月刊ライフビジョン | コミュニケーション研究室

被告人の利益より司法の権威と面子を優先した高裁決定

高井潔司
――マスコミ喧噪の中で忘れ去られる袴田事件

 日大のアメフト問題から米朝首脳会談、さらにはワールドカップでの日本代表の予想外の善戦で持ちきりだった6月のマスコミ報道。その中でひっそりと忘れ去られようとする報道に、袴田事件の再審(裁判やり直し)の取り消し決定がある。私は大学で「メディアと人権」という授業を担当し、メディアが引き起こす人権侵害(報道被害)について長年講義している。この事件はメディアが冤罪を助長する報道を行った典型的な人権侵害の報道例として取り上げてきた。その視点から検察側の抗告に関する審理を見守ってきたが、今回の再審取り消しの決定は、冤罪を生み出す日本の司法の体質をさらけ出す、残念な結果となった。

 袴田事件は、1966年6月、静岡県清水市のミソ製造会社専務宅で一家4人が殺害され、放火された事件。焼け跡から専務(当時41歳)、妻(同39歳)、次女(同17歳)、長男(同14歳)の遺体が見つかった。この事件で、容疑者として逮捕された同社の従業員の袴田巌・元被告(同30歳)は、裁判で一貫して事件への関与を否認してきたが、68年一審の静岡地裁で死刑判決を受け、80年最高裁で死刑が確定した。

 死刑確定後も、元被告側は二度にわたって裁判の再審を請求した。事件は元々、清水市みそ会社専務宅一家放火殺人事件だったが、再審請求以後、袴田事件と称されるようになった。二度にわたる再審請求の結果、2014年3月、静岡地裁は再審開始を認める決定を行い、袴田氏は事件発生から48年ぶりに釈放された。この再審決定で地裁の裁判長は「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑いがあり、犯人と認めるには合理的な疑いがある」「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」とまで述べた。袴田さんは殺人容疑者、死刑囚として半世紀近く拘留されてきた。

 静岡地裁の再審決定にもかかわらず、検察当局は東京高裁に抗告した。東京高裁(大島隆明裁判長)は4年余にわたる審理の結果、6月11日、地裁決定を取り消し、再審請求を棄却する決定を出した。決定によると。地裁は再審開始の根拠とした弁護側のDNA型鑑定について「信用性は乏しい」と判断する一方で、袴田さんの健康状態などを考慮し、死刑と拘置の執行停止については維持した。

 裁判のやり直しを命じた地裁決定では、確定判決が犯行時の着衣と認定した「5点の衣類」の血痕について、弁護側推薦の本田克也・筑波大教授が「袴田さんのものでも、被害者のものでもない」と結論付けたDNA型鑑定の信用性などを認め、再審開始を認めた。  

 これに対し、高裁は本田氏の鑑定について「一般的に確立した科学手法とは認められず、有効性が実証されていない」と指摘。「鑑定データが削除され、検証も不能だ」と批判し、信用性を否定した。また、地裁決定は「5点の衣類」が事件から1年2カ月後にみそタンク内から見つかった経緯を巡り「衣類の変色の仕方が不自然で、警察が捏造(ねつぞう)した疑いがある」としていたが、高裁は「タンク内のみその色と再現実験のみその色が異なるなど比較方法が不適切で、地裁の判断は不合理」と覆した。

 再審の審理は、通常の裁判と違って、確定判決があり、それを覆す新しい証拠の提出が必要となる。それが5点の衣類に付着した血液のDNA鑑定だった。検察側は地裁の再審決定に対して、その根拠となるDNA鑑定の鑑定方法について信用性がないと指摘し、高裁の再審取り消し決定を勝ち取った。

 私にいわせれば、それは重箱の隅をつつくような、目くそ鼻くそを笑うという類のやり方である。DNA鑑定以前にそもそも血こんの付着していた、「5点の衣類」自体が、地裁決定では「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑いがあり」と指摘されたほどで、袴田氏のものではない。事件を少し振り返ってみるだけでもそんなことはすぐわかる。この事件では、逮捕から起訴、裁判の途中まで、袴田さんが犯行時着ていたとされたのは、パジャマであり、そのパジャマに着いていた血痕が数少ない状況証拠だった。

 例えば、1966年9月7日付の毎日新聞は社会面トップで「袴田ついに自供」と報じ、この記事には「金ほしさにやった」「ねばりの捜査69日ぶり解決」「“パジャマの血”でガックリ」「葬儀の日も高笑い」「“ジキルとハイド”の袴田」という見出しが躍っている。捜査段階で、もう犯人は袴田以外にいない、極悪非道の犯人と決め付ける「犯人視報道」だ。いまなら考えられない人権軽視の報道である。

 それはともかくこの報道では犯行時着ていたのはパジャマである。「調べを始めてから一時間後、パジャマについていた被害者の血液を追及されると、うつむいて涙をポロポロ流した。やがて聞き取れないほどの小声で『私がやりました。橋本さん一家には申しわけありません』と自供を始めたという」と毎日報道にはある。

