月刊ライフビジョン | 論 壇

ダメの底を打たせたい

奥井禮喜

 日本の政治を見ていて、このままではダメだと思う。ダメがそろそろ底を打つのではないかと期待したこともあったが、ところがどっこい、ダメにはさらに深い底があるらしく、ますますダメに向かって暴走しているみたいだ。

 ときどき思いつく、いろいろさまざまの行く末を予想すると、おおかたはよろしくない見通しだ。そして、予想はよく当たる。逆にこうあってほしいという期待は外れる。そんなものかもしれないが、これではいかんともしがたい。だから新しい年が始まるというほのかな楽観気分にはなりにくい。

 こうも考えてみる。世の中のことに関心をもつようになって幾星霜、果たして、いい時代があったのだろうか。——そういえば、自分自身の大昔、早くこい、こいお正月の歌の時代から、なにかが変わると期待したことがなかった。だいたいお正月料理なるものが格別好きではなく、お餅を食べない子どもであって、お雑煮で1つ食べれば十分だった。人生も半ばを過ぎてから、お餅の保存食としての便利さに気づいて、ちょくちょく食べるようになったが、昔は、周囲の子どもたちがパクパク食べるのを不思議に感じていた。

 当時は、なにも知らず考えず。いまは、多少は知って考えるという違いはあるが、結論は同じである。

 高浜虚子の一句、「去年今年貫く棒の如きもの」を知って、なるほど新しい年といっても、そんなものだ、巧みな表現だと感心した。ところが、なにかの弾みに棒のようなものというのが、いかにも胸につかえているような心地がして、虚子さんには失礼だが、この一句、無風流、月並みに思えるようになった。

 少し考えればわかるが、たまたま暦で1年の区切りがあるだけで、本日就寝して明朝目覚めれば、実は、毎日新しい1年を迎えている。そんなわけで、子ども時代から「おめでとうございます」と挨拶するのが苦手である。

 毎朝、おめでたい心地になられるならば、とても素敵である。長いといっても短い人生だ。朝の一瞬といえども、改まった気分がするなら、人生は上等だ。「明日は明日の風が吹く」という言葉も、焼けのやんぱちではなく、前向きに考えられるならば、毎朝改まって元気よく飛び出せる。

日本人的諦念

 小理屈ばかり並べてしまっては、よろしくないが、古今東西、天下国家から、わが身辺の些事にいたるまで、世間はストレスの原因だらけである。実際、よろしい時代なるものを感じた経験は思いつかない。だからといって、斜に構えているのではないし、むしろ、自分なりに精一杯前を向いて暮らしてきた。おそらく、世間のだいぶぶんの方々の心持も同じであろう。

 そのような感覚は、人生観というほどでもないし、もちろん肩肘張ったものではない。ささやかなものであるが、意外と大事である。ロマン・ロラン(1866~1944)が『幸福論』のどこかに、たしか「雨の日だからこそ晴れ晴れした顔が見たい」と書いているのを読んで、へそ曲がり論ではないかと呟いたことがある。しかし、これは単に感性を意味するのでない。状況に対する主体の確立を指摘していると思えば、なるほど幸福論らしくなる。

 日本人的には、幸福論は所詮心の持ち方ひとつで、あまり深刻に考えないほうがよろしいというのが主流だろう。皮肉な人は、「幸福なんて考えるから不幸になるんだ」とズバリ言い放つ。

 大きく踏み込むと自然体、天が降ってこようが、地が沈もうが、泰然自若たれというのもある。すべては天命、神様から見れば、アリンコも人間もさして変わらぬ生き物だから、たかが世間の騒動など小さいものだ。というわけで、こんなところが古来の日本人流なのだろうか。

 ただし、これは容易ならざる心境である。世間を眺めるならば、日本人が泰然自若の士だとは考えにくい。まことにチマチマ、細かいことに気苦労しており、これがストレスの原因である。逆に天地異変などは、ふだんは心理的に敬遠しており、思考外だというほうが妥当だろう。

