月刊ライフビジョン | メディア批評

「説明できない」政治の継続

高井潔司

 9月は菅首相の退陣という思わぬ動きをきっかけに自民党の総裁選挙が繰り広げられた。衆議院選挙が直後に行われるというのに、テレビのワイドショー、ニュース番組は自民党にハイジャックされた観があった。事実上、首相を選出する選挙であるとは言え、放送の公正、中立という点で大きな問題だ。しかも、放送の内容と言えば、候補者の実行されそうにない“空約束”ばかりで、取り上げる価値があるとも思えなかった。

 放送の公正を装うために付けたしにインタビューされた立憲民主党の枝野代表は、総裁選挙について「見てません。候補者の主張はみんな空理空論でしょ」と不快感を示していた。対抗策として、野党も連日、新たな政策を発表したが、こちらの方も空理空論に変わりない。テレビ報道では、外交について、「安倍、菅政権の9年近くの間に壊されてきたものを従来のわが国の外交安全保障の王道に戻す」と述べていた。こんな抽象的な発言では自民党総裁選への牽制球にもならないだろう。せいぜいテレビに、われわれは野党の発言も公平に取り上げていますという逃げ口上を差し上げているようなものだ。

 9月27日朝日朝刊3面は「番組こぞって総裁選、なぜ」はそうしたテレビのお祭り報道をやり玉に挙げたが、遅すぎる。各種世論調査では自民党支持率が上がっているというから、自民の思うつぼである。新聞自体もテレビに負けない報道をしてきたではないか。

 総裁選について、どんな報道があるべきなのか。そもそも菅退陣の理由は、「説明しない政治」の破綻だった。実際は、説明しないどころか、政府人事を一手に掌握した忖度政治で、、不正と腐敗を隠蔽し、はびこらせた権力政治は説明しない政治ではなく、「説明できない政治」だった。総裁選不出馬の理由を、「コロナ対策に専念」と述べたことが、「説明できない政治」を象徴している。要するに、安倍・麻生連合対二階派のにらみ合いの微妙なバランスに乗っていた菅政権だったが、岸田氏が投じた役員人事の年限案をめぐって党内のバランスが崩れ、あっさり政権を投げ出してしまったということに尽きる。そんな党内の権力闘争など説明できようはずもない。

 ならば、メディアにとって、総裁選挙の最大のテーマは、この安倍・菅政権の「説明できない政治」をどう転換するかということであって、候補者にまず問うべきはそこにある。コロナ対策でも年金問題でもない。記者会見や公開討論会で、前政権をどう評価するのか、厳しい質問をぶつけなければ、メディアは容易に操作され、お祭り報道に転化されてしまう。しかも舞台裏では、各候補者は安倍、麻生連合に媚び、忖度し、彼らも影響力維持のために権謀術数をたくましくしている。結局のところ、安倍・菅政権の亜流が誕生するだけのことだった。

 自派の候補者を推さない麻生氏、3位に終わると予想され、実際そうなった候補を推した安倍氏。そうした人物がなお影響力を行使できるという不思議な政党である。要するにマスコミが大々的に伝えた“政策論争”ではなく、裏の派閥力学で生まれた政権だ。それは表立って「説明できない政治」の継続である。要するにマスコミが大々的に伝えた“政策論争”ではなく、裏の派閥力学で生まれた政権だ。それは表立って「説明できない政治」の継続である。

 亜流政権の誕生は、野党にとってはいい攻勢チャンスではあるが、野党の統一戦線はいまだ固まらず、取って代わろうという意欲さえ感じられない。

 29日読売朝刊4面によると、共産党などとの衆院選小選挙区の候補者一本化に向けて、「枝野氏は共産が求める政権合意に否定的で、共産との連携に積極的な小沢(一郎)氏主導で交渉が進むことを警戒している」というから、全くの腰砕けである。野党第一党で満足しているのではないか。

 このままでは、世論のストレスはくすぶり続けることになろう。日本の政治の昏迷と停滞はまだまだ続きそうだ。


高井潔司  メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。