月刊ライフビジョン | 論 壇

仕事とあそびと働き方を考える

奥井禮喜

兵士から産業戦士へ

 松尾さんは旧日本陸軍の工兵隊の伍長であった。

 1942年のシンガポール上陸作戦に参加した。本隊が相手の砲撃を受けないために、松尾さんは50台の車両で100名の兵士を率いて、本隊とは別の方角へライトを点けて爆走する。カラクリの想定地へ到達すると、ライトを消し静かに出発点へ戻る。囮(おとり)による陽動作戦である。数回繰り返して本隊の渡河作戦を成功させた。相手が黙って見ているわけではない。猛烈な砲撃で仲間の数人は帰還できなかった。生き残ったのが不思議だった。

 敗戦で工場勤務に戻った。

「権力者(上官)が多数の人命を左右する軍隊組織の命令に対して、個人の意志をさしはさむことはできない」。彼が、軍隊での体験を綴ってくれたのは、戦後30年、1975年夏に、わたしが編集している組合の雑誌の「戦争を語り継ごう」という特集のためである。

「上の命令」に絶対服従する。これはおかしい、と思いつつも骨の髄まで浸み込んでいる慣わしはしたたかである。わたしが初めて松尾さんと会話したのは彼が52歳、わたしの母親と同い年である。

「わたしは、ずっとごりごりの出世主義者だった」と述懐した。出世主義者といっても、中卒の叩き上げであるから、ポストを狙うというのではなく、上司の言うことには絶対服従してきたという意味である。歯切り盤を使わせたら、彼の右に出る者はいない。超のつくベテラン技能者である。仕事一筋である。クソのつく真面目である。

 松尾さんは、たまたまわたしらが提唱した「人生を考える」セミナーに大きな興味を持った。仲間同士で会話する愉快を痛切に感じた。いままでは本当に「自分シテイタ」のだろうか、と考えた。「自分らしく生きたい」「自分らしく生きるとは、どういうことか」を考えるようになった。

産業戦士「あそび」に捕らわる

 定年と同時に、松尾さんは一念発起した。

「本を読もう。本を読まなきゃ進歩がない」。松尾さんを知る人は驚き、そして感じ入った。まず、地元百貨店へ行って本棚を購入した。次に、地元N新聞の読書論を丹念に読む。これは、と思う本を次々に購入する。「いかん! N新聞の読書評論はいかん。当たりをつけて買って読むのだが、数ページで嫌になる」。で、読書の志は断念した。

 会社には立派な体育館があって、OBはもちろん地域の市民に開放している。誘われて、断りきれずにOBのバドミントンのグループに参加した。軍国少年、立派な兵士、産業戦士の本道(?)をひたすら歩んできたが、「あそび」とはとんと無縁で、もちろんスポーツなんてものはやったことがない。せいぜい銃剣術である。断りきれずに参加した。

 もともと身体を動かすのは好きである。汗が心地よい。OBグループは野郎ばかりなのだが、今度は、隣でやっている主婦グループにも誘われた。わたしが知る限り、自分から女性に話しかける性格ではない。筋の通った気風の良さが女性たちに受けたのであろう。もっとも本人はその経緯は言わなかった。

 某日、松尾さんが「小説を書いたので読んでくれ」と言う。読書は断念したが、そんな他人の古着を追いかけるのではなく、創作するというのだ。わたしは驚きつつ、その進化に舌を巻いた。先に組合の雑誌に原稿を書いてもらったが、多少は手を入れたけれど、要旨は明快であるし、状況の描写もちょっとしたものである。文字も丁寧できれいであって、人柄そのままに剛直さが現れている。(当時はまだ原稿用紙に書いていた)

 読んでさらに驚いた。ほのかなラブロマンスではないか。400字詰めで50枚ほどあった。まあ、しかし、小説といえる代物ではない。日記風と言えばいえなくはないが、こりゃあ、モノにするには並々じゃないなあ。とりあえず、いくつかの提言をして、再度、挑戦してもらうことにした。

 ほどなく、松尾さんから「小説は止めた」と電話が入った。机の上に置いていた小説を細君が読んだ。「こりゃあ何だ!」。小説だと答えたが、納得してもらえない。「どおりで、嬉しそうにバドミントンやらにしょっちゅう出かけとる」と、邪推された。ほとほと困った。

 わたしは「弁解しても仕方ないから、そっとしときなさいよ」。「そっとも何も、以来、全然口をきいてくれないんだ」。松尾さんには悪いが、わたしは大口開けて笑いそうになった。わたしが想像する以上に、昔型の夫婦の紐帯は強い。いや、厳しいのである。バドミントンに行きにくい。「小説なんか書かなきゃよかった」。それに対して、わたしはどう慰めたか記憶がない。たぶん、笑いをこらえるのに必死だったはずである。半年くらいは緊張関係が続いたらしい。

 次は家庭菜園に挑んだ。野菜が相手であれば、愛情を降り注いでも細君の容喙を許さず、と思ったかどうかは知らない。ただし、おばあちゃんとの関係にさざ波が立った。10坪ほどなのであるが、おばあちゃんは自分に主権があると考えていた。いろいろ懐柔して何とか切り抜けた。

 イチゴを作ってやろう。本棚と同じである。ビニールハウスから作った。自分で組み立てた。この辺りはお手のものだ。さすがベテラン技能者である。遠く遡れば工兵隊での技術・技能も半端ではない。さすがやなあと思った。

