月刊ライフビジョン | メディア批評

政府の機関紙化する日本のマスコミ報道

高井潔司

 岸田内閣は12月、防衛政策と原発政策について、従来方針の大転換を決めた。防衛政策では「専守防衛」という戦後の日本の一貫した方針を、「敵基地攻撃能力の保有」へと転換し、そのための防衛予算確保に向け、与党は税制大綱の見直しを決定した。「防衛強化へ異例の大増税」(朝日新聞)となるが、岸田首相はその財源を国債ではなく増税とした点について、「私たちの世代が未来の世代に責任を果たすため」として、国民への協力を呼びかけた。

 負担を未来世代に委ねないというその意気や良しではあるが、国民の協力をというなら、十分な説明と国民的な議論を得る必要がある。いずれの政策転換も、今後国会の予算の承認や関連法規の改正が必要である。当然野党には反対意見もあり、論議が交わされるだろう。しかし、いくら国会が与党の圧倒的多数であるとはいえ、マスメディアの伝え方をみると、もはや決定済みという印象を与える扱いである。

 TBS報道特集の元キャスター、金平茂紀氏がフェイスブックに防衛政策に関する閣議決定の翌日の新聞各紙の一面記事の写真をアップし、「見出しでわかっちゃう、その新聞のダメさとマトモさ。専守防衛の形骸化を掲げた東京新聞。光っていた」と投稿していた。

 金平氏がアップした写真を見ると、東京新聞の見出しは「専守防衛形骸化」「敵基地攻撃能力を閣議決定」。朝日は「戦後日本の安保転換」「敵基地攻撃能力保有 防衛費1.5倍」。毎日は「反撃能力保有安保閣議決定」「安保3文書 政策大転換」。読売は「『反撃能力』保有明記」「安保3文書閣議決定」。産経は「反撃能力保有 歴史的転換」「安保3文書 閣議決定」「中国は『最大の挑戦』明記」——となっている。

 いずれの新聞も転換であるとの認識で一致しているが、東京はそれを従来の日本の一貫した立場であった専守防衛策の形骸化であると指摘し、産経は中国の挑戦に対する対応策であると評価していることが見出しからわかる。また朝日は東京と同様に、政府の言う「反撃能力」という表現を使わず、「敵基地攻撃能力」と表現している。見出しの比較から以上のようなことが言えるだろう。金平氏はSNSだから簡潔にそうコメントしたのだろうが、「見出しでわかっちゃう、その新聞のダメさとマトモさ」というわけにはいかないだろう。各紙が1面に掲載した解説によって、その論調の違いが一層明確になる。

 東京の解説は、他社が政治部長や安全保障担当の編集委員が署名入りで書いているのに対し、柳沢協二元内閣副長官補の投稿を使っていた。柳沢氏は「外交で戦争回避検討なく」という見出しの下で、「敵基地攻撃は『やられたらやりかえす』という戦争の備えであり、それが抑止になるという論理だ。ただ、戦争に備えるには相手を上回る力と、国民を完全に防護する対策が必要になるのに、その見通し、つまりリスクが示されていない。戦争を回避するには、政治的な相違があることを前提にしたお互いの自制と対話が必要だ。例えば『台湾有事』についても、米中台それぞれに自制を求める外交という『対案』があるはずだが、検討の形跡すら見えない」と指摘する。

 朝日も編集委員名で「熟議説明なし 将来に禍根」の見出しで「新戦略は軍事偏重で外交や経済が果たす役割とその戦略に関する記述は少なく熟議の跡が見られない」と批判する。この解説によれば、日本の防衛費は、イギリス、ロシアを超えて、米、中、インドに次ぐ4位となる。現憲法の精神とは異なる異次元のレベルとなる。

 これに対し、読売は政治部長名で「戦争回避は国防の本義」との見出しで「今日本に求められているのは他国から攻め込まれないよう隙を見せず戦争を回避する備えである。反撃能力はそのための『伝家の宝刀』といえよう。反対派は『周辺国との緊張をあおって軍拡競争を招く』と反撃能力などを批判する。だが、一方的な軍拡を進めて緊張をあおっているのは中朝露ではないか」と政府の転換方針を支持する。

