月刊ライフビジョン | 論 壇

マスク流「言論の自由」の含意

奥井禮喜

 金持ちだろうが、貧乏だろうが、自分のおカネをなにに使うかはまったく自由である。だから、他人からして、浪費だろうと捨て金だろうと当然詮索無用である。ところが、テスラ創業者のマスク氏が大枚、5.6兆円はたいてSNSのツイッターを買うとなると、門外漢であっても少々気がかりになる。

 もちろん、テスラに関わっている投資家は、マスク氏がなにを考えているのかおおいに心配であろう。この天才的経営者は、かつては工場に寝泊まりして開発事業化に取り組んだ。技術の世界では寝食忘れて打ち込むという話はたくさんある。マスク氏はまだ50歳の、恐いもの知らず、働き盛りだから無用の心配だというのは、マスク教の信者である。

 その甲斐あって、短期間にテスラは1兆円企業に成長したが、いまは、他の会社同様、世界のサプライチェーンの混乱や、原材料高の渦中にある。人気会社であっても全体状況から逃げられるわけではない。

 5.6兆円投入して買収したツイッターは創業16年になるが成長率が低く、2021年度の決算では300億円程度の赤字である。テスラ並みとは言わぬまでも、実業家として買収するのだから、野心的魂胆があり、それを実現するために、マスク氏がオツムと体を相当打ち込まねばなるまい。

 いかに超人的といえども、1人の人間が、こなせる仕事には限界があるから、凡人としては心配する。というわけで、ツイッター買収が決まると、テスラ株は13%近く下がった。一気に1,260億円の損失になった。

 背景には、テスラが1兆円企業だというのに、マネジメント体制は創業期のままだという指摘がある。つまり、マスクがコケれば、みなコケるというワンマン体制である。

 マスク氏は、世界でもっとも注目度が高い経営者である。自身が大量のツイートを発し、8,400万人のフォロアーがいる。マスク教の信者が多いから、ツイッターの利用者が一挙に伸びるのではないかという見方がある反面、そう安直ではないという見方もある。

 ここまでの経緯からは、ツイッターの大改革(?)が容易に進むとは考えられず、マスク氏の事業としての予測評価が定まっていない。

 いずれにせよ、事業面での評価は、儲かるかそうでないかというだけなので、部外者としてはさして関心がない。

 問題は、マスク氏がツイッターでなにをしたいのか、するのか――という疑問である。5.6兆円は、マスク氏の資産からすれば2割程度だろうから、考えようによっては、趣味への投資とも考えられるが、根っからの経営者であろうマスク氏が、早くも道楽人になるとは考えにくい。

 そこで、本気でツイッターを動かそうとしていると考える。そうすると、いささか考えたい問題が発生する。

 マスク氏は、ツイッター買収について、「言論の自由を守る」、「デジタルタウン広場」を拡大すると語っている。要するに、ユーザーを飛躍的に増やそうというのだろう。もっとも、この程度では中身がわからない。自身の人気で、利用者が増えると考えているだけだろうか。

 マスク氏が、ツイッター買収を思い立ったのは、いわゆる検閲体制に異論を有するとの報道がある。

 ツイッターは、モデレーション(不適切なコンテンツの監視作業)を大事にしている。不適切なコンテンツを監視し、削除し、極端な場合には、アカウントを停止する。このような経営姿勢を打ち出したのは、トランプによるフェイク時代の到来を抜きには語れない。アジテーターとしてのトランプの才能がツイッターを通して遺憾なく発揮され、社会は大混乱した。いまのアメリカ国内は、その成果の延長線上にあって、共和党全体がトランプと化したままである。

 話題になったのは、フェイク三昧のトランプのアカウントを停止したケースである。秘密結社・白人至上主義のKKK(クー・クラックス・クラン)のデューク、極右ジョーンズ、Qアノンなどのアカウントも停止した。

 これらは、広告主のスターバックスやコカ・コーラが大きな問題意識を表明して広告をボイコットしており、ツイッターが自身の見識だけで先行したのではない。いわば、社会的に問題があると判断したからである。

 これらに対して、マスク氏本人がコメントしていないが、もし、それらも含めてモデレーションの方針が転換されるとなれば、ツイッターの社会的信頼感が揺らぎかねない。もちろん、それでも逆に歓迎する人々がいるから構わないというおカネ儲け主義を貫くとなれば、筆者は好ましいとは考えない。

 言論の自由には社会的議論を止揚しなければならない課題があるのは確かである。トランプのアカウント停止の際も、メルケル氏は、1民間企業が言論の自由を理由として断行したことについて異論を発表した。

 EUは、DSA(Digital service Act)で、違法情報制限をおこなう方針である。法規制に引っかからない範囲で、フェイクでもデマでも自由にやらせるというのでは、やはり後ろ向きの感は拭い去れない。世界中の政府が足並みを揃えて、一定の見解を出す動きもまだない。

 民主主義の憲法が登場して、人権の保障を最大の価値とした。人間の尊厳、個人主義に立脚した憲法である。人間の尊厳は、思想の自由である。アメリカ合衆国憲法が、思想の自由を尊重し、出版の自由を尊重し、広く表現の自由を尊重したのは、当然の文脈であった。

 1776年ヴァージニア州の人権宣言、1789年フランスの人権宣言のいずれもが、思想および意見の自由な伝達を、もっとも大切な人権として高唱した。

 1948年の世界人権宣言では、――なんぴとも意見および発表の自由を享有する権利を有する。この権利は干渉をうけないで自己の意見をいだく自由ならびに、あらゆる手段によって、かつ、国境にかかわらず、情報および思想を求め、うけ、かつ、伝える自由を含む――と記された。

 それは、主として、権力に対する批判の自由、反対の自由として掲げられた。歴史は、権力権威が自由を制限した無数の実例を刻んでいるからである。

 有名なヴォルテール(1694~1778)の言葉、「わたしは、あなたの言うことに反対だ。しかし、あなたがそれを言う権利を、わたしは命にかけて守る」という言葉が、しばしば引用される。

 表現の自由は、人々が、権力・権威を批判する自由、反対する自由として登場した。いわば、強大な権力・権威に対する自由として構想されたのである。

 ところが、とりわけ、SNSの世界では、フェイクや他者に対する誹謗中傷、極端な独善が幅を利かせることが少なくない。これは、対権力・権威ではない。そして、恐るべきは、権力・権威の座にある、たとえばトランプのような人物が巧みにSNSを駆使して人々を言論で操るという不気味さである。

 そして、それを批判して、規制すべしと声を上げると、これまた巧みに権力・権威の側が便乗して、人々の自由な声を抑圧する挙に出る危惧がある。だから、法による規制を確立することも容易ではない。

 明らかなフェイクであっても、それが社会を動かしてきた現実を、われわれは目撃している。民主主義は普遍の原理だという言葉だけでは到底問題処理ができない。マスク氏がなにをやろうとするのか、目が離せない理由である。

 非力の1人ひとりが切歯扼腕しても片付かない。効かない漢方薬よりも効かない方法であるが、誰かが「おかしい」と感じたとき、それを一緒に考えるコミュニティの形成を意識して追求しなければならない。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人