 あるいは『平家物語』の、――祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり――を流れる無常観が、四季折々を通じて湿度の高い日本人的気風にぴったりくる面もあろうか。平家を読むと、流麗な名文にして、黙読しても朗々とした音声が聞こえてくるような錯覚に迷い込むほどだ。

 軍記物として秀逸なのだろうが、どうもジメジメしていけない。なにしろ全編通して漂うのは厭世観であり、諦念である。平家に耽溺していては、朝が来て、仲間に元気よくおはようという心地になりにくいだろう。これは具合が悪い。

 なんどもお坊さんのありがたい説教を聞いたが、めぐり合わせがよろしくなかったか、話しの流れに、身内から湧く活気を感じることがない。どうも、論理よりも感性に重点があったようで、なにごとかにぶつかった場合、自分なりの解を求めるための気づきの手順がない。

 泰然自若にせよ、諦念にせよ、どうやら悟りをものしないかぎり縁なき衆生には親近感が湧かないらしい。いわば、立派過ぎる。親しい人との別れが訪れて、「辛いだろうが、人生なんてそんなものだから、耐えなさい」と言われたら、まったくその通りではあるが、煩悶に対する薬にはなるまい。

レ・タン・モデルヌ創刊誌の辞

 話が抹香臭くなった、ガラリと変えて、サルトル(1905~1980)が、1945年10月1日に創刊した雑誌『レ・タン・モデルヌ(現代)』の「創刊の辞」について紹介したい。同誌は、第二次世界大戦後、フランスの戦後文学運動の前衛的役割を果たした。サルトルによる創刊の辞は時代を生きる作家と文学のあり方を見事にまとめており、歴史的文書ともいえる。読者には作家(1人の人間)として考えてもらえばなおさら理解が深まるだろう。

 サルトルは、まず、作家が自分の作品と時代の関係を考えてないと批判する。いわく、自分の社会的立場に確信がなく、自分にカネをくれるブルジョワジーに反抗して立ち上がる肝っ玉が小さく、無条件にブルジョワジーを受け入れるには物がわかっているので、(第三の道として)時代を批判するという道を選んだ。

 しかし、(自分を状況の外においた)言葉は、その価値を低下させてしまった。一方、大戦中にナチスのために筆を曲げた作家が非難されるに及んで、「なんだって? 自分の書いたものが責任を生むのか?」という問題に直面させられた。

 サルトルは主張する。ある時代に、作家が虚ろな音がする置物をでっち上げるのに腕をふるうとすれば、それ自体が1つの(時代的)兆候であって、それは文学の危機、ひいてはおそらく社会の危機が存する。

 よく使われる話だが、空腹でたまらない人に文学が役立つのかという問いがある。もちろん、空腹を解決するのは食べ物であって、いかに立派な本であっても、空腹を満たすことはできない。ところで空腹を胃腸ではなく、心の空腹と置けば、本はその役目を立派に果たすだろう。

 ただ酔っぱらうためだけの酒に価値がないように、ただ読むだけの本では価値がない。時間のロスである。本の価値とはなにかについては横へ置くが、サルトルは文学が人間の精神の栄養として不可欠だという立場である。精神の栄養を求めている人に対して、文学は全面的に応えなければならない。

 そうであるならば、いわばダメな時代において、文学は読者を励まし、ダメな時代を逞しく生き抜くための叡智を与えるものでなければならない。作家が、時代とかけ離れた位置で、ただ売れるだけの本を書いているのではいかん。

 サルトルは主張する。「もっとよい時代はあるのかもしれないが、これはわれわれの時代なのだ」。「たとえ、石ころのように黙っていても、われわれ(作家)の受け身の態度そのものがすでに1つの行動である」と喝破する。

