月刊ライフビジョン | ヘッドライン

人生と仕事を繋ぐ働き方への考察

奥井禮喜

人は何のために働くのか

 人は何のために働くのか。生活の糧それならば働く目的は「口腹」である。いかにも動物的である。それに対して私は「幸福」こそが目的だと言いたい。口腹は万人共通、食えなければ死んでしまう。幸福は万人それぞれ、各人が規定するしかない。

 幸福のために働いている人にとって、第一に仕事は自分にふさわしく、第二に仕事を通して社会的貢献をしているのであり、第三に仕事時間を含め日々充実した人生を過ごしていると言えるであろう。生活の糧論は幸福論からすれば当然なのであって、それを大きく考えなければならないという状態はすでに「大不幸」なのである。とっくに飢餓賃金時代が終わり、経済的には生活の糧獲得の桎梏から解放されてなお、選択・行動能力が拡大していないのはどこかがおかしいのである。

 ソニーの創業者の皆様は新入社員向け訓示の最後に必ず「君たちはこれから職場に配属されるが、もし職場や仕事が自分にふさわしくないと感じたらできるだけ早く辞めたほうがよろしい。」と話されたそうだ。「石の上にも三年」とか「忍耐せよ」などは相手を未熟扱いしているのであって、ソニーさんの訓示は相手を自立人間として扱っておられるのだから、意思決定するにはそれなりの見識を備えねばならず、痛切な葛藤をせねばならない。

 言うまでもなく会社は官僚機構である。個人は常に官僚機構の中にありかつ対峙せねばならない。個人と組織間の摩擦・葛藤が発生しないような官僚機構があるとすれば、個人が官僚機構に完全に組み込まれて「人間」たることを放擲した場合に限られる。これこそ「人間疎外」である。さらにもし、人間疎外だということにすら気づかぬのであれば、所詮人間ロボットに過ぎないからである。

 個人と組織の間に摩擦・葛藤が本当に存在しないとすれば、それは「人」が経営資源たる「ヒト・モノ・カネ」の「ヒト」に完全に同化してしまったのであって、経営にとっては単なるコスト! でしかなくなる。このような勤め人を抱えた会社の未来が明るいとは思えない。 

 かなり前から人事部門の停滞感は尋常ではない。人事部門の存在価値とは、個人と組織の間の摩擦・葛藤を組織エネルギーに転化・吸収させることである。もし摩擦・葛藤が発生しないのであれば人事部門の存在価値はない。人事部門が「個人の元気」に本気で注目し、元気開発をしてこなかった成果が見事に出ているのではなかろうか。たとえば雇用不安、たとえば成果主義などにみる執拗な恫喝戦略が予想以上に浸透してしまった! 要するにお勤め人は萎縮真っ只中、さらに面従腹背になってはいないだろうか。

 人は自分の幸福のために働くのである。幸福を求める人はできるだけ労働時間を短縮したいと考えるのが当然である。なぜなら職場・仕事では幸福になれないからだ。にもかかわらず長時間労働、果てはサービス労働が常態化している。論理的には奇妙である。お勤め人はマゾヒストなのか。マゾヒスト的勤勉からよい仕事、よい商品が本当に生み出されるのであろうか。

 労働時間問題の取り組みについて、働く側の元締めである組合に本気になってもらいたい。組合員の灰色の脳細胞を揺さぶり、ケツを叩いてでも労働時間の意義について勉強してもらわなくてはいけない。労働時間を真剣に考えなければ問題がない(ように見える)のは当然である。時間こそが人生である。働きがいなき労働時間が長ければ幸福から遠のいてしまう。

 しかし、本当は経営側・人事部門においてこそ本気になるべきである。長時間労働・サービス労働、有給休暇切り捨てなどによって会社は賃金コストを削減できているのだろうか。それは実に表面的・短期的な見方ではあるまいか。労働の質を本気で考えない結果、安いはずの買い物(労働力)が実際は非常に高価なものになっている。経営側に、現在のお勤め人の労働時間についての問題意識がないとすれば、事は一層深刻である。

マネジメントの目の付け所

 実際、今日のお勤め人の労働時間意識には疑問が多い。「長時間労働」は果たして「よい仕事」に通ずるのであろうか。職場に長く滞在する理由は勤勉だからであろうか。お勤め人を四つのタイプに仕分けして、経営の立場で考えてみよう。

 ①やる気も能力もない ②やる気がないが能力がある ③やる気があるが能力がない ④やる気も能力もある

 ①であれば長時間労働はしない。 ②であればできるだけ短い時間にやっつけようとする。

 ③能力がない分、何とかカバーしようと長時間労働になりやすい。 ④集中して働く。

 長時間労働になりやすいタイプは理屈からすれば、③「やる気があるが能力がない」場合である。①②④は本来長時間労働を好まない傾向のはずである。

 ①は論外、いわゆるダメ社員・役立たず社員である。「仕事を遊ぶ」のではなく「会社で遊ぶ」タイプである。会社に居ることに意義があると考えるタイプである。ならば経営側としては長く働いていただくことは単にコスト増になるだけ、残業など論外の出費である。できるだけ早く職場を退出していただくのが上等であろう。

