月刊ライフビジョン | コミュニケーション研究室

感じた学びの姿勢の違い―日中で講演してみて

高井潔司

 11月は、本職の大学での講義のほかに、日中両国で講演・講義をする機会があった。一つは昨年度に続き、国際交流基金から派遣されて、北京大学の博士課程に設置している「現代日本研究センター」での集中講義。「日中メディア比較」論を計8時間、講義した。もう一つは、都内のある図書館での講演会だった。日本国内では、近年中国への関心がすっかり薄れ、私のような中国崩壊論や脅威論を口にしない研究者にお呼びがかからないし、私自身もあまり積極的にそうした場に出て中国を語りたくない思いがある。図書館の館長がたまたま高校時代の恩師で声を掛けてくれた。そこで「政治は語らない」という条件で引き受け、「インターネットが変える中国社会」というタイトルで講演した。

 前者は中国をいずれ背負って立つエリートたちに現代日本を理解してもらおうと、国際交流基金が1990年から進めている事業だ。北京大学での実施は21世紀に入ってからだが、日中双方の10人前後の研究者、文化人が教壇に立っている。学生たちは、日本研究を専門にしているわけではなく、理系の学生も含め、多少日本に関心を持っている学生たちが受講している。

 私は長年、日中の相互理解や交流の推進に努力してきたので、ここで講義をさせてもらえることは、大変光栄なことだ。今年度も、いい授業をしたいと、教え子の中国人留学生の協力を得ながら、中国語の講義録を作成してきた。日本語で講義をすることも可能なのだが、時間の節約との思いから、中国語で講義をすることにした。

 私の長年の経験から、中国の研究者は大体、講義録をそのまま読むことが多い。しかも、中国では方言も多く、なまりが激しいので、講義録は事前に配布しておくものだと、長く教えられてきた。私の発音では通じないところもあり、講義録の作成に力を入れた。講義録を作るため、私としては講師の依頼を受けた昨年以来、人生で最も中国語を勉強してきた。何しろ、大学紛争世代だから、大学時代、満足に勉強した記憶がない。

 —北京大学にて—

 そんな意気込みで今年も北京大学に赴いた。ところが、長めの自己紹介を終えて一時間目を終了した休み時間、一人の学生が寄って来て、「先生の講義録を読みました。ジャーナリズム精神の重要性も良く理解できました。ですから、これからの授業は講義録に書いていないことを話してもらうか、講義録の補充という形で進めてくれませんか」と申し入れてきた。これには少々、まいった。幸い、北京大学の方で通訳を用意してくれていたので、中国語、日本語で、講義録を補充しながら進めることができた。

 そして最後の2時間は思い切って質疑応答の時間に充てた。すると、質問が出るわ、出るわ。しかも、きちんと講義録を読んでいて、適確な質問ばかりだった。

 「講義では、情報とは事実に似せた疑似環境であり、日本の新聞社は記者教育に力を入れ、記者に対して取材を通し、情報の信頼度を高めるよう求めているとある。しかし、誤報をした場合はどう対応する」、「私は法学院の学生だが、そうした誤報によって名誉棄損などが発生した場合の法的責任はどうなる」、「日本の場合、報道機関は、出来事の何が問題かを読者に対し、提示する議題設定機能を持ち、中国の場合、それを党や政府が指示すると言われるが、福島の原発事故では、その議題設定機能はどう発揮されたか」…。

 大学の授業では、もっぱら教師の講義を聞くのみで、質問や意見を求めても反応がないのがアジア的といわれたが、さすがにいまやアジア一と評価される北京大学では違った。通訳の北京大学の先生も、よく私の言いたいことを補ってくれて、お陰で、私自身、こんなに充実した講義ができたのは初めてという経験をさせてもらった。

 —東京都内の講演では—

 一方、都内の講演でも、最近、中国で撮った写真を披露し、インターネットがこれほど社会、生活の隅々に浸透し、庶民生活が変わってきたという流れだったので、比較的順調に進んだ。質疑応答でも質問が多く飛び出し、ほっとしたのだが、それでもまだまだ、「インターネットが活用されているのはわかったが、ネットを使った詐欺とか、オンラインショッピングで偽物の被害などないか」といった否定的な側面を指摘する質問が出た。経済発展は認めても、中国の場合、それに不正や偽物が付きまとっていないと納得してもらえないようだ。インターネットの発展に不正や犯罪が付きまとうのは、中国でも日本でも同様のことなのだが。

 講演会が終わったのに執拗に質問をする男性には少々閉口した。
「中国の発表する経済指標はデタラメが多いと聞く。経済は実はマイナス成長だと指摘する専門家もいる」、「最近、共産党は対日戦争勝利を祝うようになったが、あれは国民党の功績であり、なぜ共産党は今になってさも自分たちの功績だというようになったのか」といった趣旨の質問をぶつけてくる。

 私の講演とは全く無関係の質問で、おそらくご自身のステレオタイプな中国イメージと照らして、私の講演内容が受け入れられないための質問なのだろう。国民党の功績か、共産党の功績かよりも、あのような無謀な侵略戦争を犯したこの国の過ちをしっかり認識することの方がよっぽど大切だ。ケチをつけるだけで、中国の問題を自身の問題として主体的に捉えられないのだ。

 そんな思いで日中関係の行く末を案じていたら、「一帯一路日中の企業支援、政府沿線国開発に資金」と、久々に関係改善への前向きのニュースが、11月28日付読売朝刊の一面を飾った。これまで日本政府は一帯一路構想について、「中国が経済覇権拡張を狙う」政治的動きと批判して参加を拒んできたのだが、大きな変化と言えよう。

 でも脇に付いていた見出しがいけない。「対北圧力を引き出す狙い」とあった。何だか、言い訳がましく、素直ではない。中国があまりに勢いよく「一帯一路」構想を進めているので、財界が何とか参入したいと動き、政府も追随せざるを得なかったのではないか。そもそも日本政府がこれに協力したからと言って、ミサイル開発で暴走する北朝鮮への圧力を中国から引き出せるとは思えない。そもそも、一帯一路を政治的動きだと批判していた当の日本政府が、いまさら対北圧力引き出しなどという政治的思惑を持ちだすのは自己矛盾もいいところだろう。

 日中関係はことごと左様に、すんなりと前に転がって行きそうにない。


高井潔司   桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て現職。