 現代人は、巨大にして複雑な社会と隔絶しては生きられない。作家だけではない。同時代を生きるすべての人の態度そのものが1つの行為である。そこで、サルトルは、「われわれは、自分の行動が意志的であることを決意する」と宣言するのである。単なる石ころと異議申し立てをする石ころがあるわけだ。

 では、時代においていかにあるべきか? 「われわれの考慮の対象となるべきものは、われわれの時代の将来である」。ニーチェ(1844~1900)は、「人間の偉大は自己目的ではなく、橋であることだ」と主張した。いまの時代がダメである。ダメを変えずして未来が立派になることはない。ダメだと思えば、変えなければならない。1人ひとりが、未来に向けての橋だと考えれば、ダメ状態に無関心を装うことはできないはずである。

 社会はいろいろさざまの問題を発生している。社会は、1人ひとりが集まって構成している。つまり、社会問題は、1人ひとりが生み出している。いわば、自分が作り出している社会であるのに、多くの人々が社会からの疎外感を持っている。作ったモノ(社会)が、作った人の願いとは異なるものになる。作った人にすれば、こんなはずではなかったのだから、モノ(社会)を作り直せばよい。

 社会の根本をたぐれば、実は、人々の作品である。社会が人々を疎外しない状態をめざす。サルトルは、これを人間解放だと位置づけた。

 そこでサルトルの有名な言葉が登場する。いわく、人間は自分の自由(に生きる)以外のなにものでもない。ところが「自由は呪いである」という。もちろん、自由が人間を呪うのではない。人間が自由の意味を理解していないのだ。

 子どもが「放っておいて、ぼくは好きなようにしたいんだ」という。これは子どもの世界における自由である。子どもの世界とは、親などの庇護下にあって、少々のことは大目に見てもらえる。子ども自身を中心とした社会である。しかも子供が自由と思っている自由は、親が子供に許せる範囲の自由であり、実のところ親はオールマイティではないから、あるのか、ないのか、いわば限定された小さな自由にすぎない。

 この状況(子供中心世界)の中で、自己の意志を考え行動するのであれば、本当の状況(世間)は、格別耐えやすくも、耐えがたくもない。子ども中心世界における自由を、自由と勘違いして生活する大人は、私生活に埋没しているわけだ。もちろん、同時代を生きる人々が、どなたさまも私生活埋没しているのに、円転滑脱に動いている社会があるとすれば、なるほど理想的である。

 ただし、自分たちが作った社会に疎外されている状態がそれだと考えるのであれば、残念ながら大間違い。

 言葉を代えれば、自由がわかっていない。人間は、自分の自由以外のなにものでもないのだから、わからない自由の中でうろちょろするのであれば、サルトル流「自由は呪いである」ということになる。

 子どもの世界(意識)から大人の世界(意識)へ旅立つことが、大人になるという意義である。温室から出て、「ここは温室ではない」と確実に理解する人ばかりではない。ひょっとすると、それは少数派なのかもしれない。

 で、大人の世界(意識)とは、自分自身が社会を作っている1人であり、その社会に背を向けていたくなるような社会ではいかんということである。民主主義とは、それを国の約束事(法律制度)として定めたものである。

 サルトルは、engagement(アンガージュマン)という言葉で提起した。仏語アンガージュマンは、拘束・契約・関与の意味である。人は、社会と分かちがたい(拘束)関係である。よろしい社会を作るべく(契約)、社会に参加する。サルトルは、これを、意思的実践的社会参加と呼ぶ。

 さいきん、サルトルに熱を上げるような人はおられないかもしれない。しかし、サルトルが主張したものの考え方に、依然としてわれわれが摂取すべき栄養は豊富にあるのではなかろうか。

 とくに、現代日本政治のドタバタぶりは、政治家の品格・識見、技術などの未熟さだけに限らず、民主主義そのものの理解が皮相的にして上滑りしているように思えてならない。

 戦後民主主義という言葉はよくお目にかかるが、実は、敗戦直後民主主義のオリエンテーション時代からさして前進していないのではないか。


◆ 奥井禮喜 有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人