 ②はいささか自分勝手な側面を持つかもしれないが、能力のある部分に関してはおおいにがんばるだろう。大切なことは仕事の質の維持・向上であって、時間外労働の長さなどで測定・管理するとヘソを曲げるに決まっている。このタイプは何が何でも職場にへばりつくことはないはずである。

 ③やる気があるのだが、なかなか思うに任せない。すべてを本人に委ねて任せていたのでは、ひたすら時間外労働が長くなるのみである。管理者・監督者がマネジメント能力を発揮するべきなのは、このタイプの方々に対してである。できるだけ具体的に仕事の方向付けをし、能力的弱点の補強を図るべきである。

 ④このタイプは委ねて任す。中途半端に「ほうれんそう」などを要求するような管理をしてはならない。できるだけ自由に、自立的に、自主裁量で働けるように支援するのがマネジメント・スタイルでなくてはならない。とりわけ、このタイプに職場の矛盾、「お荷物」からの負担がのしかかる。その結果、彼らは本来の能力を発揮するどころか、しばしばやる気を削がれているのである。

 水は必ず低きに流れる。「やる気morale=誇りpride+信頼confidence」の公式から考えれば、能力のある人にとって仕事の質が無視され時間量で仕事が測られるようなマネジメントほどやる気を削ぐものはないのである。自分が見られているかどうか、これ、人事管理の要諦である。時間量が仕事をしているアリバイになるのは「見られていない」という認識に到る。認められないのであれば、やる気が減退するのは当然の帰結である。

マネジメント不全

 長時間労働が蔓延している状態は、実は「マネジメント不全」にして、見るべきことを見ず、指導すべきを指導していないのではあるまいか。やる気だろうが、能力だろうが、勤勉かそうでないかの認識くらいはやらねばならない。長時間労働という現象は、実は「マネジメント改革の宝の山」なのではあるまいか。

 「労働量=労働力(質)×労働時間」である。勤勉とは「労働力の質」が骨折り仕事であるかどうかに依拠している。注目すべきは労働力の質であって、労働時間の長さではない。労働力の質に注目しないマネジメントだから、現状はマネジメント不在だと言うのである。

 一人前の担当者(能力の高低は別として)とは自分の仕事について「自己責任responsibility」「説明責任accountability」を有するのである。ホワイトカラー・エグゼンプション導入の理由として、自分で仕事の仕方や時間管理をやるような方々を想定するが、すでにおかしいのではなかろうか。彼らには自分の仕事について自己責任・説明責任があるのだから、具体的仕事においていちいち指示をうけないとしても、管理者が理解できるようにするのは当然の任務である。

 それを権限委譲の美名に隠して、何をやっているのかわからないままに、委ねて任せるような次第になれば、今日の巨大かつ複雑化した組織システムはやがて機能不全を惹起する危険性がある。米国航空宇宙局NASAの大失敗、最近の違法建築事件、さまざまの企業不祥事など、結局システム内部においてお互いの仕事が見えないことによって惹起されたことを失念してはならない。

 人工衛星製作のシステムは巨大かつ複雑かつ精緻である。にもかかわらず、末端の誰かが小さなミスを犯し、それが誰の目にも止まらなければ人工衛星は必ず失敗する。スーパーのパートさんが顧客とささいなトラブルを起こす。「あ、あのおばはんまたやりよったか」で落着するかもしれぬが、これを人工衛星製作システムに置き換えれば人工衛星はおしゃかになるのである。

勤勉にも怠惰にもなれない!

 働いている方々の意識状態はどうなのだろう。果たして金次郎さんが体現したような勤勉、「勤労第一」を本当に志向しておられるのだろうか。大部分の方々に関して、失礼ながら私は違うと分析する。実は勤勉ではないから長時間労働に身を任せておられるのではなかろうか。なぜなら仕事の目的が「生活の糧」獲得にあると言われる方々が圧倒的である。本当にそうなら、生活の糧獲得に必要な労働時間は短いほど上等であるから、短時間労働を志向するはずである。

 にもかかわらず今日、明らかに過剰労働時間になっている。もし、労働時間の中身を「生きるための労働時間」と「生きるための労働時間を超越した労働時間」に区分して考えるのであれば、後者が非常に膨らんでいるだろう。だとすれば後者は生活の糧獲得のための選択余地なき労働ではなく、何らかの意志によって「選択された労働」になっている。その意志を考察すれば、「勤労第一」であるか「それ以外」の理由になる。勤労第一ではないとすれば、「それ以外」の理由とはいったい何であろうか。

