月刊ライフビジョン | コミュニケーション研究室

中国農村の華麗な変身――経済大国化の舞台裏

高井潔司

 12月も中国を訪問する機会があった。11月に北京大学へ出張講義をした際、中国社会科学院の友人に会ったら、「12月に西安郊外の農村で、世界農村大会を開催するので、娘さんの嫁ぎ先の農民歌手(義父)と一緒に参加してほしい」との要請を受けたのである。この農民歌手については、本欄でも紹介したことがある。山形でサクランボ農家の傍ら、農業や環境、命をテーマに活動するフォーク歌手である。ご本人は「シンガーソング・ファーマー」を名乗るユニークな人物だ。毎年、サクランボの収穫時期に、自宅の庭を開放してコンサートを開いているが、私は学生たちをボランティアとして引率するだけでなく、中国の友人たちも案内して、日本の農村を見てもらってきた。中国の著名な農村NGOの代表も訪れたことがある。こうした活動を知る社会科学院の友人が我々に声を掛けてくれたのだ。

 中国経済は、すでにGDPで日本を上回る世界第2の規模に成長したが、まだまだ人口増の傾向にあり、経済成長は今後も欠かせない。今後の経済成長戦略のポイントは、三つあると私は考えている。一つ目はこれまで成長から取り残されてきた農村地域の活性化、二つ目はITという新しい技術を駆使したネット経済の一層の発展、三つ目は「一帯一路」構想に見られる、中央アジア、東南アジア、中東など経済発展の遅れた地域を経済支援し、市場の開拓、経済交流を推進していくことだ。一億総活躍社会とか、人づくり革命とか、抽象的なスローガンばかりのアベノミクスとは違い、こちらは具体的で、明確な目標、政策がある。

 招待を受けた世界農村大会は一つ目の農村の経済振興、活性化に関連するもので、内外の様々な地域との経験交流を通して、その実現を目指す国際会議と言えよう。ただし農村大会は開催直前になってドタキャンされてしまった。どうやら上から急に中止を命じられたようだ。いかにも中国的な乱暴な処置だが、上からの指示も理解できないではない。12月19日付読売新聞国際面、「中国相次ぎ国際会議」が批判的に報じているように、連日のように中国各地で世界大会などと銘打った国際会議が開かれ、まるで中国が盟主となったような勢いとなっている。
 「国際人権フォーラム」(12月7、8日)、「世界インターネット大会」(12月3~5日)、「世界政党ハイレベル対話」(11月30~12月3日)…。読売は「独自価値観浸透狙う」、「言論統制や検閲正当化」と批判する。どうも「やり過ぎ」と上から批判され、キャンセルになったようだ。

 しかし、当方はキャンセルできない航空券を購入していたので、会議とは別に現地を視察したいと申し出たところ、先方から「歓迎しますよ」という回答を得て、シンガーソングファーマー夫妻と中国農村の旅を実行することにした。
 世界遺産の兵馬俑博物館なども案内してもらったが、最終目的地は西安市の隣の咸陽市郊外の袁家村だった。りんご農場がどこまでもひろがる純粋な農村地域だが、周辺に唐の昭陵など有名観光地を控え、21世紀に入ってから、「休暇村」建設を進めてきたという。ホテルや民宿、国際会議場なども設置されているが、メインは古い農家の家並みを利用した様々な通りである。日本の観光地で見られる土産物の通りだけでなく、黒酢や湯葉、唐辛子、ごま油、ヨーグルトなどの作坊街(加工場通り)、麺や餅、餃子などの小吃街、手工芸品や絵画、書、文房具を売る芸術回廊、書院街、西安のイスラム教徒街を模した回族のファーストフード店が並ぶ回民街。それに、農家料理のレストラン街、ライブハウスまであるバー街など数百の店が立ち並んでいる。おそらく元の家並みだけでなく、新たに古い家並みを模した通りも再現したのだろう。さながらテーマパークの様相だった。
 12月の袁家村は、日本の東北地方並みの寒さだったが、数千人の観光客でにぎわっていた。農村の延長上の「休暇村」を想像していたご夫妻には、「これはやっぱりやり過ぎでは」と少々評判が悪かった。だが、これまでの農村の圧倒的な疲弊、都市との格差を考えると、これくらいの「加工」は必要と言えるかもしれない。元の自然のまま村では、衛生面からいって、もとても足を踏み入れるような場所ではないだろう。
 西安はかつての都であり、シルクロードの起点でもあった。現在では、「一帯一路」戦略や西域観光の拠点であり、人口800万を超える大都市である。週末、市民が観光、ドライブに出る袁家村のようなリクリエーションセンター、観光村が必要になっている。経済大国化の舞台裏で、農村にもこんな変化が生まれつつあるのだ。袁家村はその先端を走っており、今後の中国の大都市周辺の農村の発展モデルを示しているのだろう。元の住民の農民たちも休暇村に店を出したり、働いたりするだけでなく、村政府から年金の給付や年に一度の海外旅行など発展の恩恵を受けているそうだ。
 そういえば、袁家村の通りの一角に、居酒屋風の日本料理店ものれんを出していた。農村の変化は、決して日本も無縁ではない。
 写真は切り紙細工店の前で、農民歌手夫妻(右前)。
左側は店主、その右は偶々店主に切り紙を教えていた客。夫人に細工を教えてくれた。右奥が筆者。


高井潔司   桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て現職。