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職場のセクハラ・パワハラと人事管理の病理

21組合研究会

荒れている職場  人事管理がわかっていない

 パワー・ハラスメントについて考えてみよう。これ、和製英語である。職場で上司が、地位や権威を悪用して部下をいじめるような場合だ。多くは、言葉による精神的暴力で人格が傷つけられる。加害者側の心理としては被害者に対する差別意識、敵意、嫌悪感などがあると思われる。

 仮に被害者が裁判に訴えたとすれば、適正な業務範囲についてなされたことか否かの確定が争点になりやすい。しかし、いちいち実際の言動・行動が記録されていないから、事実を再現できない。当事者それぞれの主観について争われることになる。第三者によって、否定できない明確な証言があればよろしいが、まずそれは期待できない。なぜなら、公平な第三者が存在するような事情にあれば、裁判沙汰になるようなハラスメントが発生するわけがないからだ。

 つまり、ハラスメントが発生するような職場は、チームは、人間関係は荒れている。

 2011.7厚労省「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議」が設置され、2012.3「職場のパワー・ハラスメントの予防・解決に向けた提言」がまとめられた。そこでの行為類型(すべてではないが)は、

 ① 暴行・傷害(身体的攻撃)。

 ② 脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言(精神的攻撃)。

 ③ 隔離・仲間外し・無視(人間関係切り離し)。

 ④ 業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害(過大な要求)。

 ⑤ 業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと(過少な要求)。

 ⑥ 私的なことに過度に立ち入ること(個の侵害)。

 これらは、職場の人事管理における病理的症状である。原因は人事管理の根幹にあることに気づかねばならない。人事管理がわかっていない。

成長する生き方の追求

人事管理の指向性

基本的人権  民主的職場運営
個の尊重 相互の対等  チームワーク
個の侵害 相互の蹂躙 パワハラ・セクハラ
飢餓克服 弱肉強食サバイバル

人事管理(思想)の迷走  人事管理は歴史的に後退した

 人事管理事情を簡単に回顧してみよう。

 1960年代は「大きな顔をする部下を育てよ」という言葉が主流であった。いちいち上司にお伺いを立てて指示を待つのではなくて、1人ひとりが主体的に仕事に挑戦せよというのである。また「仕事は盗め」という気風もあった。手取り足取り教える以前に、まず個人の主体的な成長に期待したのである。

 *技術・技能をもつ人が後輩に盗まれたくないことから発生した面があるが、これが本人の奮起を促し、職業人としての自立的精神を育てることに通じた。組織文化が成長して、仕事をチームでやる認識が深まって、適正な指導が加えられるようになった。

 1970年代半ばになると「ほめて育てよ」という言葉が登場した。戦後のベビーブームの団塊世代(1947~1949生)が企業社会に大挙入ってきた。それ以前の刻苦勉励型の気風が薄れ、なにごとに対してもがまんしない。叱ったり怒ったりすると直ぐに辞める。その反省から、本人の主体性に期待をかけるだけではなく、先輩世代がもっと丁寧に意識的に育てようというのであった。

 *ほめるためには、必要な指導をして、それが達成された場合にほめるのであるが、ただほめればよろしいと勘違いした管理・監督職が少なくなかったから逆効果も生んだ。

 1971年、ニクソンショック、1973年、石油ショック、1960年代からの公害問題もあり、企業は大きな経営上の課題に直面した。善戦敢闘の甲斐あって、ジャパン・アズ・ナンバーワンなどというようになる。今度は安堵感と慢心の気風が漂い、刻苦勉励を唱えても糠に釘、「がんばれ」などの言葉が古臭いといわれる体たらくになった。

 1980年代には、「ほうれんそう」(報告・連絡・相談)が会社を強くするというようなコピーが登場した。まことに幼稚であった。

 *人事部が程度のわるいマニュアル本をまとめ買いして管理監督者に配布した。

 1980年代後半の話題は、新人類である。彼らは、新しい価値観・感性をもつという評価もあった反面、「大人になりたくない」シンドロームだという酷評もあった。人生において追求するべきもの・ことを持たない世代だともいわれた。いつまでも親と同居している。「やりがい」という貝を背負うCFや、「会社を上着のように着替えよう」という転職情報誌のコピーも登場した。