 つまり余暇時間に対する志向性が非常に弱いのではなかろうか。何しろ余暇時間とは自分が何をしてもよい時間なのである。仮に格別したいことがないとすれば、さらには余暇時間活用において何らかの厄介・面倒で不都合が予想されるとすれば、結果として職場に居続ける可能性が高くなる。「仕事は辛い・大変だ」としばしば口にする人が少なくない。にもかかわらず辛く・大変な仕事に居続ける。すなわちそれ以上に「余暇時間が不都合な理由」が隠されているのではあるまいか。

 たとえば「遊ぶ」行為がある。何か気に入っている遊びを持つ人は時間とお金をやりくりして遊ぶ。好きでなければ所詮アホな行為に過ぎない。遊び・趣味なんてものは魅せられた魂にとって上等なのであって、縁なき衆生にはあほらしいものである。

 「趣味と実益」という言葉があるが、そこに到るのは生半可ではない。一方、仕事は、適当に相性がよいとすれば快適な居場所である。こちらはいわば「実益と趣味」の世界である。ソロン(ギリシャ BC500前後)は「私は絶えず学びつつ老いていく」と言った。「くう・ねる・はたらく・あそぶ・まなぶ&倦怠」を人生の諸様相とすれば、「遊ぶ」「学ぶ」こそが人生の華であろうが、その門を入っていける人はそんなに多くはないのかもしれない。

 かくして、現代のお勤め人諸君は「勤勉にもなれず、怠惰にもなれない」という精神世界を徘徊しておられるのではあるまいか。

幸福について考えない

 生活の糧を獲得するだけでなく、日々の暮らしに意味が必要である。稼いだお金は気持ちよく消費しなければならない。かつてわが国は欧米キャッチアップを達成できたが、にもかかわらず「豊かさ・ゆとりが感じられない」というようになった。

 消費のために生産がある。人のために経済がある。これを見失って、生産のための消費、経済のための人生に停滞してしまったのではなかろうか。普通に生きるためには普通以上の夢が必要である。普通そのものには夢がないのだから、普通をめざせば普通以下に佇まねばならない。

 現代人はあまりにも余暇の意義を知らない。知ろうとしない。労働を軽んずるものの人生がつまらないように、余暇を軽んずるものの人生もまたつまらない。すべては「私の時間」「私の人生」なのである。仕事が人間を成長させるのは間違いない。同様、余暇もまたその真実は「骨折り余暇」なのではあるまいか。労働において「自由な労働」でありたいし、余暇においてもまた「自由な余暇」でありたい。そして、「自由」とは「虚無」の大海を漕ぎ抜くことなのであって、「自由」を獲得するためには退屈してはいられないのである。

 現代人の退屈・不安は間違いなく「自由」だからである。皮肉にもわれわれが手にしている自由は「自由」ではないのである。「自由」とは主体的選択の過程・結果である。それを決定するのは間違いなく「自我」である。勤勉にも怠惰にもなられないのは実は「自我」未成熟を示唆しているのである。

 単純な話、もし人生の意義が労働にしかないのであれば、われわれが手にしている膨大な「余暇」時間をいかに扱えばよろしいのだろうか。

 気晴らし・手慰みには所詮限界がある。取り巻きに囲まれて退屈する暇のない王様の周辺から忽然取り巻きが消えてしまったとする。残されたのはドンガラの王様の肉体のみである。こんな人生が王侯貴族のものであれば、いかにぜいたくな暮らしをしていても悲惨であるとしか言いようがない。

 労働を自分のものにするためには官僚機構に押し潰されないように闘わねばならない。余暇を自分のものにするためにも闘わねばならない。自由な人間になるためには終生かけて闘うべきではなかろうか。仕事が自己開発の機会を与えるように余暇もまた自己開発の機会を与える。しかもそれは仕事以上に自分の裁量に委ねられる。全面的な自分裁量を活用しない手はないのである。余暇時間を作って「考えよう」。さて、何を考えるべきか。

 われわれがめざすべきは「生活の糧」ではない。「いかに生きるべきか」をこそ追求せねばならない。欧米キャッチアップには成功したが、所詮「モノ・カネ」だけを追いかけたのだからその後豊かになったのに豊かさが感じられず、ゆとりを感得できないのである。

 長時間労働に沈没している人生を変革するために、幸福を考える地平から出発していただきたい。幸福について考えないのであればポチ・タマの屈託なき生き方の後塵を拝するしかないのであって、ね。    2006年発表「労働時間とは何か」ライフビジョン出版より抜粋


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人

2/24公開研究会渋谷オリンピックセンター「現代の働きかた」の問題点を探そう参加者募集