月刊ライフビジョン | メディア批評

報道に求められる事実への謙虚さ

高井潔司

 自社、他社を含め、新聞社の名誉、不祥事に関する記事は、第2社会面、いわゆる3面記事の右ページに掲載される。4月7日の朝日の第2社会面を開いて、落胆とともにさもありなんの思いがした。同社の看板記者の一人、峯村健司編集委員に対する懲戒処分を決定したという記事だった。

 記事によると、3月9日「週刊ダイヤモンド」が安倍元首相にインタビューしたことに関連して、取材の翌日、峯村記者が週刊ダイヤモンドの副編集長に対し電話をかけ「安倍(元)総理がインタビューの中身を心配されている。私が全ての顧問を引き受けている。とりあえず、ゲラ(製作途中の誌面)を見せて下さい。ゴーサインは私が決める」と語ったという。ダイヤモンド編集部から「編集権の侵害に相当する。威圧的な言動で社員に強い精神的ストレスをもたらした」との抗議を受けて、朝日新聞社は調査を実施した。調査に対し峯村記者は「顧問をしている事実はない」と否定しているが、ゲラを見せるよう週刊ダイヤモンドに電話したことは認めているという。

 この行為に関して、朝日新聞社は「政治家と一体化して他メディアの編集活動に介入したと受け取られ、記者の独立性に疑問を持たれる行動だったと判断し」ダイヤモンド編集部に謝罪するとともに、峯村記者に対して停職一か月の懲戒処分を決めた。

 俗に新聞に対して「マッチポンプ」といった揶揄の言葉が投げかけられるが、日頃、あれほど安倍批判を展開している朝日新聞の、看板記者が安倍元首相の番犬を務めていたとは、朝日新聞自体はマッチポンプと言われても仕方がない。

 翌8日付の毎日新聞によると、峯村記者はインターネット上で経緯を説明。「重大な誤報を回避する使命感をもって説得し、『(安倍氏の)全ての顧問を引き受けている』と言った。安倍氏からは独立した第三者として助言する関係だ」と主張しているという。反省の声は聞かれず、それどころか全く開き直りの姿勢だ。

 毎日によると、峯村記者は米国や中国の報道が専門で、2021年度「LINEの個人情報管理問題のスクープと関連報道」の取材班代表で新聞協会賞を受賞。10年度には「ボーン・上田記念国際記者賞」も受賞したというから、朝日がスター記者として養成してきたと言えるだろう。

 もう一人の当事者であるはずの安倍氏は朝日とダイヤモンドの間の問題としてコメントを避けている。政治家がメディアを利用するのはけしからんことではあるが、ある意味当然のことでもある。それを全く警戒せず、番犬役を務め、それが明らかにされても、何ら反省を示さない姿勢は、とても記者の風上にもおけない人物である。

 冒頭、私が「さもありなんとの思いがした」と書いたのは、実は8年前、メディア評論雑誌の『メディア展望』2014年12月号に「朝日問題の背景に過信と驕り」というタイトルで、この峯村記者を含む中国総局グループが担当した「紅の党」という連載が、社会的な評価とは裏腹に、報道の原則を踏み外した問題点の多い内容だったと批評したことがあったからだ。詳しくは別掲の私の評論を読んで頂くとして、私がなぜこの連載を問題視したのかを説明したい。メディア展望紅の党情報源_0001

 「紅の党」連載は、その後、出版化された際の本の帯(朝日新聞出版)によると、習近平政権の誕生にあたっての内幕、権力闘争の真相に迫る「生きた現代史」という意欲的な作品である。確かに最高指導部入りが有力と見られていた薄熙来重慶市書記の失脚のプロセスを豊富なエピソードをちりばめて活き活きと描いている。多くの部分が小説のように一人称で書かれ、読者には新鮮な印象を与える。こうした点が、社外の紙面審議委員からも高い評価を受けたと朝日の紙面でも紹介され、社の幹部もその内容を自賛した。

 第1回目の書き出しはこんな具合だ。

 格別の歓待に喜びをかくさなかった江沢民国家主席(当時)が、一瞬だけ顔をしかめた。1999年8月20日、10日間におよぶ中国遼寧省大連市での視察の最終日だった。目の前には、白い大理石でつくられた高さ20メートル近い標柱があった。台座からてっぺんまで、竜がとぐろをまいて昇っていく姿が刻まれている。「華表」——。歴代王朝が、宮殿や陵墓へと続く参道の両側に建ててきた。皇帝がいるところにのみ許されたものだ。「なんで、こんなに高くて大きいものが要るんだね」江沢民は随行員に不愉快そうに尋ねた。

