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報告:勉強についての勉強会報告(下)

ライフビジョン学会

 ライフビジョン学会は2018年11月17日(土)午後、東京渋谷の国立オリンピック記念青少年センターで、「見習いとしての学び」と題する少人数の勉強会を行いました。勉強とは少し努力することである、と中国の古典にはあるらしい…、後半の報告です。

 話   題 「見習いとしての学び」報告(上) (本紙201902号報告済)      

       「学んできたもの」  報告(下)

 話題提供者  有限会社ライフビジョン代表 奥井禮喜


《学んできたもの 前号続き》

7)AIが人間より賢くなるか

 最近AI業界では、AIが人間より賢くなるという、目下のところはナンセンスな話が語られている。しかし、AIは情報の意味を理解しない。人間とは本質的に違う。

 例えば、アウシュビッツを教える。次に、誰かがアウシュビッツは嘘だと教える。次にAIに「アウシュビッツは?」と聞くと、それはありませんと応える。人間ならば、ないわけがないことを知っているが、これができない。数量計算や、膨大なデータを覚えることはできても中身を理解することはできない。

 AIは人間より賢くなるだろうか。AIは、「勧学院の雀は蒙求を囀る」に等しい。囀っていても意味を理解しているわけではない。

* 蒙求=経史子類中の故実。四書五経の経典、歴史、孔子などの古述を596編引き出したもの。例えば、「孫康映雪」「車胤聚蛍」。孫公は窓の雪の光で勉強した、車胤は蛍の光を集めて勉強したなど。

 AIは情報の意味を理解しない。覚えることはできても、「Why」ができない。情報理論は記号の表す内容を捨象して丸覚えするのみである。AIには主体(我)がない。コペルニクス的転回(後述)はできない。人間には我があり、外界の刺激を受け止めて認識して判断する。AIにはできない。いまのAIは記号を論理的ルールで処理するのみであるから、人間より、賢くはならない。

 むしろ現実的な心配は、人間が言葉の意味を考えていないことにある。人間がAI化しているという倒錯した状況がすでに現れているのではなかろうか。

 「コペルニクス的転回」という言葉がある。カント(1724~1804)が、――認識は主観が客観に従うのではなく、主観こそが客観を構成する――と主張した。これは、天動説を否定し、地動説を唱えたコペルニクス(1473~1543)に匹敵するとして、カント自身がコペルニクス的転回と呼んだのである。

 誰もが、状況は正しい、絶対に動かせないものと思っている。それを決めているのは誰かの主観である。例えばロシアとの外交を例にとろう。領土問題の解決、すなわち四島返還を高唱していたのに、突然、二島返還プラスα論が登場する。ロシアは、領土問題はないというが、客観的条件ではなくプーチンらが言っているだけだ。二島プラスαも日本側の一部が言っているだけである。主体によって状況はいかようにも変えられる。

 日本の政治は、モリカケをはじめとして客観的には! 大混乱だ。役立たずの某や問題児の某某などを大臣に任命したのは、客観的には! まことにド外れている。しかし、一方では、モリカケ隠しに都合が良い。つまり、世間は適材適所でないとみるが、安倍某からすれば、自分が追及される時間が減るのだから、まさに適材適所である。自分の外堀を増やして延命を図る政治手法を、知ってか、知らずか、結果的であっても、国民の主観が認めているわけだ。

 主観が状況をつくっているが、目下のAIには、そんなことはできない。

 バートランド・ラッセル(1872~1970)は、――地球自体を吹き飛ばす核時代にあって、国家権力、画一化された生活、目まぐるしく動く世界情勢において、人々が没個人的に麻痺してしまっている――と警鐘を鳴らした。(「冷戦についての私の見解」)

 高校生大使や広島の人たちが核の廃絶を訴えているが、核があるのは客観的に仕方がないというのが大方であろう。しかし、誰が決めているのか。そういう状況を、主観的に決めている人たちが、決めているだけだ。面倒なことは専門家にお任せというのが一般的気風であろうが、果たして、人々が期待しているように専門家が獅子奮迅の活躍をしてくださるであろうか。

 パートランドラッセルはさらに、――専門家たちは権力側からの圧力に屈しやすいし、主流派の圧力にも弱い――と指摘した。

 「コペルニクス的転回」を求められているのは現代人1人ひとりである。

8)戦後日本人の思想は、革新されたか?