 *就社ではなく就職するのであり、自分の技術・技能を磨くという職業人精神がなければナンセンスである。いま、ここで踏ん張るという気風がなければ、このようなコピーは百害あって一利なしだ。バブル時代を典型的に表現している。

 1988年には、弁護士が「過労死110番」を立ち上げた。人事管理が粗雑になって、人を育てる視点が希薄になった。自己啓発という言葉に頼って、単純に個人の競争心をあおるような気風が強まった。会社を上着のように着替えられないのが当然、成果を挙げるためにひたすら長時間働く。へろへろで働いているのに周辺が気づかないというところに人事管理不在が露見した。

 賃金・労働条件の向上によって、人々の自由度は間違いなく拡大したはずだが、さりとて生き方を追求する気風が育たない。困窮に近いほど生き方を考えたが、困窮から遠のくと怠惰や慢心が湧きやすいようだ。ハングリー精神というのは、単に空腹だから刻苦勉励するのではなく、生き方に対する真剣真摯な態度をいうのである。プロならぬ人事マンはこれを本気で研究しなかった。

 組合も同じであった。要するに、人々は敗戦後からの飢餓克服という考え方の慣性から脱出できなかった。「組合=賃上げvs人事=賃金管理→労使関係」というモデルにはまったままであった。だから、「組合離れ=会社離れ」だったのであるが、労使共に気づかなかった。

 人事管理が浮ついていた。とりわけ問題は、新人類が忽然と湧いたのではないという視点がなかった。1960年代「大きな顔をする—-」、1970年代「ほめて—-」、1980年代「ほうれんそう」を並べて、各人の成長の気風のレベルを時系列的にみれば、まさに逆行していることがわかる。なおかつ、1980年代は日本経済がバブルにはまっていた。いうならば人事管理(の精神)はあきらかに空転した。人事部の人材枯渇が露呈している会社が多かった。

バブル後も人事管理は冴えない

 さらに、バブルが弾けた後の人事部の対応は全く的外れであった。そもそも人を育て、組織活動を育てる仕事は簡単に目立つようなものではない。収益は投資があるから向上するという鉄則を無視した。人事の仕事が経理部・購買部の下請けになった。人員整理をすれば、人事管理の失敗だから、人事マンが率先して自分を馘首しなければならない、という人事マンの矜持を顧みなかった。かくして、ブラック企業は明らかに収益至上主義であるが、そのタネを播いたのは、間違いなく大企業の定見なき人事管理に端を発している。

 経営者・人事マンが見落とした最大の問題は、1990年代の人員整理が、実にやすやす運んだ事実である。労働者が「この会社でがんばる」という気概をもっていれば、確実に人員整理反対ののろしが上がり、赤旗が林立したはずだ。1980年代以降、労働者には会社離れの意識が広がっていたとみるしかない。

 さらに鳴り物入りで導入した成果主義が確たる成果を挙げなかった責任について、人事マンはいったい反省をしたのであろうか。1990年代からの人事部は本当に人事としての仕事をしてきたのであろうか。かくして、厳密に規定するならば、果たして目下わが国にホワイト企業が存在するであろうか。

歴史に学ばなければ進歩しない

 なおかつ、中小企業で組合が存在しない会社だけではない。組合があっても堂々たるブラック企業があるらしい。企業がブラックで、組合がそれを認めているとなればブラック労使関係なのであって、話はさらに深刻になる。

 ブラック企業はもちろん大変怪しからん。そこで働く人は被害者である。ただし、それはその企業内の加害者と被害者の関係であって、企業外の人や社会に対しては、ブラック企業で働く人もブラックである。なぜなら、彼らがブラック企業を生き延びさせている原動力だからである。

 わたしは自覚史観を提唱した。15年戦争は国内では、支配層と被支配層の関係において前者が加害者であり後者が被害者であるが、国外に対しては両者共に加害者であって、後者を無辜の民などということはできない。自覚史観なき人々の気風が必然的にブラック企業を生き続けさせているわけだ。

 いつまでも、直接関係がない後世代に戦争の歴史を学べというのは、戦争自体に対する責任を問うているのではなくて、先人たちがドジを踏んだ「ものの考え方」をきちんと研究して、二度とその轍を踏まないためである。歴史から学ばないのでは個人も民族も成長しない。これを忘れてほしくない。

奥井禮喜 組合研究会2016②2015/12/09発表 「職場の民主主義はいかにして機能停止したか」より