 ところが今回、DNA鑑定の方法に問題ありとされた「5点の衣類」とは、Tシャツに、ズボン、下着である。やはり犯行時に袴田氏が着ていたというのだが、この衣類は袴田氏の裁判途中の67年8月に、このみそ会社の工場内のみそ樽から突然、見つかり、パジャマから一転して、今度は5点の衣類が証拠になってしまったのだ。事件発生後みそ樽は警察当局が何度も調べて見つからなかったし、事件直後からマークされ、一か月後には逮捕された袴田氏が隠すことは不可能だと、当時の捜査官は再審決定後NHKの取材に証言している。しかも、ズボンのサイズは小さく、裁判でも弁護側は袴田氏に着せてみせて、これは袴田氏のものではないと主張した。しかし、検察側は縫い込まれた表示に「B」とあり、つまりズボンのサイズはB体でみそ樽の中に放置されていたので縮んだものだと主張した。これもNHKが製造元を取材した結果、「B体」ではなく、「ブルー」の「B」を意味する表示で、捜査に来た刑事にもそう証言したことがわかっている。にもかかわらず当時の裁判では、「B体」として扱われ、袴田氏のものとされた。

 そもそも「パジャマの血」も疑わしいのだ。事件一週間後、このパジャマを基に任意で袴田氏を事情聴取したが、決め手とならず、帰宅させている。その時の読売報道では、事件担当の静岡県警捜査一課長が記者会見で「はっきりした証拠がなく、また借金と恨みなどの動機も見当たらない。衣服についているのは返り血を浴びたというような多量な血こんではない」と述べている。つまり、「パジャマの血」では証拠にならないから、裁判の途中から「5点の衣類」に“着替え”させたのだ。

 では「“パジャマの血”でガックリ」と袴田氏が自供したのはなぜか。調査した一審の元裁判官は、自供までの数日間、最高16時間という過酷な取り調べを行っていたと指摘している。新聞は「ねばりの捜査」と賞賛するが、実態は拷問に近い過酷な取り調べだったのだ。

 もし裁判をやり直すとしたら、一から裁判をするわけだから、こんなでたらめな証拠のでっち上げから言っても、無罪は間違いなしだろう。毎日報道によると、再審を取り消した高裁の決定でさえ、捜査段階の袴田さんに対する取り調べについては「供述の任意性や信用性の確保の観点からは疑問と言わざるを得ない手法があった」と指摘している。

 ところが、高裁の抗告の審理では、確定判決を前提に、新証拠が妥当かどうかつまりDNA鑑定の信用性のみが問われた。確定判決で、「5点の衣類」は袴田氏のものとして認定されているから、そこには疑問を差し挟む余地はないのだ。袴田さんのものではないでっち上げの可能性が高い5点の衣類に付着していた血痕が袴田さんや被害者の血液であるかどうか、その鑑定に信用性があるのかどうかという的外れの議論をしているのだ。私が目くそ鼻くその類の議論だというのはそうした意味だ。

 こうして地裁の再審の決定は破棄され、冤罪捜査とそれに追随した誤審を覆い隠し、司法、捜査当局の権威と面子が保たれた。弁護側が抗告するのは当然だが、また数年、その審理が続き、高齢となった袴田さんや獄中の袴田さんを支えて来た姉の存命中に無罪を勝ち取ることはもはや困難な見通しにあるという。

 高裁決定の質の悪さは、裁判のやり直しを否定しておきながら、死刑と拘置の執行停止については地裁の決定を維持したことだ。死刑の判決を支持しながら、その死刑囚の釈放を許すとは不可解で、矛盾も甚だしい決定だ。決定は、もし再拘置としたら、世論の反響が大きくなることを恐れたのであろう。

 各紙の社説は「釈然としない逆転決定」(朝日)など決定に疑問は投げかけているが、トータルにこの事件を批判していない。わずかに読売社説が「いったん、再審開始決定が出たら、原則として再審に移行し、公開の法廷で決着をつける。こうすれば、結論に至るまでの時間を短縮できるのではないか」と提言していたのが、目についた程度。DNA鑑定の信用性という目くらましに気を取られて、報道はこの裁判、捜査全体の問題点からずれてしまっている。

 この国の裁判の有罪率は99.9%というあり得ない数字を誇りにしている。裁判が有罪であることの確認に終わっており、疑わしきは被告人の利益にという民主主義社会の原則から大きく逸れている。無罪を勝ち取るためには、弁護側が無罪を証明しなければならない仕組みとなっている。ところが、証拠は全て検察側が握り、近年多少は例外的措置が見られるが、現実は検察にとって有利な証拠しか開示していない。これでは無罪など勝ち取ることは事実上不可能だ。弁護士もそんな金にもならない、コストばかりかかる無罪弁護など本気でやる人がいないという。

 袴田事件はこうした日本の司法、捜査の問題を問い直す貴重な機会でもあった。今回の高裁決定はその機会をそらす内容とタイミングであった。決定公表の日を勝手に操作できるとは思えないが、大阪地震とワールドカップの日本代表登場に合わせて、逃げの記者会見を開いた加計学園理事長の悪辣さを思い起こさせる再審破棄の決定だった。


高井潔司   桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て現職。