 過日、聴講した哲学教授は「日本人(精神)はプレモダンとポストモダンの間にある」と話された。ということは、日本人は西欧が到達したモダンに到達していないのである。厳しくいえば日本人はプレモダンなのである。

 一億玉砕までは、皆、死ぬ覚悟だった。玉音放送で戦争が終わった。そこで日本人に精神的空白が発生した。敗戦後の5~6年は、飢餓から生き残るために、精神的空白を熟慮することもなく、ひたすらメシを求めて走った。

 敗戦と戦後を体験した、いま85歳以上の人は、世の中に消し難い不信感をもっているだろう。敗戦までは国のために滅私を叩き込まれた。敗戦で先生が、正反対のことを言う。まじめに軍国少年になった人には、苦いし、辛い。生死がかかっていたのだから、時間が経過してもチャラにならない。

 しかし、本当に空白だったのか? 本気で玉砕、死ぬことが正しいと確信していた人には空白であるが、お上が言うから玉砕だと思っていた人は、始めから空白である。そうすると、戦前も戦後も空白、空白から空白であるから、じっくり民主主義の勉強をしていなければ、そのまま今日まで来たと思われる。

 永井荷風(1879~1959)は敗戦の報を聞いて、肉を買い求めてきて宴会をした。彼は空白ではなかった。永井のような確信的中身をもっていた人が多かったわけがない。空白から空白だと仮定すると、戦後の日本人は果たして中身をもったのかどうか、疑わしい。

 少し前までは、民主主義の革命が進み、その勢いがなくなったから、安倍某に代表される右翼・反動が出てきたと思っていたが、そうではなくて、最初から空白の上にデモクラシーの看板があるだけで、ずるずるきて、そこに戦前型そのものの安倍某らが出てきて、状況が動いたのではないだろうか。

 日本人は、もともと天下国家はどうでも良い、お上は「敬遠」すべしの処世術である。自分の周りとか生活に「小状況」を作り、私生活至上主義に留まる。「小状況主義→私生活優先→アパシー(apathy)」へというわけだ。なるほど、自分が確実に手中にできるのは、身辺のものごとである。身辺と自分との関係にこだわるのは、たしかに合理的である。

 信用できない連中の言うことなんか絶対に聞かないぞというアパシーと、全く空白からきたアパシーには違いがある。後者は、権力が全体主義的傾向を強めたら、そのままついていくだろう。前者は、背馳ないし抵抗するはずであるが——

 保守・右翼人士が盛んに、日本的精神、日本的伝統を言う。

 日本的精神を考える。一方に「エートス(ethos)」「パトス(pathos)」がある。本当に日本的精神に麗しい伝統があるとすればエートスである。社会全体が共有している誇らしい倫理道徳のようなものがあるはずだ。

 古代ギリシャ人が「生まれないほうが良かったのに生まれてしまったのだから、早く生まれる前に戻ったほうが良い」という虚無的思想から、人生の浮き沈みを覚悟して力強く生きるべきだという精神に到達した。これが古代ギリシャのエートスである。それゆえ、13世紀後半以降、欧州の人々はそれから学んで、ルネサンスの潮流を生み出した。日本人にそれらしいものが感じられるであろうか。

 日本の伝統というものを少し回顧してみよう。要約すると次の3視点である。

 a 和魂漢才は平安時代(794~1183)の中期に登場した言葉である。和魂洋才は明治時代に登場した。

 b 日本人が採用した外来文化の太宗は即物的なもので、その科学や技術を生み出した文化の精神が十分に理解されたとはいえない。

 c 戦後「空白」期=民主主義の出発についても民主主義精神の理解が不十分である。

 弥生時代は3~4世紀、卑弥呼のちょっと後である。石器と縄文式土器は縄文時代である。石器時代から銅・鉄器の時代に移るのだが、日本には弥生時代に銅と鉄、水稲が同時に大陸から入ってきた。大変な文化的変貌である。