 ビニールハウスはできたが、しばらくして台風に襲われた。全部飛んで行ってしまった。「大損害だ」と松尾さんは嘆いた。家庭菜園も断念した。お陰で、おばあちゃんとの関係は依然同様に和やかになった。人間万事塞翁が馬みたいな結末である。

 わたしは、松尾さんをダシにして笑い話を書こうとしたのではない。

「あそび」というものを人生に取り込むのが容易でないことの生きた事例として紹介した。

読書についての断片

 昨今、読書しないという話をよく聞く。というか、わたしがモノゴコロついてから、世間で「皆がよく読書する」という話を聞いた記憶がない。たとえば、18歳で入社したとき、身上書みたいなものを記入させられて、そこに趣味の欄があった。「書くことないから読書と書いておいた」というのが主流であった。

 半世紀近く前の組合を振り返ると、よくしゃべる連中が多かった。しゃべるが、原稿を抵抗なく書く人の割合は10人に1人程度だった。「読書サークル」を作っていた。芥川賞・直木賞の作品を合評したり、自分たちで創作をする。なかなか生意気な知識人が多かった。しかし、メンバーは数人である。大ざっぱに見て、読書人は5%もいるかというところであった。

 ショーペンハウエル(1788~1860)は、『読書について』(岩波文庫)で、「読書は他人にモノを考えてもらう」ことであると書いた。「常に、乗り物を使えば歩くことを忘れる」のだから、自分で考えねばならない。なんとなれば読書は、自分が考えるために活用せねばならない。

 とはいえ、本に書かれたことを正確に理解するだけでもかなり苦労する。ショーペンハウエル流は、書かれたことを通して著者と対話、あるいは対論するわけだから、その能力が備わっていなければならない。

 もちろん、本は、それぞれ著者が勉強し、思索した結果であるから、読者が直ちに著者と同等の能力を持つことはできないが、少なくとも書かれたことが妥当であるか、そうでないかを見抜く程度の見識を持たねばならない。

 自分が知らないことを本から探す読み方もある。ショーペンハウエル流が論を読み取ろうとするのに対して、こちらは知識を得るために読む。その場合、大切なことは、「何を」「何のために」読み取ろうとしているのかという自分の目的意識が必要である。

 しかし、本から得た事実が絶対に正しいかどうかは依然としてわからない。そうすると、単純に知識を得るというけれども、書かれた事実が妥当なものであるかどうかを確認する作業が必要になる。裏を取らねばならない。つまり、あるテーマについての知識は1冊の本を読めばOKというわけにはいかない。

 あの本には、こんなことが書いてあった。この本にはこのようなことが書かれていた。ということが集積するだけではダメだ。自分が追いかけている読書の目的に照らし合わせて考えることが大事であろう。料理にたとえれば、本に書かれたことは食材で、それをおいしい料理にするのは自分の腕前である。

 読書もまた実際の体験からすると、精神的集中のみならず体力勝負でもある。いくら字面を追っかけたところで、中身を十分に理解できないのであれば、ただ本と共に時間を過ごしただけである。

 読書するのは、たくさん本を読むのが目的ではない。自分の思索を深める手助けにすると考えたい。読書のツマズキは、「何のために」読むのかが定まらないままに、あれこれ手を出してしまったことにありそうだ。

仕事とあそびと働き方を考える

 仕事も難しいが、「あそび」も容易に達人になられるわけではない。

 仕事の必要上、本を読むというのは何か役立つ情報をさがしているのだから、読書としてはラクである。難しいのは、仕事ではなく、自分の「あそび」としての読書である。松尾さんは、「あそび」の罠につかまったともいえる。

 森鴎外(1862~1922)は、陸軍軍医の枢要なポストにありつつ、作家活動をした。彼は小説を書くことを「あそび」だと称した。注意しなければならない。彼が言う「あそび」は、アイドリング的あそびではない。

 陸軍軍医が立派な肩書きの森鴎外だとすると、作家は森鴎外という人間の生身の森鴎外である。鴎外がもっとも自分らしい時間を自由に過ごすのが「あそび」なのである。医学の技術を駆使する鴎外ではなくして、自分自身を最大限引っ張り出す鴎外なのである。

 自由な世界において、自分らしく、羽ばたく――といえば恰好はよろしい。しかし、医学にせよ、他の技術の世界にせよ、何らかの形があるが、自由な世界において、自分らしく羽ばたくということには定まった形がない。小説を「あそぶ」のは、いわゆる手慰みではない。自分が最大限羽ばたくための創造活動であり、自分の可能性をとことん追求するのである。

 ものを書く場合、「考えずに書く」よりは、「考えながら書く」ほうがよい。さらに「考えながら書く」よりも「考え抜いて書く」ほうがよろしい。その考え方が妥当なのであれば、読む場合も「考えずに読む」より「考えながら読む」ほうがよいし、さらに「考え抜いて読む」のが最上ということになる。

 暇潰しに、本でも読もうかという程度の読書であれば、時間は潰れるが、読んだという喜びがない。喜びがないことには早晩飽きてしまう。

 喜びが得られる「あそび」であって本当の「あそび」であると考えれば、「あそび」を「あそぶ」のは、生半可なことではないらしい。「仕事とあそび」の両方を楽しむのが、本当の「働き方改革」だと考える。これは難しい。難しくもないことに「改革」を唱えるなど、頭があそんでいない証拠である。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人