器と鉄器と水稲がセットで大陸から入るのは、3世紀である。
民主主義もすばらしかったのだが、古代ギリシャ人は、巧妙な演説に不信用な態度を示していた。いまの日本の民主主義とはだいぶ違う。だから、ペリクリス時代の演説家は、淡々と諄々と語った。もちろん古代ギリシャには奴隷制度があって、今日の民主主義とは異なるが、まさに昔の人は偉大であった!
日本的民主主義に絶望したくなるが、中国の魯迅(1881~1936)は、「私は絶望に絶望した」と断言した。希望などもっても仕方ないという人がいるが、それと同じく、絶望しても仕方がない。魯迅はかくして闘い続けたのである。絶望に絶望するというのは素晴らしいレトリックである。中国人の粘り強さの事例を魯迅に見るであろう。
「学問は苦しい、教えることは難しい。強制せずに導くことが大事だ」。これ、紀元前5世紀の古代ギリシャ人の言葉である。いま、すべての先生がこれで苦労している。
あれこれ話せば尽きないが、古代ギリシャのこのような人生との闘い、エートスを欧州のインテリジェンスは13世紀から17世紀にかけて、発掘し、ルネサンスの大河にした。そして18世紀の啓蒙主義に入っていく。
ずっと下って紀元前1世紀、ホラティウス(前65~前8)の詩に、「祖父母に劣れる父母、さらに劣れる我らを産めり。我ら遠からずしてより劣悪なる子孫をもうける」という厳しい指摘がある。本当にこの通りであれば、人類はどんどん退化して、いまごろは猿の世紀に戻っていたかもしれない。
生は有為転変である。変化には進歩も退化もある。パンタ・レイ(panta rhei ギリシャ)、万物は流転する。森羅万象ことごとく変化する。その変化≒神のおかげで人生の浮沈があるので、覚悟して生きようと、ギリシャ人はすでに気がついていた。
「観念の歴史は常にその行程を歩むが、精神の歴史は常に新しい」。シュペングラー(1880~1936)の言葉である。これは、ランケ(1795~1886)の「(時代が下がっても)道徳的に優秀な人間の進歩を仮定することは不可能である。人道性のようなものは、進歩を認められようが、道徳はあまりにも個人と密接に結びついているからである」という言葉と符号する。
あるいは、科学技術はいったん出来たものは後戻りすることは無い。ところが精神は1人ひとりの人間の問題であり、人間はいくら時代が下っても、未開人のときと同じゼロから育っていくということを考えると納得できるであろう。
われわれの時代は過去の全ての歴史に勝っているとは言いながら、しかし、人は技術を用いて生きているけれど、技術によって生きているのではない。ハイテクは利用しているが、技術を自分のものとして理解しているのではない。
オルテガが、「現在は風潮の時代であり、ドリフター(漂流者)の時代である。ジーニアス(genius=天分・天才)を自分のために使え」と言っている。人生には耐力が必要だ。
M・ウエーバー(1864~1924)は『職業のための学問』で、たびたびディスチプリン(Disziplin 独)、すなわち学べ、鍛錬せよと主張した。自分の人生を鍛えよ。学びは人生の鍛錬である。これを今回の締め括りとする。《次号に続く》
奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人