 日本の文化は真似から始まっている。大八島とか豊芦原瑞穂の国は日本の美称だが、水稲は大陸から来ているから、日本の伝統文化の根元ではない。日本には縄文時代しかないのだが、縄文のエートスとは何だろうか。保守層が日本の文化を高唱するが、真似ばかりではないのか。

 和魂漢才は、平安中期だから900年頃、中国は宋の時代である。宋は、外からいわゆる蛮族に攻められ、内は財政危機に苦しんだ。宋の時代の儒教・朱子学が日本に入って本格化したのは時代がずっと下がって江戸時代中期である。明治時代に『新日本史』で竹越三叉(1865~1950)が、日本の儒教は外国から攻められ敗北した時代の、元気のない宋の哲学だと痛罵している。

 和魂漢才とは日本の魂で中国の才を生かすというが、宋の時代にはほとんど交易がなかった。遣唐使・遣隋使が終わってすでに鎖国に入っていた日本では、以前入っている中国の知恵を日本流に応用しようというものであった。

 和魂漢才、明治の和魂洋才の両方に共通するのは、外来文化の即物的なもので、文化の精神は理解不十分、いまだ消化していない。例えば「我」、「自我」などほとんど分かっていないし、考えようともしない。そこに戦後の空白期があり、上からの民主主義が入ってそのまま来ている。日本人の民主主義がうまくいかない理由は、根元がドンガラだったと考えるべきではないだろうか。

 文化人類学者の津田左右吉(1873~1961)、倫理学者の和辻哲郎(1889~1960)はいずれも文化功労者である。日本文化について津田は言う。外来文化をすべて排除すれば日本の伝統の根っこが出てくるから、外来モノを全部引いていけとする。和辻は、ゼロに何をかけてもゼロだ、日本の文化は全部大陸から来ている、と手厳しい結論を出している。和辻は、日本人はエートスがなく、パトス的(付和雷同・衝動的)だという指摘もしている。

 最近、「日本人は古来2千年、神話で生きてきた」と書いた本が出たらしい。日本の伝統精神は神話だと居直る。これでは呪術時代の延長であり、啓蒙どころの話ではない。大衆に論理はいらない、涙腺をくすぐるだけで儲けるという売文根性が露呈している。

 大正デモクラシーは、便宜上1915年から1925年ぐらいをいう。文化勲章の中国史学者・貝塚茂樹(1904~1987)によると、大正デモクラシー時代の学生は、熱心にカントを読んでいたそうだ。しかも、ただ読んで理解するだけではいかん、カントを乗り越えようという気迫をもって学んでいたと述懐している。受け入れるだけでは真似に終わる。いま、乗り越えようという気風があるかどうか。

 デカルト(1596~1650)の「cogito, ergo sum」(我思うゆえに我あり)は誰でも知っている。民主主義のベースは「我」である。これこそが個人主義の原点である。デカルトは、「意識の内容を疑い得ても、意識する私の存在は疑い得ない」と指摘した。何を考えているかはともかく、何かを考えている私の存在は否定できない。意識する内容が問題である。

 コペル君のワンシーンに、百貨店の屋上から自転車で走る少年を見下ろしていて、彼は大きな気づきを得る。少年を見ている自分がいる、自分も誰かに見られているかもしれない、自分が見つめている自分に気づいた。ただぼんやりと見ていた自分と、自分以外に気づいた。

 コペル君は、さらに、自分中心でしか見ていなかった社会との関係に気づく。自分中心から社会中心の視点に至った。かくしてコペル君は、デカルト、カントに到達した。コペル君のおじさんは、まさにコペルニクス的転回だということを評価して、コペル君というニックネームを与えた。吉野源三郎(1899~1981)『君たちはどう生きるか』は哲学読本である。

 デカルト、カントの時代に触れておく。16~17世紀はまだ、キリスト教会の力が強い時代であり、欧州は聖と俗とが複雑に入り乱れて激しい混乱を引き起こしていた。ガリレイ(1564~1642)の「それでも地球は動いている」は、下手をすれば火あぶりにされた時代だった。

 キリスト教においては、初めに「神の言葉」ありきである。神ではない人の言葉は否である。これはまったく外発性であり、自分がない。神の言葉通りに動くのみである。コギト、「我思う」がなかったわけだ。