 しかし、私は情報源を明示せず、まるで記者がその場を目撃したかのように描く手法は報道の原則を踏み外しているとの疑問を抱いた。報道の原則とは、記者が入手した情報はあくまで情報であって、事実そのものではない。記者は当事者や関係者を取材して、その情報を確認し、事実に迫っていく。それを報道という形で発表する際には可能な限り、情報源を明示して、報道内容がどれほど真相に迫ったかを示すのが原則だ。いま私が書いているこの評論は取材はしていないが、それでも朝日新聞によると、とか、出版された本の帯には、とか、情報の出所を書く努力をしている。

 情報源の明示は、記者にとって取材した以上のことは書けないという歯止めになる。もし記者が取材した以上のことを盛って書けば情報源から抗議が来るだろう。読者にとっても情報源を見ることで、報道内容の確度を測ることができる。当事者をきちんと取材しているのか、権威ある機関、組織、信頼できる専門家の裏付けがあるのかがわかるからだ。

 そこには、報道される内容もあくまで情報であって事実そのものではないという事実に対する「謙虚さ」が込められている。フェイクニュースが氾濫するこのご時世、もし新聞がその存在価値があるとしたら、この報道の原則を貫いているかどうかであると言っても過言ではない。

 別掲の私の評論にあるように、実は私以上にこの連載に疑問を持ち、連載報道を検証した研究者がいた。田中信行東京大学名誉教授で、田中教授は中国研究所発行の『中国研究月報』2013年4月号に掲載された「『紅の党』と新聞の取材力」の中で、この初回の記事の引用部分の多くが、朝日の記者が自身で取材したものではなく、姜維平という『大連日報』の元記者が2009年に発表した評論の一部を、引用したものにすぎず、その評論は8月14日、『江沢民大連之行醜聞追記』と題して、『大紀元』というウェブサイトに投稿されたものだと指摘した。

 驚いたことに田中名誉教授の論考に対し、朝日新聞社から広報部長名で、(雑誌の発行者の中国研究所理事長あてに)「筆者の指摘は事実無根であり、記者および同社に対する名誉棄損であるから謝罪、訂正せよ」との書面が届いたという。田中氏が訂正を拒むと次に同社の代理人という弁護士から、「速やかに訂正、謝罪をしなければ、法的措置をとる」という内容の『通告書』が送られてきた。

 その後の経過は別掲の私の評論を読んで頂くとして、ここで指摘しておきたいのは、当時、朝日新聞は従軍慰安婦報道の誤報で大きな批判を招いた時期だった。にもかかわらず、研究者の指摘に対して、報道の姿勢を正すどころか、法的措置を取るなどと脅しをかけていたことだ。それが私の評論のタイトル「朝日問題の背景に過信と驕り」につながる。そして、その驕りが今回の峯村記者の言動にも現れていることはいうまでもない。ちなみに、連載の初回は峯村記者が執筆したものだという。

 峯村記者の名誉のために少し補足しておこう。連載の後半の別の回で、姜記者をインタビューし登場させる回がある。したがって、連載は大紀元という新聞からの盗用ではない。姜記者を取材して得た情報に基づいて書いたと推定される。その他にも取材してその情報を裏付けたとも推定される。

 ならば、一人称でその場にいたかのように書くのではなく、姜記者によればとか、あるいはその他姜記者の情報を裏付ける別の関係者も情報源として示すのが報道の情報であろう。もちろん強権国家中国の報道では、情報源を守るため情報源を秘匿することも必要だ。だが、その場合でも情報源をぼかす工夫があるし、欧米の報道なら情報源を隠す理由も示している。一人称で書くことはない。

 フェイクニュースが氾濫する中、最近ファクトチェック(真偽の検証)が試みられているが、この連載をファクトチェックするのは難しい。情報源が書かれていないからだ。大紀元は中国の反体制派の発行する新聞であり、政権打倒のために情報の真偽を飛ばしあるいは誇張して発信している。私はほとんど無視しているので、姜記者が同紙に書いた記事は全く知らなかった。だが、田中名誉教授のように真面目な研究者はそうした刊行物までチェックしているので、連載と類似の記事を見つけ、盗用ではないかとの疑問がうまれたのである。