 賛否相分かれる両社の解説を読んでわかるのは、論点が全くすれ違っていることだ。一方は方針転換の背景として外部の脅威を強調し、一方は方針転換によってかえって脅威が高まると説く。議論がかみ合わない分だけ、まだまだ国民的論議がなされていないことの反映だろう。とくに読売は中朝露の脅威ばかりを強調し、柳沢氏の言う外交的努力の必要性や敵基地攻撃能力保有のリスクについて何ら言及していないから、説得力に欠けると私は考える。

 心配なのは、毎日の解説だ。「岸田流のつじつま合わせ」という解説は、防衛費の財源をめぐるつじつま合わせを指摘しているだけで、防衛政策転換に関する議論を回避していた。社説では「国民的議論なき大転換だ」と指摘はしているのだが。

 さて、これだけの大転換を行おうとしているのだから、マスメディアがもっと議論を巻き起こし、議論を深めるべきだろう。閣議決定の翌日の紙面はさすがに各紙、一面から三面まで使って大きく報道したが、翌日からもう別の話題に移っている。残念なことに、政府方針を支持する読売だけが、一面で「防衛の視座」という連載を掲載している。連載一回目の最後に連載の趣旨をこう説明している。

 「半世紀以上を経て日本はようやく『自分の国は自分たちで守るとの当たり前の考え』に基づき防衛政策を転換する。『国防』は自衛隊だけで完結できない。国民の理解と政府の指導力が欠かせない」

 「自分の国は自分たちで守る」とは何とも勇ましい限りだが、そうであれば日米安保との関係はどうなるのだろうか。敵基地攻撃能力まで保有するのだから、日米安保の破棄などあり得ないにしても、今までのようなアメリカ追随一辺倒の関係の見直しが必要ではないのか。ここでも議論の不足が露呈している。

 それにつけても、政府の方針を支持する新聞の側がその議論を広めようとしているのに対し、国民的議論が足りないと政府の方針に批判的な新聞にその努力が見られないのはどうしたことか。

 日本の報道はコスト、人手、時間のかかる調査報道を敬遠して、主に記者クラブの発表や海外メディアの報道に依拠している。その結果、支持不支持の論調の違いがあるものの、取り上げるテーマはほとんど同じの横並び報道だ。独自の報道で、問題を執拗に突き詰めていく報道になっていない。

 例えば、防衛政策転換報道の後、朝日の一面トップ記事は18日「ウクライナ攻撃のドローンに日本製部品」、19日「薗浦議員辞職へ」、20日「当初予算案114兆円」、21日「日銀、金融緩和を修正」、22日「東京五輪経費1.7兆円」と移り変わり、そして23日は問題の「原発建設への転換」となっている。ほとんど発表を基にしているので、他紙もテレビニュースも同じ流れだろう。

 政府や関係機関が日々、記者会見を開いたり、発表資料を提供し、メディアはそれをこなすのに精一杯である。先月書いた私のメディア論でいえば、何が今日の問題であり、どう議論を進めるかというジャーナリズムが持つべき議題設定機能を、ほとんど政府機関に譲り渡している。

 原発政策の転換を受けて、朝日は「熟議なき『復権』は認められない」という社説を掲げた。普段は二つの社説を並べるが、この日はそのスペースを全てこの社説で埋める大社説である。原発政策の転換について全く社説を出していない読売よりもずっとマトモである。しかし、その見出しは防衛政策変更時の解説と同じ「熟議なし」だ。岸田政権は、ウクライナ侵攻とそれに伴うエネルギー価格の高騰という危機を巧みに利用して、「熟議」なく、政策の変更を行おうとしている。意図的に熟議をすり抜けようとしているのだ。ではこの「熟議」をどう実現していくのか。それは報道の側の役割でもあるのではないか。

 それにつけても、国家の先行きを危うくしかねない一連の政策変更に、野党の存在感が全く感じられない。これが一番の問題だろう。メディアは政府の発表を伝えるだけでなく、野党や国民の多様な声を伝え、議論を高めていく必要があろう。


◆ 高井潔司 メディアウォッチャー/1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。