 信仰ではなく理性(我)で真理を探究すべし、というのがデカルトのコギト・エルゴ・スムである。理性を用いて真理を探求せよというのは、極論すれば、神の言うことを無視せよというのだから、キリスト教会の精神とは全面対立だ。大変な思想的展開である。

9)学びについての断片

 マタイによる福音書第11章に、イエスが群衆に語る場面がある。「あなたたちは、何を見に荒野に出てきたのか、風に揺らぐ葦であるか」。この言葉を受け止めてパスカル(1623~1662)が『パンセ』(思想)の113に、「考える葦。私が私の尊厳を求めるべきは、空間に関してではなく、私の規定に対してである」との言葉を記した。

 われわれが生きているのは荒野のようなものだ。何を見に荒野に出てきたのか。新聞もテレビも見ていても、何も見ていないみたいではなかろうか。「考える葦」もまた深遠な意義を感ずる。

 学問は、何をなすべきか、いかに生きるべきかについては何も教えない。M・ウェーバー(1864~1920)は、「学問は無意味な存在である。なぜなら、それはわれわれにとってもっとも大切な問題、われわれは何をなすべきか、いかに生きるべきか、に対して何事をも答えないからである」と喝破した。

 「あらゆる学説は灰色であるが、自分の樹は永久に緑なり」と語ったのはゲーテ(1749~1832)であったと思う。学説そのものは灰色みたいなもので、自分の樹を緑に維持するために、学問を使うのだ。学問は点数獲得のためにするものではない。生きることは生涯をかけて学ぶことである。

 「目的のない人生は退屈である」。以前から人生設計のセミナーで話していた言葉だが、セネカ(前4~後65)がすでに書き残していた。

 さらに、「Ars longa, vita brevis」(アルス・ロンガ・ウィータ・ブレウィース 芸術は長く、人生は短い)という有名な言葉もある。ヒポクラテス(紀元前1世紀の人らしい)は、ヨーロッパの経験医学の祖とされるが、彼の言葉である。ひたすら学んで研究して医学を進歩させようとした「ヒポクラテスの倫理」はいまでも、医学界の倫理として大事にされている。学びとは、止めずにぶつかって続けていくことだと思う。

10)読書について

 読書の価値は思索にある。リーディングからスタディへと、学ぶのが読書子の構え方であろう。本は知識でなく、生きる知恵のために読みたい。何か、問題意識をもって考えているときに良い本に出会えば、時至るというわけである。

 なぜ古典が優れているのか。どんどん新しい本が出るが、根元の本を読むことが大切だと思う。古典の価値は、長く生きてきた書物であり、熟成しているからである。ベストセラーを読むよりもロングセラーを読むべきだ。古典は古今東西のスーパー・ロングセラーなのだから——時代を超えて生き残る知恵を大事にしたい。それゆえ、温故知新というのである。

 懐疑心を養うべきである。読書における態度はテーマ(問題意識)を持つことである。そして、批判的に読むことが大切だ。哲学でいうKrietik(クリティーク 批判)や、「懐疑」というのは、よくよく吟味せよという意義である。もちろん、批判論者・懐疑論者が何に対してもシニカルな態度をとるのとは違う。

 私のぶれないテーマは「個人と組織、社会」にある。20代に芽生え、自分なりに本腰を入れてから40年ほどになる。これを一貫して追いかけている。目立った成果が上がらないのは、依然として勉強が不足しているからだ。

 古今西欧の知識人は、ペンを手にして読むという。そして、ワード、グラマー、レトリックのうち、とりわけレトリックを大切にした読み方である。レトリックは、他者を説得する際の核心である。欧米政治家の演説と日本の政治家の演説は、ずいぶん印象が異なるが、これは長い読書とレトリックに親しんできたことの差が出ているのだと思う。

 日本はレトリックに対する関心がない。あるいは勘違いして、言葉巧みな弁論術だと考える人が少なくないが、これは本質ではない。レトリックは、自分の考えを理解するために、それを言葉の組み立て方によって「明晰・判明」(デカルト)に表現するためである。

 われわれは、大きくいえば、人間観、世界観の研究に挑戦している。あるいは自分のためには、人生の「耐力」をつけるために学んでいる。知識より知恵を身に付けたい。[完]


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人