 田中氏の指摘が、朝日から見て誤解だという点が出てくるのも、この連載が情報源の明示という報道の常道を踏み外しているからだ。

 いくら取材を重ね、事実に近づいたかもしれないが、発信される情報は情報である。どこの新聞社の記者の取材の指針にも、「情報の出所は、読者がその記事の信頼性を判断するための重要な要素であり、可能なかぎり明示する」(朝日記者記者行動基準)と書いてある。自社の記者行動基準に反している記者たちを称賛し、弁護する新聞社の体質が記者たちの驕りを生む。組織的な問題であると言えよう。

 と今月は、朝日新聞がこんな体たらくでは、もう新聞はお終いだと落胆していたが、23日放送のNHKBS1スペシャル「正義の行方〜飯塚事件 30年後の迷宮〜」を見て、いやいや新聞もまだまだ捨てたものではないと思い直した。このドキュメンタリーは3時間近いNHKとしては異例の長編ドキュメンタリーだが、それだけ内容のしまった見ごたえのあるものだった。NHKの番組紹介は以下の通り。また再放送があるはずなので、鑑賞をお勧めしたい。

 死刑執行された人物は真犯人だったのか―。福岡県で2人の女児が殺害された「飯塚事件」から30年。立場の異なる当事者たちの証言をもとに3部構成で事件の全体像を描く。

 福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された「飯塚事件」は今年、発生から30年を迎えた。DNA型鑑定等によって犯人とされた人物には2008年に死刑が執行されたが、えん罪だったとする再審請求が提起され、事件の余波は今も続いている。立場を異にする当事者たちそれぞれが考える〈真実〉と〈正義〉を突き合わせながら、事件の全体像を多面的に描く3部構成の長編ドキュメンタリー。そこから浮かび上がるこの国の司法の姿とは?

 私が感銘を受けたのは、以上の番組紹介にある日本の司法に対する問い直しだけでなく、むしろそれ以上に第3部に登場する西日本新聞の記事再検証の試みだ。地元紙として、西日本新聞はこの事件をめぐっても、犯人逮捕につながる警察情報の数々をスクープしてきた。しかし、逮捕、起訴、裁判を通して、被告が本当に真犯人だったのかどうか、その証拠に疑問が残った。

 ところが、死刑判決が最高裁で確定した2年後、弁護団が再審請求を準備している中、早々と死刑が執行されてしまった。西日本新聞社では、自社の報道を含め、事件の解明に疑問を持った編集局長が、それまでこの事件の報道に関わらなかった記者を説き伏せ、自社の報道を含め事件の再検証を命じた。検証報道を担当した記者たちは、判決の決め手となったDNA鑑定、目撃者の証言を中心に、一から関係者をあたる粘り強い取材を進めた。結果として、真犯人を突き止めたわけではないが、証拠となったDNA鑑定の方法などに大きな問題のあることを明らかにした。飯塚事件の裁判で採択されたDNA鑑定はまだ確立された方法ではなく、現在では使用されていない方法だった。再審無罪となった足利事件ではその方法による鑑定の証拠能力が否定され、無罪となった。しかも、飯塚事件では別の鑑定方法によって、真犯人のDNAと被告のDNAが一致しない鑑定結果が出ていたにも関わらず、警察庁の高官の介入によって法廷に提出されなかっことも検証報道で明らかにされた。

 死刑の執行後の再審請求という異例の形で、事件の再検証は進行した。再審決定では、DNA鑑定の証拠能力は否定されたが、他の証拠で被告が真犯人であることが明らかとして請求は棄却された。

 ドキュメンタリーの中で、この検証報道を進めた記者は、死刑囚は真犯人だったのかという問いに対して、「真犯人かどうかわからなかった。しかし、疑わしきは被告の利益にという裁判の原則からいえば、無罪でしょう」と明確に答えていた。

 死刑執行後であっても、事件はもう終わったではなく、自社の報道を含め、疑問点を改めて取材し、報道した西日本新聞の検証報道に新聞のあるべき原点を見る思いがした。報道には、事実に対して謙虚であることが求められる。


高井潔司  メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。